宮中祭祀の簡素化を進言した張本人。伊勢神宮での講演で告白?──心配される今年11月の新嘗祭。そこで読者への提案(2009年6月16日)
(画像は平成25年の新嘗祭。宮内庁HPから拝借しました。ありがとうございます)
小林よしのりさんの話題の新著『ゴーマニズム宣言SPECIAL天皇論』が、拙著『天皇の祭祀はなぜ簡略化されたか』を引用し、昭和の時代に宮中祭祀を破壊、空洞化した元凶・入江相政侍従長に言及しています。
小林さんの本は全編にわたって、祭祀王こそ天皇の本質であることを力説しています。これほど祭祀王にこだわって書かれた本は、とくに最近では珍しいのではないかと思います。ぜひ多くの方々に読んでいただき、天皇についての理解が深まることを願いたいと思います。
ただ、それだけではすまないところもあります。社会の現実は天皇=祭祀王の本質を理解するだけでは、もはや十分ではない状況に立ち至っているからです。昭和の祭祀形骸化がふたたび現実になっているからです。
そこで、読者の皆さんにお願いがあります。
▽1 読者への3つの提案
当メルマガはこのところ一貫して宮中祭祀の簡略化問題を取り上げてきましたが、私がいまもっとも心配するのは、11月の新嘗祭です。このままでは、ご高齢で療養中の陛下のご負担軽減を理由に、まったく伝統を無視した無残なかたちで行われることになるでしょう。
そのことがどのような文明的、歴史的な意味を持つのかは、このメルマガの読者なら、もうご存じのことだと思います。
私と問題関心を共有し、何とかしなければ、とお思いの読者の皆さんに、3つの具体的なご提案を申し上げます。
(1)1つは、拙著『天皇の祈りはなぜ簡略化されたか』やこのメルマガを、友人の方々などにお勧めいただけないでしょうか。現実と問題点をより多くの方々に知っていただくことがまず大切だと思います。当メルマガの読者は先週末現在で2676人。「イザ!」 のブックマークとお気に入りRSSが合わせて1278人ですが、まだまだです。
(2)2つ目は、このメルマガの最後にある「あなたの評価」を、お手数でも毎回、つけていただけないでしょうか。この祭祀問題ほど重いテーマはほかにないはずなのに、まことに残念ながら、現実には、継続的に取り上げ、追求しているメディアはこのメルマガだけです。私は運動家ではありませんが、このメルマガの読者が増え、ランキングが上がり、社会的評価が高まることが大きな世論を形成し、官僚機構を動かし、宮中祭祀簡素化問題を解決していくための第一歩となるでしょう。
(3)3つ目は、現実を憂える皆さんが実際に声を上げることです。方法はいくらでもあります。皆さんそれぞれにお考えいただきたいと思います。天皇の祭祀は見えないところで行われますが、国と民のために行われる天皇の祈りは私たち国民の命と社会の安定につながっています。皆さんご自身の問題なのです。
新嘗祭まであと半年もありません。今年はご即位20年、ご結婚50年のこの上ないお祝いの年ですが、その年の新嘗祭が伝統無視の祭りとなっては、歴史に禍根(かこん)を残します。
▽2 渡邉前侍従長の告白
ところで、この祭祀の簡略化について、新しい事実が分かりました。
先週のこと、渡邉允(わたなべ・まこと)前侍従長が、伊勢で行われた神社関係者の集まりで講演したそうです。平成19年6月まで陛下のおそばにお仕えした方ならではのすばらしいお話に、参加者は感激したといいます。
しかし聞き捨てならないことが1点ありました。「祭祀の簡略化を進言したのは私だ」とみずから告白したというのです。ほんとうだとすると、当メルマガが追及してきた祭祀簡略化問題の張本人ということになります。
渡邉前侍従長は華麗な経歴の持ち主で、東大法学部を卒業したあと、外務官僚としてキャリアを積み、平成7年に宮内庁に入り、翌8年12月から19年6月まで侍従長を務め上げました。曾祖父の千秋氏は宮内大臣で、父・昭氏は昭和天皇のご学友だそうです。
出自やキャリアと違わず、人格も見識もたいへん立派な方のようで、著書の『平成の皇室──両陛下にお仕えして』(明成社、平成20年12月)には、祭祀王としての天皇の性格を正しく理解したうえで、国が安らかで国民がみな幸せであるように願う祈りが具体的なかたちに現れているのが宮中祭祀である、と語った講演録が載っています。
しかし同時に、まさにこの本には、渡邉前侍従長が陛下に対して、簡素化について進言したことをにおわすインタビューも掲載されています。
▽3 前侍従長の3つの間違い
正確に引用するとこうです。
「昭和天皇が今上陛下の御歳のころは、冬の寒いときや夏の暑いときには旬祭はなさらず、掌典長がご代拝を勤めていました。陛下のご負担を思うと、そうしていただいた方がよいかと思うこともありますが、陛下はなかなか『うん』とはおっしゃいません」(38ページ)
当メルマガの読者ならもうお分かりでしょう。ここには完全な間違いがあります。
第一に、拙著に詳しく書きましたように、昭和天皇のころのご負担軽減策はご高齢・ご健康問題に発するものではありません。しかし官僚的な先例主義に立って、渡邉前侍従長はこの昭和の悪しき先例を「進言」したものと想像されます。
第二に、昭和時代の掌典長による旬祭のご代拝こそ、祭祀の破壊行為でした。本来なら側近の侍従によるご代拝であるべきものを、入江侍従らは祭祀嫌いの俗物的発想と誤った政教分離主義から掌典によるご代拝に変えたのです。
渡邉前侍従長はこのような昭和の歴史を知らないか、口をつぐんでいるのではありませんか。
第三に、今上陛下のご健康を気づかい、ご負担の軽減を、忠実な側近として心から願うなら、まず最初に、法的な根拠があるわけでもない「ご公務」を減らすことこそ考えるべきでした。
▽4 ないがしろにされる祭祀王
天皇は祭祀王だと理解するならなおのことです。なぜ祭祀を狙い撃ちにするご公務削減が進められたのでしょうか。祭祀王たる悠久の歴史を重んじない無神論的な現行憲法の解釈・運用論に立脚しているからではないのでしょうか。
渡邉前侍従長はその判断において、以上の3つの間違いを犯しています。
これに対して、陛下が「なかなか『うん』とおっしゃらなかった」のはさすがだと思います。皇位継承後、皇后陛下とともに、祭祀について学び直され、正常化に努められたのが陛下でした。先帝の時代に祭祀に関して何が起きたのか、陛下はよくご存じなのではありませんか。
今年に入り、官僚主導による旬祭の簡素化は現実となりましたが、ご負担軽減策は矛盾だらけです。たとえば、そんなに陛下のご健康が心配だというのなら、官僚たちはなぜ、半月にもおよぶカナダ、ハワイご訪問を計画するのでしょうか。ご健康への配慮と称して祭祀を「簡素化」しながら、昭和天皇・香淳皇后のアメリカ、ヨーロッパ訪問を実現させた昭和の時代への先祖返りです。
渡邉前侍従長に申し上げます。これでは口先では都合よく祭祀王をたたえつつ、実際には古来引き継がれてきた天皇の本質をないがしろにして、もっぱら近代的な国家機関としての天皇を政治利用しているということになりませんか。
言行不一致といわざるを得ません。