短編【あれ以上のもの】

二九歳の今年、俺は不動産会社を解雇された。
新卒採用で営業職として七年間勤めた。会社は二年連続の赤字決算でリストラ開始が噂されていたけど俺がそのリストに入れられているとは思ってもみなかった。

大学時代はバンド活動にあけくれた。二年生のときに大学内で出会ったメンバーと組んだバンドでプロを目指し積極的にライブ活動を行った。俺はギター・ボーカルだった。ワンマンではなかったが夏休みには主要都市のライブハウスを回るツアーの真似事もした。

四年生になったころからメンバー間に微妙な齟齬が生まれ、卒業を半年後に控えた夏休み前のバンドミーティングでドラムとベースが就職活動をしていたことを聞かされて解散が決まった。
「裏でこそこそしてるようじゃ、バンドだけじゃなく、仕事だってうまくいかないだろうよ」
最後のバンドミーティングで俺がメンバー二人に言った言葉を思い出した。解散を決めたミーティーング以降、二人とはまったく話さなくなり、卒業後も俺から二人に連絡することもなく、音信不通が続いている。

俺には四歳上の兄貴がいた。
中学生のころ俺はしばしば兄貴の部屋に忍び込み兄貴の持っているCDを聞いた。その日も学校から帰った俺は例によってCDを物色しようと兄貴の部屋に入った。兄貴は高校で部活動をしているから俺より帰るのがいつも遅い。
兄貴の部屋に入ると机の上に何枚かのCDが積み上げられていた。上から手に取りジャケットを眺めていると四枚目のCDに目が止まった。五人の革ジャンを来た長髪の白人が写っている。革ジャンのサイズは明らかに小さめだった。
CDデッキに入れてスタートボタンを押す。ギターの音、続いてドラムが鳴りはじめた。イントロが終わると癖のある高音のボーカルが参入してきた。
決してうまい演奏だとは思えない。俺にも作れそうな曲だと思った。作ろう。こんなギターを弾こう。完全に気持ちを持っていかれた。
兄貴の部屋に勝手に入ったことがバレるといつも殴られた。二回通してCDを聴いたあと、俺はCDをケースに入れ机の上に積み上げられたケースの上から四枚目に戻して兄貴の部屋を出た。それから三ヶ月。小遣いを貯めてそのCDを買った。

今の一人暮らしの部屋にDCプレイヤーはない。小遣いを貯めて買った当時のCDも実家に置いたままだ。俺はさっきまで触っていたパソコンの画面を就活サイトから動画サイトへ切り替え曲を検索した。
アルバムジャケットの静止画が画面に映し出されている。ぴったりした革ジャンを着た長髪の四人。ギターが鳴った。瞬間俺は立ち上がってエアギターをはじめた。歌に入ると一緒にうたった。マイクの位置など無視した動きでうたいながらエアギターを続けた。汗をかきながら激しく動き続けた。

これだ。この感覚。なぜ捨てた? なぜやめた? いや、そもそも捨てるとかやめるとか、なんだそれ? 俺にとっての音楽とは思い出にすることを前提とした青春のアイコンに過ぎなかったのか? 
スマホにはまだあいつらの連絡先が残っていたはずだ。
曲がアウトロに入ると俺はエアギターをやめてスマホを手に取った。

メッセージ用アプリを開いたとき、音楽が終わったあとの動画サイトのからCMの音が流れてきた。

「♪〜バイト探しならバイターンにおまかせ〜♪」「こんなバイトもあるんだ!」「短期バイト探してたからうれしいー」「長期でじっくり働けるところもあるのかあ〜」

俺は何のために二人にメッセージを送ろうとしているのだろう。最後の捨て台詞を詫びたいのか。二人に詫びて欲しいのか。近況が知りたいだけなのか。幸せであってほしいのか。不幸であってほしいのか。一体何を知りたいんだ。

俺はスマホをポケットにしまい、汗ばんだままで外に出た。
今日はリキュールではなくビールを買う。コンビニに向かった。

中高生の頃はCD一枚を買うために一喜一憂していた。
今の俺は無料動画で検索して曲を聞いている。

歩いて少しするとさっきの興奮も汗も一気にひいていくのがわかった。
兄の部屋に忍び込んでこっそりCDを聴いていたときのような興奮を得られる何事も俺の人生にはもう見い出せない。

ー了ー

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