【才能はみだしっ子を育てる ③】 日米の教育の違いに直面した小学生時代
インタビュー第3回は、現在中学校二年生の男の子のお母様Kさんにお話を伺いました。
短時間睡眠の息子。知らない人から「特別な目をしている」といわれたことも
乳児のころは、夜中に何度も夜泣きで目覚め、それは幼稚園まで続きました。短時間睡眠でお昼寝もしませんでした。そのため、私自身が睡眠不足になり体調を壊したこともありました。
生まれて数カ月の頃は街中を連れて歩くと知らない人によく声を掛けられました。息子の「目がすごく印象的だ」と言われたのです。物事をよく考えているような、わかっているような、他の子どもとは違う雰囲気がある、とよくいわれました。
言葉はどちらかと言うと遅いほうでした。離乳食を食べるときに下に敷いていたシートにABCが書かれていたのですが、文字を指さして意思表示をしたりしていました。小さい頃から車が大好きで、ベビーカーで街中を歩いていても目に入る車のメーカー名を全部言わされて、私は落ち着いてのんびり歩くこともできませんでした。絵を描くようになると、興味があった車を前からと後ろから見た絵をよく描いていました。正面から見た形が顔に見えると言って、描いた車にも名前をつけて人格を与えていました。ミニカーは走らせて遊ぶのではなく、渋滞の様子など静止画のような状況を作っては自分の目線を近づけてずっと楽しんでいました。車の仕組みよりも、デザインやどう見えるかが気になっていたようでした。
今でも車が好きでイラストを描き続けていらっしゃるそうです。
「こだわりが強い」と言われた、保育園の慣らし保育
幼稚園に上がる前に、慣らし期間をもった方が良いのではと、預かり保育に何度か預けてみたことがありました。けれど、初回で熱が出てしまい途中で帰宅することになり、その後2回目、3回目も途中で熱が出てしまいました。どうしたのだろうと思っていると、その保育園の先生から、「こだわりが強い性格なのでもしかすると自閉症かもしれないから、調べた方が良い」と言われ、とてもびっくりしたことがありました。もし、息子が自閉症ならば、できるだけのケアをしてあげたいと思い情報収集をしました。そのようなときに、大学で子どもの運動療法を教えていらっしゃる先生とご縁があって、助言をいただく機会がありました。先生は息子の様子を見て「しっかり目を見て受け答えをしているし、息子さんを観察してみたところ自閉症ではないのではないか」との見立てでした。
のちにわかったことですが、預かり保育の先生に「こだわりが強い」と言われたのには理由がありました。それは、ある朝、先生が「一緒にやろうね」と約束したことを、何かあったのかやってくれなかったことがあり、それが彼には許せなかったようなのです。なぜやってくれないのかと何度も尋ねる彼の行動が、先生にはこだわりが強すぎると感じたのかも知れません。また、発熱も自宅へ戻ると平熱に戻っていたので、突然の集団生活に驚いてしまったのだと思います。
渡米してからは、語学に長けた様子が見られるように
そんなこともあったので、幼稚園はのびのびと過ごせる園を選びました。最初の1~2カ月は教室に入れなくて慣れるまで少し時間がかかりましたが、おおむね楽しく過ごしたようでした。そして、年長の時に夫の仕事の関係でアメリカに行くことになりました。これが家族にとって転機となりました。
息子は10月生まれだったので、アメリカに到着するなり、小学校1年生になりました。日本を出発する前に「アメリカでいきなり英語だけで小学校に行くのは大変だろう」と思い、英会話の個人レッスンなどを受けて少し準備をしていったことが功を奏したのか、現地の小学校の入学前のESLクラスのレベル分けでは、最低レベルではないクラスに入りました。基本的なコミュニケーションができていたからでした。また、運良く学区内の学校にESLのクラスができたところだったので、渡米中は同じ学校に続けて通う事ができました。
※ESL:English for Second Language=英語が母国語でない対象向けの英語クラスのこと
赴任した場所はアメリカの西海岸で国内でも有数の教育に熱心な地域でした。世界各国から子どもに優れた教育を与えたいという家族が集まってきており、学校も優秀な先生が配置されていたということでした。ESLクラスには日本人がたくさんいましたが、息子は後から来たのに短い期間で英語のコミュニケーションが取れるようになり、いじめの対象となってしまいました。南米出身のクラスメートと息子の2人がいじめられていて、ストレスからチック症状が出てしまったり、呼吸がおかしくなってしまったりして、とても心配しました。学校に相談すると、いじめ対策の専門家が間に入ってくれたりはしたのですがなかなか解決せず、もう一人のクラスメートの保護者の方がさらに学校に抗議をしたことでようやく具体的に対応をしてくれるようになりました。
2年生になると息子はESLではなく普通クラスに入ることができました。クラスメートとも仲良くなり、先生も熱心にサポートして下さり、勉強がよくできるようになりました。リーディングの授業は能力別に4クラスに分かれていました。息子は前年度ESLクラスにいたため、最初は上から2番目のクラスに入りましたが、数週間で最上位クラスへ移動しました。クラスでリーダー的な役割をさせてもらうこともできて、現地の学校でとても楽しく過ごせた時期だと思います。
その頃は市内のほとんどの通りの名前を覚えて、記憶で地図を描くのが大好きでした。担任の先生が息子の描いた地図を持って車で回ってくれたこともあり、「あの地図は正確で役に立ったわ」と言ってくれたことがとても嬉しかったようでした。
周りから勧められて受けてみたGATE認定試験
小学校3年生の2学期の成績で、スピーキング以外A評価となり、学年の終わりには全教科Aとなりました。仲の良い外国人の保護者の方から「とても勉強もできているし、OLSAT(知能検査)を受けてみれば?」とアドバイスを受けました。良い成績をとることができれば、ギフテッドの特別教育を施す学校への転入ができたり、GATE(Gifted and Talented Education)の認定を受けると大学への進学にも有利になったりするとのことでした。
テストは10月後半に行われたため、誕生日を迎えたばかりの息子は年齢別でも、学年別でも最年少でした。本人もあまりやる気がなかったので、ほぼぶっつけ本番でOLSATを受けました。私たちは、親子ともに「運だめし」くらいの気持ちでしたが、どうもほかの家族は様子が違いました。OLSATで良い成績を取ることが、進学でとても有利に働くので、かなり準備に時間を掛けているということが直前で分かりました。テスト会場でも、インド人、中国人、韓国人などの熱心な親子がギリギリまでテキストで勉強をしていたりして、ちょっとびっくりしました。
結果は、年齢別で99パーセンタイル、学年では98パーセンタイル(トップ1%~2%に入っている)という結果でGATEの受講認定を頂きました。思いがけない結果に、親としては誇らしいという気持ちにもなりましたが、その反面、ギフテッドの子どもに対してどのような教育とケアをしてあげるべきなのかと強く不安を感じました。知識が全くなかったからです。特に、その結果が出たころには日本への帰国が決まっていたので、日本ではあまり知られていないギフテッドの子ども達とその教育方法について知っておかなくてはいけないと思い、私自身が英語で情報を必死で集めて勉強しました。
アメリカ人家庭教師の方に来ていただいていましたが、たまたまギフテッドのお子さんがいらっしゃる方で育て方のアドバイスを頂きました。さらに知人の紹介でアメリカ人の90才ぐらいのメンサの会員の方と知り合い、子どもが興味を持ったことに関係する本は、惜しみなく与えるようにと教えていただきました。また、7カ国語を話すジョージア国出身の友人から、息子の学力や月齢に合った本を読むように勧められ、彼女がボランティアをする中古書店でいつも本を選んでもらいました。帰国前には今後の息子のためにたくさんの本をプレゼントしてもらいました。
※メンサ:Mensa=人口上位2%の知能指数 (IQ) を有する者の交流を主たる目的とした非営利団体 (Wikipediaより)
帰国後、アメリカとは異なる教育でのとまどいがあった小学生時代
息子が小学校3年生の時に帰国して、自宅近くの公立小学校に編入しました。帰国生が多い学校と聞いていたので期待をしていたのですが、学校には帰国生の対応ノウハウが殆どないようでした。帰国生たちの悩みや考え方の違いについて理解していただくことがとても難しかったのです。例えば、アメリカでは子ども同士で体をむやみやたらに触ったりはしませんが、息子は友だちが気軽に体を触ってくることがショックだったようです。でも、先生にはそのような気持ちは理解しづらかったようでした。それでも、3年生の担任の先生は優しく接してくださったし、4年生の担任の先生は息子の個性に興味を持ってIB教育(国際バカロレア教育)の情報を教えてくださったりしました。
ただ、大変残念なことに高学年の時の一部の先生方と息子はとても合いませんでした。5年生の担任は男女で指導の仕方を変えたり、生徒からの提案を尊重してくれなかったり、アメリカの教育で正しいと教えられてきたこととの大きな違いを息子は理解することが難しいようでした。6年生の学年主任は生徒に対してあまり平等に接するような方ではなかったので、フェアではない発言や行動が重なると息子は納得できず、我慢ができなかったようです。
日本の学校の先生方は忙しすぎて、ほんとうに大変そう
息子の残念な体験を話すと、アメリカと比較して日本の先生方を責めているような感じがするかもしれませんが、そういうことではないのです。私は日本の先生方はクラス運営や授業の他にもやるべき仕事が多すぎてとても忙しく、大変なのではないかと感じています。私達が暮らしていた地域のアメリカ現地校では先生方は教える学年毎に資格が必要で、資格が無い学年を教えることはできません。そして、先生方は自分が希望する学年を何年でも担当することが可能でした。例えば小学校1年生の先生は何年間も小学校1年生の担任をすることができるのです。毎年学年の異なる生徒を教える日本の先生方は大変な負担なのではないかと想像します。また、アメリカでは明快なほど分業制で、イベントや遠足他、事務的なことは学校の事務局、いじめ問題などメンタルなことはカウンセラーなど担任教師以外に専門家がいました。
日本の先生方は子どもに関わる以外の事務作業などでとてもお忙しそうです。制度と仕組みとして学校内の業務を合理的に見直し、先生方が「子ども達ひとりひとりのニーズに対応する」ことに注力できれば、先生も子どもも幸せになるのではと思います。
人間的な成長を重視する私立中学校に通い、今は充実した思春期に
進学を考えたとき、公立小学校で苦労している息子には、息子の個性を理解してくれる私立の学校を探した方が良いのではないかと思い始めました。学校が合わず登校が難しい時もありましたが、受験を考えたとき、出席日数や学校の成績などが関係するとも思ったので、息子には受験のために頑張って通い続けるようにと伝えました。今になると、そこまで出席日数などにこだわらなくても良かったのだと分かりましたが、息子の個性を理解してくれる学校に、なんとかして入れてあげたいとの思いからでした。息子はいとこのお兄さんが通う私立の中高一貫校の校風が、とても自由で面白いと聞いて、その学校へ行きたいと希望しました。受験勉強を頑張り、希望通りに入学し、今はその中学校の2年生です。
現在通っている中学校は、学習の成績よりも人間的な成長を重視する学校で、子どもひとりひとりにきちんと向き合って下さる学校だと感じており、入学した時から生徒の個性へ配慮をして下さっていると感じています。自然あふれる環境で「他者に寄り添うことの大切さ」を教えてくださっています。
今、息子は学校がとても楽しいと言っています。息子のように個性豊かな生徒が多くいて、仲間がたくさんいる環境なのだそうです。息子の人生における大切な時期に自己の成長を促すことを重視した学校にいられることを、私はとても良い事だと感じています。
好きな図形の勉強はとても面白いと言い、空間把握に長けているようです。最近は、学校の鉄道好きな仲間と地図を描いたり、時刻表を作ったりしています。新しい漢字を自分で作り出したりもして、地名を作ったり自分の空想の世界に入って楽しんでいるように見えます。
↑想像の世界の場所の地図。電車の駅名や地名も全て創作だそうです。
↓新しい漢字を作り、読みも考える。
これから先、息子には人のために尽くせる人になってくれたらなと思います。彼自身はセンシティブで気難しい面もありますが、明るくポジティブな性格です。せっかく与えられたギフトを持っているのであれば、他者のためにその持てる力を使っていくことができると、本人にとっても良いのではないかと思っています。
【インタビュー後記 ~酒井の思い~】
お話を伺っていてとても印象的だったのは、Kさんがとても熱心に情報を収集してギフテッドチルドレンの特徴について理解を深めてこられたことです。息子さんがギフテッドとして認定されるとギフテッドチルドレンにはどのような特徴があり、どのような支援が米国では提供されているのだろうかと学ばれ、集めた情報を元にご自分なりにお子さんの支援を家庭内で行ってこられました。
また、ギフテッドの子どもは同年代の子ども達よりも関心の対象について飛び抜けて詳しかったり、成績が秀でていたりする事があるために、周囲に相談がしにくくなり、ご家庭内で悩みを抱えてしまいがちですが、Kさんは孤軍奮闘するのではなく、多くの専門家の方の力も借りています。それはKさんが「困っている」ということを、正直に周囲に発信したために支援者を見つける事ができたのだと感じました。
Kさんの息子さんが、もし日本でのみ暮らしていたら彼のギフテッドの部分には気づくことができなかったかもしれません。アメリカでギフテッドと認定されることがなければ、日本の小学校に適応しづらかったときにもその理由がわからず、家庭で息子さんの性質に合わせた対応ができなかったかもしれません。子どもの性質を多面的に理解することの大切さをあらためて強く感じました。 (酒井由紀子)
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