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○○を読め!

2、3年前くらいに書店で「処方薬」を見つけた。もちろん薬ではない。調剤薬局でもらうような薬袋に「よみぐすり」と書いてあり、「○○なあなたに」といった症状別(?)におすすめの本が入っている。その時は手に取りはしなかったが、成程、活字離れが進んでいるという現代らしい取り組みだと思った。

そういえば、学生時代にこんなことがあった。

高校3年生の頃、模試の結果に一喜一憂どころか一喜百憂するような毎日を送っていた。決して苦手ではなかったはずの現代文の成績が伸び悩んでいてどうしたら良いものか困り果てた。田舎ゆえ、有力な塾も予備校もなく情報も得られない。受験についての情報は進研ゼミとラジオ講座(ギリ昭和!)のみ。ちょっと裕福な家の子たちが長期休みに東京に滞在し、代ゼミや河合塾の講座を受けた話を指をくわえんばかりにして聞いていた状態。

たまたまその頃、近くの男子校出身の先輩と話す機会があった。私より格段に成績の良い人だったのでアドバイスを貰いたくて「現代文の成績が伸びない」と泣く泣く相談。先輩はそこで即答。

「遠藤周作を読め」

おぼろげな記憶ながら「遠藤先生の文章は構造がしっかりしているから、読む訓練になる」といったことを言われた気がする。それまで読んだことがなかったけれど書店に走り、文庫数冊を購入。受験勉強の合間に読むには長編小説や「沈黙」などの重いテーマの作品よりは短編集やエッセイを選んで読み始めた。話の内容よりも文章そのものを追っていた気がするので作品自体の記憶はないに等しいのだが、読み応えがありながら選ぶ言葉は決して難しくなかった印象は残っている。

それで劇的に成績が上がったかはわからないが、受験自体は幸いにもうまくいったので結果オーライ。そして大学に入ってから改めて遠藤周作を読む。「わたしが・棄てた・女」が一番好きだ。「女の一生」「ファースト・レディ」など女性の生き様を描いた作品をよく読みつつも、「大変だァ」みたいなコミカルな作品や、狐狸庵先生名義の軽妙なエッセイも好きだった。やはり「沈黙」は外せない。電車の中で読んでいて足が震えたのは今でも覚えている。

そんな大学生活を送っていたある秋の日、ちょっとヘビーな失恋をした。落ち込んで這い上がれず、どうしたらいいのか訴える私に1学年上の先輩(文学仲間でもあったこじらせ男子)が一言。

「坂口安吾の堕落論を読め」

今にしてみると、ちょっと意味がわからない。が、先輩なりに元気づけようとしてくれたんだと思う。その元彼と友達だったから事の経緯は知っていたわけで。

またもや素直に読み始める私。今となっては内容を覚えてないのでもう一度読み返してもいいかも知れない。ただただ難解だった記憶しか残っていないが、読むのに必死で気が紛れたという意味ではある意味的を射たアドバイスだったか。

アドバイスを乞うて勧められたものは割とすんなり受け入れる。でも押し付けられるのはとても苦手だ。自分がされて嫌だったこともあるし、自分もしてしまっていたかも知れない。一度、「卒論どうしようかな」と悩んでいた友人に「これは?」「こっちは?」と自分の好きな作家を勧めてみたことがある。けれど「やっぱいいや」という友人。「どうしよう」と言ってみただけであって、本気で私にアドバイスを求めていた訳ではなかったらしく、自分だけがその気になってあれこれと押しつけがましく勧めていたようだ。或いはその熱量に引いてしまったのか。

遠藤周作を勧めてくれた先輩も、坂口安吾を勧めてくれた先輩も、決して押しつけではなかった。こちらが求めたから答えたまで。確かに、処方薬のように並べられた本には諸症状が書いてあって、自分に必要だと思うものを手に取ればいいのだな、と。

最近は、過去に読んでいたものを再度読み返すことも多い。もっと色々な作品を読まねばと思いつつ、二十歳前後に読んでいたものを今一度開いてみている。内容を一字一句に近いくらい覚えているものもあれば、忘れてしまっていたり、当時とは違う気付きが得られるものもある。誰かにアドバイスを乞うことは既にしていないけれど、もしかすると過去に読んだ本の中に、私の「よみぐすり」があるのかも知れない。


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