だから「隔たり」が生じる。有識者会議が期待する「天皇の役割」と本来のお役割が違う(令和3年4月10日、土曜日)
皇位継承有識者会議のヒアリングが8日、始まった。「意見には隔たりがある」とメディアは伝えているが、当然だろう。10の「聴取項目」のうち、皇位継承問題を考えるうえでもっとも重要な、天皇統治の本質に関わる、次の2項目について、考え方が根本的に異なるからである。〈https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/taii_tokurei/dai1/siryou8.pdf〉
問1 天皇の役割や活動についてどのように考えるか。
問2 皇族の役割や活動についてどのように考えるか。
天皇・皇族のお役目、お務めについての基本的認識が異なれば、当然ながら、皇位継承についての考え方もがらりと変わる。平成8年に政府、宮内庁が非公式検討を開始し、女性天皇・女系継承容認に大きく舵を切ったのは、いかなる天皇観に基づいていたのかが問われているのである。
ならば、政府・宮内庁は、今回のヒアリングで、どのような答えを期待しているのか、逆に本来的にはどのように考えられるべきなのか、おさらいしてみたい。そうすれば、皇室の歴史と伝統を重視する男系派にとって、いかにいま絶望的な状況なのか、あらためて身に沁みるだろう。男系派はいまこそ本気になるべきだ。もはや傍観者ぶってはいられない。
▽1 目的は2.5代「象徴」天皇の「安定的継承」
皇室本来の伝統的天皇観は、「およそ禁中の作法は神事を先にす」(順徳天皇「禁秘抄」1221年)とする、「祭り主」天皇である。国と民のため公正かつ無私なる祭祀をなさることが天皇が統治者であることを意味する。男系継承主義はこの「祭り主」天皇観と密接不可分である。
ところが、最初に行われた平成16年の「皇室典範に関する有識者会議」からして、皇室の天皇観など視野にはなかった。検討されたのは、主権者とされる国民個人のさまざまな天皇観であった。
そのことは有識者会議の報告書の「はじめに」を読めば容易に分かる。「天皇の制度は、古代以来の長い歴史を有する」と認めながら、皇室の歴史と伝統に沿った吟味は行われなかった。「(制度に関する)見方も個人の歴史観や国家観により一様ではない」から「様々な観点から論点を整理する」と述べつつ、皇室古来の天皇観は排除され、「現行憲法を前提として検討すること」とされたのだ。〈https://www.kantei.go.jp/jp/singi/kousitu/houkoku/houkoku.html〉
つまり、この有識者会議が目的とした「安定的な皇位継承の制度」とは、「長い歴史を有する」126代の皇位継承ではなく、「国事行為」「ご活動など」をなさる、日本国憲法が定める2.5代「象徴天皇」の「安定」的継承なのであった(「基本的な視点」)。
そして、案の定、「古来続いてきた皇位の男系継承を安定的に維持することは極めて困難」「国の将来を考えると、皇位の安定的な継承を維持するためには、女性天皇・女系天皇への途を開くことが不可欠」(「結び」)と結論づけられたのだった。
有識者会議が男系継承の「意義」や「論拠」をまったく検討しなかったとまではいえない。しかし、天皇がスメラギ、スメラミコトと拝された時代から天神地祇を祀る「祭り主」であったこと、そのことが男系主義とどのように関わるかを追究した形跡は見当たらない。過去の歴史にない女系継承容認に走るのは当然であった。
官邸のサイトには会議の報告書のほかに、50ページを上回る「資料」が載っているが、「天皇の行為」のなかで、「宮中祭祀」は「国事行為、公的行為以外の行為」と区分され、皇室第一のお務めとされてきた歴史の説明は見当たらない。
▽2 天皇はすでに歴史的な天皇とは異なる
平成24年に行われた「皇室制度に関する有識者ヒアリング」、いわゆる「女性宮家」有識者ヒアリングでは、問題関心の中心は「皇室の御活動」の維持であり、「両陛下の御負担」軽減であった。そのための「女性宮家」創設が検討されたのだった。
「現行の皇室典範の規定では、女性の皇族が皇族以外の方と婚姻された時は皇族の身分を離れることになっていることから、今後、皇室の御活動をどのように安定的に維持し、天皇皇后両陛下の御負担をどう軽減していくかが緊急性の高い課題となっている」(「有識者ヒアリングの実施について」)〈http://www.kantei.go.jp/jp/singi/koushitsu/yushikisha.html〉
つまり、126代続く「祭り主」天皇の伝統は最初から念頭に置かれてはいなかった。代わりに、天皇が御公務をなさる2.5代「象徴」天皇であることは議論の余地のない所与のこととされた。そして、いつのまにか「天皇の御公務」は「両陛下の御活動」に衣替えし、「皇室の御活動」にすり替わっていた。驚いたことに、「天皇」と「皇族」の違いまでが失われたのである。
ヒアリングの過程で、園部逸夫内閣官房参与は繰り返し「陛下のご負担軽減」を説明したが、ヒアリングを踏まえた「論点整理」ではさらに論理のすり替えが起きた。緊急性のあるご負担軽減から悠仁親王殿下の時代に話題はすっかり切り替えられていた。支離滅裂だった。なぜか。
平成20年の御不例以後、宮内庁は陛下の御公務御負担軽減を進めた。だが、祭祀のお出ましが激減した反面、いわゆる御公務は逆に増えた。つまり宮内庁の軽減策はみごと失敗したのだが、政府・宮内庁は失敗の原因も究明しないまま、歴史にない「女性宮家」創設へと暴走し始めたのだった。
ならば、そもそも「御公務」とは何か、「論点整理」では驚くべきことに、天皇の御公務と皇族の御活動が同列に論じられていた。
「天皇陛下や皇族方は、憲法に定められた国事行為のほか、戦没者の慰霊、被災地のお見舞い、福祉施設の御訪問、国際親善の御活動、伝統・文化的な御活動などを通じて、国民との絆(きずな)をより強固なものとされてきておられる」
皇族とは本来、皇統に属し、皇位継承の資格を持つ血族の集まりを指すが、女性皇族に「御活動」を「分担」させるという意図のもと、皇族の伝統的概念は崩壊した。日本国憲法の「象徴」天皇主義が皇室の歴史と伝統を凌駕した結果である。すでに天皇は歴史的天皇ではなくなっている。
そこまでして維持しなければならない「御活動」とは具体的に何なのか、不思議なことにヒアリングで論じられた形跡はまったくない。ようやく「論点整理」の段階になり、参考資料として12ページにわたって説明された。
たとえば常陸宮殿下は、日本鳥類保護連盟、日本肢体不自由児協会、発明協会など数々の団体の総裁や名誉総裁をお務めで、妃殿下とともに、全国健康福祉祭や全国少年少女発明クラブ創作展などに御臨席になると説明されている。天皇の御公務・ご活動と同列に論ずべきことではあるまいに。
どうしても必要ならやむを得ない。しかしこれは違う。官僚たちの責任逃れと暴走が天皇統治の歴史的大原則を革命的に一変させようとしているのだ。だとしたら男系派は、本来のあり方、男系主義の意義と価値を訴えるべきだ。ところが、ヒアリングで「祭り主」天皇に言及した識者が、皆無というわけではないが、本質に深く踏み込むものではなかった。溜息が出るほど理解が浅いのである。
▽3 問われているのは憲法だ
先帝陛下の「譲位」のご表明を受けて、平成28年から翌年にかけ、「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」、通称「生前退位」有識者会議が開かれた。これも不思議な会議だった。〈https://www.kantei.go.jp/jp/singi/koumu_keigen/〉
「生前退位」なる皇室用語はないが、いったい誰が言い出したのか、誰が報道機関に内部情報を漏らしたのか。先帝陛下のビデオ・メッセージが発せられたのにはいかなる経緯があってのことなのか、その真意は何だったのか。お気持ちの実現に本当は何が必要だったのか、なぜ有識者会議は「ご公務ご負担軽減」と銘打たれることとなったのか。
そして案の定、有識者会議の設問には「生前退位」はないのに、「生前退位」実現の法的手法についての激論が始まり、「ご負担軽減」とは名ばかりで、「退位」実現の検討に終始したのだった。
憲法上は「譲位」も「退位」もあり得ない。昭和天皇は側近による祭祀簡略化「工作」に耐えかねて「退位」を表明されたことが側近の日記に記録されているが、実現はされなかった。それならなぜ、先帝の「譲位」は翻意されなかったのか。先帝は、今上も同様だが、歴代天皇の歩みと憲法の規定遵守の両方を繰り返し表明されていたのに、である。
そして憲法・皇室典範が認めていない「譲位」は、国民主権主義に基づき、特例法によって「退位」にリセットされ、実現されたのだった。憲法遵守に務められた先帝によって、それゆえに憲法の矛盾が明らかにされたのである。御公務中心の「象徴」天皇のあり方の不備を、主権者に率直に問いかけられたのが先帝なのである。天皇の高齢化はご活動なさる「象徴」天皇像とは両立できないのだ。
しかし政府・宮内庁は、憲法に基づき、その行動主義的天皇像を疑うことなく、ご活動の維持に拘り続けている。その結果、人事異動する宮内庁職員の「拝謁」、海外に赴任する大使夫妻の「お茶」はいっこうに減らない。逆に、天皇の祭祀は際限なく蹂躙されている。
そしていま、「女性宮家」創設がいよいよ本格的に議論されることになった。つまり、問題の核心はほかならぬ日本国憲法なのである。
公布から100年にも満たない憲法を「最高法規」とし、国民主権主義なるものに基づいて、126代続いてきた悠久なる皇位継承の大原則を革命的に変更することが許されるべきなのか。歴代天皇は公正かつ無私なる「祭り主」であり、そのための男系主義であったとすれば、その意味も価値も顧みられることなく、変革することは正しい選択といえるのか。
男系派こそ問われなければならない。憲法の「最高法規」「国民主権」と本気で対決する気はあるのかどうか。政府・宮内庁は、憲法が「不磨の大典」だからこそ「女性宮家」創設に走るのである。憲法に叛旗を翻せない官僚たちが、天皇および祖国への謀叛を企てるのである。