π乙vs娘
娘は、兎に角ミルクの方が好きだった。この時点で母親として最大の武器誇示の「おっぱい」序盤で消え去った(笑)
ただ、不妊治療の際
「母乳を分泌するホルモンのバランスがよくない」と医師から言われていたので、なんとなく「わしの母乳はホルモンバランスが悪いせいで栄養がない。あるいはマズイんだな。ならば、ここは安心の栄養価を保証してくれるミルクパイセンだな。」と思考を切り替えられたのは、結果的によかったと思う。食事療法など独自に拘れば上手くもいったかもしれないが、メンタルセンサーが作動した。それ産後鬱コースだと…。ここでも負担にならない育児をしていきたい。ここ私のメンタル潰れたらダメなやつ!!気の持ちようは、結婚後に患った鬱で経験済みなので、鬱になりそうなことは極力回避思考が常に働いた。
ミルクにも勿論デメリットはある。荷物が重いのと娘と二人で外出した時にミルクを作る時間に娘を泣かせっぱなしにしなくては、ならない時があったことだ。
あと物凄く忘れっぽいので、軽量ミスも何度かやらかし、めっちゃ濃いミルクやなんだか薄いミルクも飲ませた気もするけど、しっかり娘は飲んでくれるよい子だった。なので深夜や、寝不足を感じた時はミルクケースに計量したミルクの粉を入れ(目もりも付いていたのでわかりやすかった)その時間の授乳に備えていた。お湯もいちいち授乳の度に沸かすのが面倒なので、魔法瓶を購入し、2~3回分のミルクの量の湯冷ましを入れていた。
でも、周りは圧倒的に母乳派が多く外出時の授乳は授乳ケープの使用も抵抗があったので、ミルクをせっせと用意してたのはちょっと肩身が狭かった。
それに加え、最初は、吐き癖が半端なく入院中もやたらと吐いてくるまってたバスタオルを交換したのも1日に何度もあり(2枚持ってくるようにという指示の限界を突破して吐いてたので、最後は産院のバスタオルにくるまれていたり、産着もなんかバスタオルを無理矢理加工したものを着ていたことがあった(入院中は産院の産着を着ていました。病院ロゴは入ってるけどシンプルで使いやすかったので、昔はよくパクられてたらしい)ミルクの量を増やす時は、授乳間隔や吐く量も考えて慎重に増やしていった。
最初のうちは乳頭混乱を起こし哺乳瓶を受け付けなくなるという事態を避けるために外出先も母乳→ミルクを徹底していたが、ミルクを飲ませる時に授乳室の個室を使うのは、ちょっと罪悪感が出てきたし、いちいち部屋を切り替えるのも面倒なので、離乳食が始まる頃には外出時は完全ミルクになった。
幸い離乳食は、概ね順調に進んだので離乳食→ミルクになった。それでも母乳は中途半端に出るのでおやつ代わりや間食になりおやつを始めた頃には寝る前だけになり、感慨深いエピソードはまったくない。
ミルクも離乳食の量を増やすタイミングで10CCずつ減らしていき、麦茶を上手に飲めるようになった頃に日中は卒業し、夜間も1歳を迎えた夏風呂上がりに火照った身体を冷ましてる間にいつの間にか娘が寝落ちてた時に。ミルクも卒業した。この時にフォローアップミルクと貰い物のミルクのキューブが大量に余ったのだが、ミルク味が好きだった娘の為に全部ホワイトソースと化した。
エピソードに事欠かない育児だったとは思うが、離乳食と卒乳だけは感動もなくあっさり過ぎ去ったので、こうして文章に纏めてみても短く終わってしまった。
新シリーズ「●●vs娘」はじまりましたよー。次回もお楽しみ。