そして、私は母となった。前編
このノートには、出産する前日から当日の記録が残されている。私にとって人生で一度きりとなった、生命誕生の神秘的な時間の記録だ。
そんな風に表現すると、表紙のボッティチェッリ「ヴィーナスの誕生」が妙にマッチして、中身のハードルをあげてしまいそうだがまんざらでもない。
殴り書きの文字はリアルということで、多めに見て欲しい。ヴィーナスだって、切羽詰まったらきっとこんな字だ。
これから母となろうとする人、母となり多くの経験を積まれている人、母だった時間を懐かしむ人、そして母を想う人。色々な人を想像しながら、とある35歳の女性が母になる直前のページをゆるりと綴る。
11月9日(火)出産予定日だった日
待望の出産予定日がやってきた。
実家から母も駆けつけ周囲も慌ただしい。教科書に出てくるような徹底した体重管理と妊娠中ずっと続けてきた胎教の成果を胸に、頭の中は既に「安産」の二文字でいっぱいだ。お気に入りのリモアに入院セットを準備して出陣の時を待つ。
ひとまず、午前中に予約していた産婦人科に向かう。
「うーん、予定日は今日かあ。子宮口がまだ全然だねえ。ちょっと延びるかもしれないね。あとねえ、、」
え、全然なの?もう産まれるんじゃないの?あと何?何何?先生何!?
「今ねえ、お腹の赤ちゃん、へその緒が首に巻き付いてるのよ、見えるかなーここ。」
へその緒?え、何?巻き付いてるとダメなの!?何か問題あるの!?
出産する気満々で来たのに、子宮口はまだ全然とか言うし、へその緒がどうのこうの言われて頭の中は軽いパニックだ。一呼吸置き、いつもの冷静な私を表に立たせる。
「・・・先生、へその緒が巻き付いてたら、どうなるんですか?」
冷静に考えれば、「へその緒巻き付けたまま出てきてごらんよ、そんなの途中から首しまるじゃん」て分かるんだけど、脳内の9割を「安産」で満たし、明日出産する気満々の妊婦はその答えに辿り着かなかった。
「そうだねえ、予定日は超える可能性もありそうだから、出産までに赤ちゃんが回転してくれれば、こう巻き付いているへその緒が解けるかもしれないけど。あ、わかる、ここ。1周半ちょっと巻き付いてるの。」
と、モニターを見ながら先生が詳しく説明してくれている。
「巻き付いたままだったら?」
「そうだねえ、安全のために帝王切開も考えないといけないけど、元に戻る場合もあるし、、明日また様子みて考えよう。」
マジカーーーー。
普通分娩でスルッポンと産んで、そのままカンガルーケアして、出産祝いの豪華なお膳食べて、至福の日々に浸る気でいるのに!!!
出産直前に、想定外のへその緒が彼女に巻き付いてるってよ。
お会計を待つ間、「破水したー」と旦那さんと慌ててやってくる妊婦さんもいて(後で親友となる人)、今から一体全体何をどうすりゃいいんだと、脳内は「へその緒」が占拠し始めていた。
授かるまでの不妊治療はすったもんだあったけど、妊娠してからは悪阻もなく毎日がハッピーでこの上なく順調にきた。
このまま今日明日に人生の大仕事を果たし、感動の対面と思いこんでいた35歳初産の妊婦は、ここにきて大ピーンチなのである。
病院を出た瞬間から、「へその緒はどうすれば解けるものなのか」という難問に果敢に挑んだ。そして、ある答えが出た。
そうだ!胎教!直接お願いしよう!!!
これしかない!!!
胎教に興味関心がない方は、「何にお願いするのよ」って思ったかもしれない。でも、十月十日前、子宮に宿った小さな奇跡は、その耳で母なる声を聞き、感じ、応答し、今まさに胎外に出てくる準備をしているのだ。
今日の診察のことも胎内で一部始終聞いていたはずだし、しっかり伝えればきちんと受け取ってくれるはずなのだ。帰宅してすぐ、ボッティチェッリのノートを開き、先生の説明を書き留めた。
母にも主人にも診察の報告を説明し、今からお腹の赤ちゃんに絵を見せて説明する!と伝えた。
二人はこの時どんな表情で妊婦の熱弁を聞いてたのだろう
全く覚えていない。
「うーん、とりあえず時間だから、焼肉でも行こっか」
焼肉を食べたら陣痛が起こるというジンクスを信じ、予約していた焼き肉屋さんにみんなで向かった。
我が子よ、今こそへその緒をほどきたまえ。
母は予定通り出産するぞ!
中編につづく。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?