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実家に2匹の野生のへびがいた話
屋根裏では常にねずみとへびの追いかけっこが行われているような実家だった。
夜になると屋根裏を軽快に走り去るねずみの足音とそれを追い掛ける「ずる……ずる…………」と身体を引き摺る音がするのである。私はいつもその音を聞きながら、こたつに入って天井を眺めてきた。
かっかっかっ、ずるずるずる。
かっ、ずるっ。
あまりに追いかけっこが激しく煩い時、母はハエたたきで天井を突いてねずみとへびを追っ払う。とは言えそれ以上の具体的な対策はしないので、あくまで私は「共存している」という気持ちで生きていた。
常に家の扉が開いているような実家だった。
それが嫌だった訳では無いが、実家で祖母は床屋をやっており、母はリフレクソロジストで「のんびり」というお店をやっていた。女性専用のまつ毛パーマやアロマを使ったフットマッサージのお店である。自営業で誰でもいらっしゃいませな大内家ではプライベートな場所が限られる。こたつのある居間で私はいつも勉強をしていたが誰彼構わず家を扉を開けて「野菜持ってきたよー」「漬物持ってきたよー」「いなご取ってきたよー」と村人がやってくる。そして居間に座って祖母が対応する。勉強に集中もクソもない。2階が2つあるという不思議な間取りだったのだが、どちらにも亡くなった祖父の面影があった。祖父が残した遺品のコレクション、祖父が剥製にした雉や狸や小熊たち、私が好きだった囲炉裏。居間に村人がやってきた時はそっとこたつを離れて2階へ上がる。祖父が遺したものを眺めたとて私が生まれる前に亡くなった祖父を私は一生知ることはないのだが、眺めている間にもへびが屋根裏をずるずると移動する音が聞こえていた。
とある学生時代の夏休み。
12か13歳くらいの時だったと思う。
お盆の時期になるとふらっとやってくる大嫌いな伯父が来ていた日のことだ(大嫌いだと本人にも伝えているので何ら問題ないと明記しておく。母の兄だが母も私も彼に迷惑をかけられたので大嫌いなのである。私が裁判していたことを知っていたり性暴力は許せないと私に言ったり応援してきたりなんだりしているが、現在の彼の主張と、過去、私にしてきたことは別なので着拒したままだ)
伯父の情けない悲鳴が聞こえてきたのである。居間でテレビを見ていた私にも聞こえる悲鳴。「さいか!〇〇(母の名前)!ばあちゃん!誰か来て!」
うるせえな、黙っていろよと言わんばかりにそちらを睨み付けたら廊下の先にいたのだ。それはそれは立派な、なが〜い白いへびが。遠目からでも見えるほど白く綺麗なへびが洗面台の前でのんびりしているではないか。故郷の飯舘村は標高220m〜600mの農山村地域。村の中でしか生きたことがなかった当時の私にとっての飯舘村は、夏は顔が溶けるほど暑く、冬は顔が凍るほど寒い。外が暑くて涼しいところへ逃げてきたのだろうか。フローリングにぺたりと張り付いた白いへび。にしても大きい。その当時の私の身長は160cm程なのだが、それに匹敵する程長い。
大きさについて何故こんなにも記憶にはっきりと残っているのか。悲鳴を上げ続ける伯父を横目に12、13歳だった私がへびを掴んでお外に出したのである。
ちょうど洗面台の正面には物置部屋があり、入口付近に祖母が使ったばかりのトングがあることをすぐに思い出し、噛まれる前にトングを使って白いへびを摘んだ。トングにぐるぐると巻き付いてきたへびはずっしりとしていて重かった。その時祖母は店に出ており、母は身体が弱いのでいつも横になっていた。頼りになるはずの伯父は腰を抜かしている。母を起こさないようにいつも離れた居間で過ごしているのに伯父のせいで起きたら本末転倒だ。
どうか噛まないでいてね、という気持ちでへびをトングで摘んだまま、へびもトングに巻き付いたまま、私は何故か近くの扉から外に出てそっとへびを地べたに置いた。とは言え上手く離れてくれなかったので2、3度トングを振った。そうすると、するするとトングからへびは離れていって自然に戻っていった。
とは言えあのへびはうちの屋根裏に住み着いている2匹のうちの1匹なのだろう。初めて家の中にいるのを見たし、きっとそのうちまた屋根裏に戻って来るであろう。夜、起きた母にこの事を話したら「おっ、白かったならうちに住み着いているアオダイショウだなあ」と返ってきた。呑気過ぎない?
数日後、居間から裏庭を見るとそこには大きなへびの抜け殻があった。よりによって何故裏庭で脱皮したのか。へびにはとんと詳しくないのだがそれは綺麗な抜け殻で、あの時のアオダイショウかなあと思いつつ母に「ねえ、抜け殻あんだけど」と言った。
「わ、すご〜い!金運上がるぞ〜!」と喜んで拾いに行った母を見てこの人は本当に面白いなと思った。
その数年後に東日本大震災が起きて、そしてその8年後くらいに実家は取り壊された。
私の実家は飯舘村の中でも浜通りと中通りを繋ぐ大きな道路の前にあり、震災時も海沿いや原発地区から福島市内や川俣方面に避難する人たちで朝から夜中まで大渋滞になっていた。生活基盤の主要道路の真横にある私の家は震災以前から先生方や同級生たちにとっては有名、というか「大内彩加の住んでいる家」と言えばすぐに思い浮かぶような場所にあった。震災から数年は「いつも彩加の家の前を通るたびに元気かな、大丈夫かなって思っていたよ」と先生や同級生によく言われていた。
私の実家は取り壊され、復興道路になるのだという。自衛隊の車や物資を運ぶ為のトラック、また何か起きた時に車が大渋滞しないように道路を広げるのだという。
結局のところ2025年1月現在、実家のあった場所の横は広がった道路があるのだが、立ち退きに頷かなかった家があったのか、計画が頓挫したのか、道路は中途半端な状態にある。
そのことに関する説明は一切ない。
あの時、屋根裏にいて一度だけ私の目の前に現れたへびは震災後に一体どこに行ったのだろう。暫くは屋根裏にいたのだろうか。誰もいなくなった家に、村に、あのへびは居続けたのだろうか。ねずみもヤモリもいなごも蛙も、私にとっては身近な存在で目の前に現れることは少なかったが勝手に共存していた。つもりになっていた。
ちなみに何故、我が家にへびが2匹住み着いていると知っていたのか。私がもっと幼い時に、夏にビニールプールを膨らませて水浴びしていた裏庭に、頭から尻尾まで160cmと150cmのへびの皮が2枚落ちていて、母はそれを「金運アップしそう!」と拾って財布に入れていたのである。私の家の裏庭はへびたちの脱皮スペースだったのだ。私の目の前に現れたのはきっとそのうちの1匹、あるいは別の。
私はあの夏の日に見た、白く、長いへびの姿を忘れたことがないし、この先もずっと、私の記憶に残り続けるのだろう。
実家に2匹の野生のへびがいた話
(ヘッダー画像は取り壊される前の実家の写真。
2018年11月26日撮影)
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