私がSDGsを憎んでいる理由。あるいは環境問題を押しつけられ、環境問題に使命感を持ち、環境問題を学び、就職先が全然なかった私たちを弔ってほしい話。
Disclaimer
本記事は初出2019年9月6日であることからも明らかなように、小泉進次郎衆院議員が環境大臣に就任(2019年9月11日)する前に執筆したものであり、国連気候アクション・サミット2019における小泉大臣のセクシー発言(2019年9月22日)やグレタ・トゥーンベリさんの演説(2019年9月23日)にも先んじて公開されたものです。論争に後から便乗した記事ではありませんのであしからず。
前フリ
しばらく前に、私の友人である変態書籍編集者今野さん@aikonnorから、氏の担当した新刊をいただきました。『読みたいことを、書けばいい。』という田中泰延さん@hironobutnkの処女作です。昨今の偏った文章術をすべて中和してニュートラルに戻してくれる、表現のルネサンスだと思います。文章術じゃなくて、人生についての本。その後めっちゃ売れて、既に5刷15万部だそうです。すご。納得。私がこれを受け取ったのは、他の読者さんとは違った重い意味があるのですが、それは別な機会に改めて書きます。
さて、いただいた御礼に『読みたいことを、書けばいい』の感想文でも書こうと思ったのですが、感想文よりも、私が「読みたいことを書いた文」を読んでもらったほうが、著者の田中さんも、変態編集者今野さんも喜んでくれるらしいので、以下の文章を書きます。読了から2ヶ月くらいたってから書くのは、他の原稿に追われていたのと、読みたいことを吟味していたのとです。
書くのは、私の人生の4/5くらいを捧げた、「環境問題」についてです。結論をまとめると、「子ども時代に環境問題を親世代から押しつけられ、環境問題について使命感を持ち、環境問題を専門的に学んだにも関わらず、環境問題に関する就職先はほとんどなく、はしごを外された恨みを根に持っている」「環境問題から目をそらし続けてきた大人が、流行りに乗じてSDGsをビジネスに借用するのには欺瞞を感じる」の2点です。
同じような経験をした、同世代の環境系専攻出身者に捧げます。これが私の人生の大半なので、書き残すのは胎盤をはがすような気持ちです。
趣味はゴミ拾い、環境厨だった幼少期
私と環境問題の邂逅は、小学3年の時までさかのぼります。80年代までの野放図な製造業隆盛の負の遺産として環境問題がクローズアップされるようになった、90年代前半のことです。手塚治虫も宮崎駿も「文明⇔自然」という構図を遠慮なく刷り込んでいましたし、ドラえもんの大長編すらヒステリックに環境保護を説法していました(アニマル惑星、雲の王国など)。
ある日、母が図書館で、環境問題に関する児童書を借りてきました。『地球のともだちエコーマン』(うろおぼえ、絶版で情報なし)という本で、アンパンマンのアンパンを地球に置き換えた安直な外見のヒーローが主人公、地球が汚染され資源が枯渇することを嘆き、地球を救うストーリーです(うろおぼえ)。私はそこで、「石油が40年分しかない!地球に寿命がある!世界は終わる!ヤバい!」と子どもながらに危機感を感じました。それまで将来の夢的なものがなかった私は、地球を救う使命に突然目覚めます。
公害、自然破壊、大気汚染、水質汚染、資源の枯渇、ごみ問題…ゲゲゲ!他の本も漁るように読んで調べました。学校の調べ学習も環境環境環境、文集の将来の夢は「環境庁長官」になりました。放課後の遊びが「近所のゴミ拾い」になり、最初はつき合ってくれた友達にも断られ、一人で草むらに分け入って空き缶や吸い殻を拾っていました。ゴミが安定的に供給される素行の悪い工事現場は宝の山です。不法侵入して怒られたりもしました。その後、「環境庁長官は政治家がなるものだ」と親に言われ、政治家になりたいわけじゃないな〜と思い、将来の夢は「環境庁副長官」になりました。
中学生のころ、反抗期は環境問題なんて一旦忘れていたのですが、高校の文理選択のときに「やりたいことってなんだっけ?」と思い返して、環境に出戻りました。文系科目のほうが得意で好きだったのですが、「環境問題は科学の問題だから、理系に行ったほうがいい」と教師に助言され、高校の理系偏重の雰囲気にも押され、無理やり理系に進学しました。理系科目は本当に苦手で苦労しましたし、文系側から環境問題に関わる方法はいくらでもあったので(むしろ理系は専門に閉じて狭くなりがち)、これは今も少し後悔しています。高校時代は勉強が楽しくてしょうがなくなってしまって、ガリ勉に邁進し、東大に滑り込み合格しました。前期試験の数学は完答ゼロです。
環境問題のクイズを4000問作った大学時代
当時、大学には環境系のサークルがいくつかありました。私は幼い頃から積み上げてきた環境問題に関するプライドが高すぎて、それらのサークルに入れませんでした。「こちとら9歳から使命を感じてるんだ、キャッキャウフフで環境を語る中に入るなんてゴメンだぜ」と思いました。ひどい偏見、ひどい同族嫌悪です。本命の女の子にいつまでも告白できない、こじらせ系みたいな心境だと思ってください。
環境問題について学べる専攻は数多くあるのですが、大きく分けて、工学系か、自然系かに分けられます。前者は人間の営みから環境負荷を減らすアプローチで、後者は破壊の対象である自然を守るアプローチだと理解しました。人間の営みに向き合うと「人類がいなくなったほうが地球のため」というディープエコロジー的な結論に陥るので、自然と向き合ったほうがいいかなと思い、理工系で入学しながらも、3年次に農学部に進学しました。理工系の勉強に、入学早々についていけなかったのも一因なのは内緒です。学部は「地域環境工学専修」で、修士は「生物環境工学専攻」です。当時は「環境とあまり関係がない専攻でも、専攻名に環境というワードを付ければ志願者が微増する」という風潮があったのですが、大御所の先生方がそんな流行に乗ってしまうほどに人気のない農業工学系の専攻でした。専門はバイオマス(エネルギー)です。
そこに「下宿の裏の川が汚くて環境問題に危機意識を感じた」と言って、文系から理転して同じ学科に進学してきた同期がいました。彼がある日、環境問題を勉強する会を作ろうと言い出しました。残りの学生生活も短くなってきた私は、「そろそろ環境に関わってやってもいいか…(大四病)」と思い、仲間に加わりました。経緯は割愛しますが、そのサークルは「環境問題に関するクイズを5000問、携帯サイトで配信して啓蒙活動をする」という環境省のプロジェクトに関わることになり、環境クイズ作成委員会を組織し、大学院を卒業するまでの青春3年間を捧げました。当時は「京都議定書」とか「クールビズ」とか「チームマイナス6%」とか言って、環境問題が再度そこそこの盛り上がりを見せていたのです。昭和のオイルショックや公害からの環境意識とは違って、気候変動が話題の中心でした。
委員会でクイズを一番多く作ったのは私です。小学生以来のウンチクを一斉放出しましたし、絶好の勉強機会だと本を片っ端から開いてクイズ化しました。ちなみに1つの分野でクイズ5000問というのは間違った多さで、どんどんマニアックで難しくてつまらないオタク問題ばかりになります。難問はユーザーのためにならないという意見さえ耳に入らず、私はクソ問を量産しました。
あまりヒットはしなかったのですが、ユーザーが1万人強まで増えたのには手応えを感じましたし、ときの環境大臣小池百合子氏がタクシーに乗りながらクイズを楽しんでくれているという朗報を耳にしただけで、ゴミ拾い坊やだった私は昇天する思いでした。ちなみに5000問には到達できず、4000問強で力尽きてしまいました。それでも学生コンペで環境大臣賞と100万円をもらい、プロジェクト運営で様々なスキルを体得し、満を持して就職活動をすることになります。
素直に環境省を目指せばよかったのですが、環境省は受けませんでした。ここでも本命の女の子に告白できない病です。告白してフラれるくらいなら告白しないほうがいい、というこじらせっぷり。というか、単純に環境系の国家一種の試験科目と私が専攻で履修し内容が噛み合わっていなかっただけです。それほど用意周到に人生を選べなかった、選びたくなかったのでした。ちなみに農林水産省は受験して落ちました。
環境系の就職先、全然ないじゃん問題
ここからが本題です。
「しゃーない民間で就職するかー!」と大手就活サイトのアカウントを作り、「環境」というワードで検索したら、数十件くらいしかヒットしませんでした。ここでハッと気づいたのが幼稚極まりないのですが、10年以上使命として握り続けておきながら、「環境に関わる仕事はほとんどない」という事実をようやく知ることになります。経済活動がなんらかの環境負荷を排出する以上、環境(Ecology)と経済(Economy)は基本的に相反するので、環境ビジネスというのは本当に限られた条件でしか成立しないのです。
①環境省、自治体の専門職
②環境ベンチャー、環境コンサル、シンクタンク(数少ない)
③環境系案件を扱う政府系金融機関
④エネルギー、資源系企業
⑤商社等の環境ビジネス部門
私のイメージに近い仕事はもっぱら上記くらいしかなくて、しかも席が超少ないのです。環境が専門じゃない人も採用される一方、全国の環境系専攻から排出されるエコ学徒は毎年数千人以上います。私は②&③を第一志望群、④&⑤を第二志望群にして、作戦を考えました。
リクナビで「環境」と検索した私にとって幸いだったのは、そこでサイト内でも当時最高クラスの初任給(わけあり)を提示していた、米国デュポン社日本法人の求人を見つけたことです。会社の経営理念にもサステナビリティ(≒私がいうところの環境)が挙げられており、他の会社に比べて建前度が低そうに見えました。農学部生がガチの工学系メーカーで通用するとは思えなかったのですが、試しに応募してみたらトントン拍子で選考が進み、内定をもらい、環境系のビジネスに関わらせてくれそうだったので、入社することに決めました。コンサルやシンクタンクは落ちたところもあり、デュポンもダメだったら行きたいところあんまりないな〜総合商社とか社風に付いていけなそうだしな〜というのが私の就活戦線でした。
デュポンでは太陽光発電パネルの寿命推定や故障解析の研究開発に数年従事しました。「夢が叶った!」ということで、やりがいは最高潮です。「小学生の頃の夢を叶えた自分」にちょっと酔っていたりして、浮ついてもいました。ところが結局、「サイエンス」と「会社のビジネス」という解けない連立方程式に頭を悩ませ、真剣に考えすぎてウツ病になり、休職を経て退職をしてしまいました。ちなみに100社集まる太陽光発電の官製コンソーシアムの専任でしたが、エネルギー問題や環境問題なんて誰も考えていなくて、ひっそり絶望しました。みんな、コンソーシアムに乗じて、いかに自社の製品を売るかしか考えてなかったわけです(傍から見れば私もそう見えたでしょうが)。※振り返って総合的に考えると比較的、デュポン社はサステナビリティに正面から向き合う真面目な会社だったなと思うので、そこは身内びいきで弁護しておきます。
これは脱線ですが、その後、太陽光発電の業界は固定価格買取制度という市場経済を盛大に歪める政策を打ち出したもんで、儲からなかったものが下駄を履いて儲かるようになり、それに目をつけた質の悪い飛びつき参入業者の草刈場になり、買取価格が下がるにつれて退潮し、将来的に負の遺産になりそうなヤブ施工事例が散見される、不毛な業界になってしまいました。若い私があれ以上さらに使命感を燃やしたところでこの流れはどうにもできなかったと思えば身を引いたことに後悔はないのですが、なんで志も関心もない参入業者に束の間の利益さえ刈り取られてしまうことになったのか、やるせない気持ちがほんのり残っています。
退職したので転職活動をするわけですが、環境系の求人が少ないことはここでもネックになりました。あまり儲かる業界ではなく件数自体も少ないので、ほとんど選べないように感じられました。結局シンクタンクやコンサルからもらった内定を蹴って、「フリマ=エコ!」だと思って、創業当初のフリマアプリ企業で働いたりもしたのですが、ウツ病み上がりの私にはベンチャーの勢いについていく体力が足りませんでした。
この辺で、「環境」を仕事にすることにしがみつけばしがみつくほど選択肢を狭め、自分を苦しめていることに気づくわけです。夢を諦める決断をして、泣きました。筆を折った小説家の卵、ブレイクできなかった芸人、いわゆるワナビー勢の気持ちが少しだけ分かります。
その後2年くらいの苦しくもわがままな自分探しを経て、なぜか農家の従業員になり、農業界に見出してもらい、フィットして楽しく仕事をしています。主観ですが、環境系業界に残っていたままの人生より、はるかに好調だと思います。これはこれでもちろん幸せですが、環境に関する話題を目にするたびに、今でも後ろめたい思いがあります。
ちなみに私の「環境問題に使命感がある」は、「現代の良いものを次世代に残したい」と読み替えられます。残したいもののひとつに農業があり、現在の日本の農業は地球の寿命より早く自壊してしまいそうに見えるので、まずは「農業を残せるように頑張ろう」というこじつけで、今と昔の使命感をつないでいます。地球の寿命問題が仮に解決したとしても、別な理由で次世代に伝えたいものが消滅してしまったら意味がないので、後者側に回ったと解釈しています。意味わからなかったらすいませんが、自分を納得させる表現はこれくらいしかないのです。前者側、つまり地球の寿命問題は私の知恵ではまったく刃が立たなかったので、もっと優秀な誰かに譲った気持ちでいます。誰か!
私がSDGsを憎んでいる理由
さて、私が農業経営と数年格闘しているうちに気がついたら、SDGsという新語が市民権を得ていました。Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)といって、国連サミットで新しく採択されたという、サステナビリティ(≒私がいうところの環境)に関する目標です。SDGsに関連する会合やセミナーが無数に開催され、大企業を中心に、SDGsに取り組むと宣言している会社も増えました。
持続可能な開発目標(SDGs)とは,2001年に策定されたミレニアム開発目標(MDGs)の後継として,2015年9月の国連サミットで採択された「持続可能な開発のための2030アジェンダ」にて記載された2016年から2030年までの国際目標です。持続可能な世界を実現するための17のゴール・169のターゲットから構成され,地球上の誰一人として取り残さない(leave no one behind)ことを誓っています。SDGsは発展途上国のみならず,先進国自身が取り組むユニバーサル(普遍的)なものであり,日本としても積極的に取り組んでいます(日本の取組(PDF))。
SDGsとは? | JAPAN SDGs Action Platform | 外務省
https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/sdgs/about/index.html
本来ならSDGsに心酔しそうな私ですが、表題のとおり、SDGsに対して憎い気持ちを個人的に抱いています。だって、SDGsって、我々が幼少期に刷り込まれた環境問題、00年代に話題になった京都議定書関連の話、それらの焼き直しですよね。企業や政府のイメージアップ、いいことごっこに担がれた挙げ句、ブームが去ったときにみんな手を引いた話ですよ。我々環境学徒が就職先を見つけられずに絶望して黒歴史として封印したやつの(何度目かの)転生ですよ。
SDGsには期待よりも既視感のほうが強くて、嫌気が差しているんです。だって、SDGsって言っている人ほど、SDGsを真剣に考えていないですよ。地球の持続可能性をどうにかするなんて、今からあなたがメジャーリーガーになってイチロー以上の成績を全部塗り替えるより遥かに難しいですよ。本気で考えているんだったら、そんな涼しい顔していられないはずです。どーせ、達成できない目標だと割り切っているから、SDGsごっこができるんだろうと思ってしまうわけです。だから私は、大企業の芸者遊びみたいなSDGsが今は嫌いです。そんなにSDGsやりたいなら、環境専攻の学生を1人でもちゃんと雇って、担当させてあげてくださいよ。夢破れた学生すらサルベージできないで、地球単位のことなんて掲げないでほしいと思うわけです。これは、環境系の専攻、大学側にもちゃんと向き合ってもらいたい話です。だいたい、「大人のツケを子ども世代に払わせようとする」環境教育なんて、そもそもおかしいじゃないですか。子どもに教育する前に、自分の生活見直してくださいよと。
オチは特にありません。「SDGs嫌い」というだけです。私が講演で「昔は環境系の学生でした」と自己紹介すると、たまに「私もそうだったんです」と名乗り出てくださる方がいます。でも、みんなmixiの日記と一緒に環境ヲタ歴も葬っているからでしょうが、私がここまでつらつらと書いたような怨嗟の声を聞きません。今ごろ我に返って、「人生狂わされたよ!ふざけんな!」って言ってもいいんじゃないでしょうか!そういう、環境や自然に使命感や好意があったのに、はしごを外されて違う人生を歩んで恨んでいる人たちと、鬱憤を分かち合いたいなと思って、私の『読みたいことを、書けばいい。』とさせていただきます。
P.S. 冷静に読み返すと「青いな〜!」に尽きますね/(^o^)\
追記①(2019.09.08)
思ったより多くリアクションをいただいたので、少し追記させてください。
糸井重里さん😮😳😂🤩🤪🎉!!!『読みたいことを〜』を読んで、田中さんや糸井さんのような面白い文章に、どうしたら少しでも近づけるか意識して書いた実験的な私信だったので、とても嬉しいです。糸井さんに褒めていただいたら、私の2019年はもう終わりでいいな〜。明日蕎麦食べて紅白見て目覚まし時計をつけずに寝たい。
どうしたら「ユーモア」で「言いたいこと」を糖衣できるか、「実用的」っぽそうに見せて「主観的体験」を伝えるか、『読みたいことを〜』をとても意識しました。
ガチで自分の読みたいものを書いてしまったので、書いた後3時間寝られず、自分で何十回も読み直してしまうことになりました。今日の仕事中も、自分の産み落としてしまったこの文章のことばかり考えてしまいました。
読みたいことを書くってそういうことなのかなと思います。何度も往復しているうちに誤字を見つけ、付け加えたいオシャレな言い回しも思いつくのですが、初稿のインスタントなヒリヒリ感が抜けてしまいそうで、手直しできませんでした。説明不足があるのは認めるので、後で追記はするかもしれません。
「弔ってほしい」と題に書いたように、環境に関して誰かに何かを求める気持ちは既にありません。だから、過去や将来のことを議論したいわけでもありません。ただ自分の過去を総括して、慰めてあげたかっただけなのです。ここまで書くのに5年かかりましたし、次の船に乗ったから書けた感覚もあります。
『読みたいことを、書けばいい。』の担当編集者今野氏は、aikoに関する偏執狂です。変態であることをキモ嬉しがっている様子が自分と重なる気がして、偏愛がないか内省して思い出したのが環境問題でした。「佐川:環境問題 ∽ 今野:aiko」です。(意味不明)
(参考)拝啓2018年9月13日のaiko様|aikonnor|note
https://note.mu/konnor/n/n5000eb1d92d3
追記②(2019.09.08)
私の山月記を読んでくださったみなさん、ありがとうございました。Twitter/Facebookでは100件以上コメントいただきました。noteでは200いいねが集まりました。大学時代にお世話になった教授から無言の梨の注文もいただきました😂台風は…来ないで…😂
noteの機能を使って予想外に頂戴した数件の投げ銭の使い道はどうしようかなw 拙い勝手な内容でしたが、誰かの琴線に触れたのは素直に嬉しいです。いただいたコメントにレスすると、議論になってしまいそうなので、釈明したほうがよさそうなこともありますが、とりあえずこの感じでお願いします。
私が今、「農家の経営課題」「農家の経営改善」をまだまだ実現可能だと思ってポジティブなメッセージを発信し続けしているのは、環境問題に頭を悩ませ、20年を捧げた経験に起因しています。環境問題という解のない無理ゲーよりは、救いようがあると思えてしまうのです。(※私はその一部の太陽電池の寿命を伸ばすことすら解を見いだせなかっただけですが)
事実上の無理ゲーをブレイクスルーしようともがくより、「やれば(なんとか)できる(かもしれない)」ことの実現ルートを考えるほうが100倍楽なのです。絶望したからこそ湧いてくるエネルギーもあります。
とはいえ「目標立てただけで自己満足しては画餅」なのは、SDGsも農家の経営改善も一緒です。私も「農家の経営改善ごっこをしているだけ」ということにならないよう、内実と前進にこだわりたいと思います。(同じ思いで農業経営に向き合う意気のあるみなさん、一緒にがんばりましょー😊)
勝手に投げ出した割には自己憐憫が過ぎるので、客観的に読んでもイラッとするのは訳ないなと思います。すいません。これは私の山月記です。李徴ほどの実績&能力すらもないですけど。。
教科書頻出の『山月記』って、自意識高い「こじらせ男子」の話だったの!?有名進学塾の国語教師が、「有名すぎる文学作品」のトリセツを伝授 - honto+
https://honto.jp/article/business/sangetsuki_bungaku.html
最近は農業経営云々とイベント告知だけを流し続ける壊れたスピーカーみたいになっていたので、少しエッセイっぽいことを書いてみたくなったわけでした。農家の経営改善しか頭にない奴、講演ビジネスのために興行に走っている奴、ではないよと思ってもらいたかったのです。
環境の話は単なる私的なノスタルジーなので、月曜からは仕切り直してまた農業分野でがんばります!読んでくださった皆さん、ありがとうございました\(^o^)/環境方面から読んでくださった皆さんに、もう一度、本業の話題でエンカウントしてもらえるよう、がんばりたいと思います🔥
追記③(2019.09.08)
* 環境にかぎらず、国際協力や地域活性あたりの、職業としての受け皿が小さい「社会貢献」はほぼ全て同じだと思います。もちろん誰でもヒーローになれる資質を持っているわけではないので、自己陶酔乙なのですが、環境系の専攻が「地球を救うヒーロー」的なイメージで学生を勧誘しているのは、就職という出口戦略とは明らかに乖離しているので、ミスマッチの温床だと思います。
* 私の能力不足、努力不足、判断ミスの指摘がありましたが、それは大いに認めます。恥の多い人生をわざわざ引き合いに出してしまいました。すいません。ですが、文意は、相対的に視界が良かったと思われる私ですらこの調子なので、他の大半の環境系学生にとっても同様に厳しかっただろうという想像力を働かせてほしいところです。
* 環境教育に関して私があまり大学を責める気にならないのは、「環境系専攻に所属する学生の8割以上は環境に無関心」という事実があって、お互い様だからです。教授陣からすれば「お前らもっとちゃんとやれよ!」という感覚のほうが強いはずで、私のような環境原理主義者のほうが外れ値かもしれません。
* 勝手に期待して勝手に失望するなという話ですが、90年代の環境教育と「社会貢献=善」という刷り込みは、勝手に期待させるだけのものがあったと思っています。ゆとり教育と一緒で、つかの間の好景気から生まれた上澄みの余裕だと思うのですが、学生たちが着地する頃には不況で足場がないという。小さい頃から社会貢献を意識づけられたのに、いざ社会に出るときには虚空に放り出されるというのは残酷だよなぁと、下の世代の若者を見てさらに強く思います。
* あと、90年代までの環境教育は、環境問題の成れの果てを地獄絵図みたいに描きすぎたのもよくなかったのではないかと思っています。たぶん今の教育内容とはテイストが少し違うと思います。あれはヒステリックな脅迫で、一部の真面目な子どもにはショックが強すぎたのではないでしょうか。もう少しマシな帰着があるかもしれないのに。冷戦の世界観が下敷きとして効きすぎていたのだろうと思います。まぁ、レイチェル・カーソンの『沈黙の春』を筆頭に、過激かつ悲観的じゃないと伝わらなかったのかもしれませんが。大人がショックを受けるのは自業自得としても、子どもにまで押し付けるのはどうなのかなと。
* 小さいころ、好きだった特撮番組やアニメに最終回があるのが不可解かつ大嫌いでした。着ぐるみやセットさえ本物としか思えないくらい没入してたのに、ストーリーの続きはパラレルワールド、自分で妄想するしかないなんて。そんな私が環境問題を知ったときの衝撃は…「え?(僕がいる)この世界も最終回あるの?みんないなくなっちゃうの?…マジで?」です。9歳には号泣ものですよ。色々書きましたが、私の環境に関する原体験はこれに尽きます。
* 似た体験で言えば、転校も泣いた。あれも最終回。しかも自分1人だけ。SDGs嫌いなんじゃなくて、最終回嫌いなんですね。現世&現在に愛着が強い。
* トップのカバー画像はSUNTECHという中国にあった当時生産高世界一だった太陽電池パネルメーカーを訪問した2012年のものです。10年前の時点で既に日本では作れないような巨大パネル工場を作っていたのですが、SUNTECHの覇権は短く、その後まもなく潰れました。7年前、新卒3年目でウツ病になる少し前の私です。
追記④(2019.09.09)
* 『ハチドリのひとしずく』な意識で関わられている志あるみなさんの活動を私は心から尊敬します。みなさんが諦めていたら、もっと良くないシナリオだったと思います。40年しか保たないものが41年保つようになるだけでも、できることはやったならそれでいいと思います。私も自分なりに続けます。いつも妻のゴミ分別を注意して夫婦関係に不和を招いてしまうほどには、うっかりペットボトルキャップを集めそうになるほどには、草の根感覚も抜けません。
(ハチドリ感覚と昨今のSDGs感覚がどれほど重なるのかは、それぞれの感覚だと思うので、おまかせします。私の中では…お察しです)
森が燃えていました
森の生きものたちは われ先にと 逃げて いきました
でもクリキンディという名の
ハチドリだけは いったりきたり
口ばしで水のしずくを一滴ずつ運んでは
火の上に落としていきます
動物たちがそれを見て
「そんなことをして いったい何になるんだ」
といって笑います
クリキンディはこう答えました。
「私は、私にできることをしているだけ」
いま、静かなブーム!ハチドリのひとしずく [ボランティア] All About
https://allabout.co.jp/gm/gc/50932/
↑はまさに私が環境クイズを量産していた2006年の記事ですね。
* 環境問題って、そこそこ解決しているんです。昭和のような公害や酸性雨の被害は少なくなりましたし、車の排ガス削減や燃費は劇的に改善しましたし、〇〇汚染は随分と耳にしなくなり(オリンピックの東京湾問題で久しぶりに耳にした)、街のゴミはほとんどなくなりました。ゴミ拾い坊やも安らかに眠っていることでしょう。枚挙に暇がありません。ここまでの足取りは大勝利だと思いますし、有形無形の尋常ではない努力と犠牲の上に成り立っている現在です。もっと声高に成果が認められていいと思います。基本は敗戦処理というか誰かの尻拭いなので評価を受けにくく、環境省や活動されている皆さんには、申し訳ないなと思いつつ感謝しています。
手応えが感じられないのは、エネルギー/資源/食料問題と気候変動という糸口さえつかめないラスボスが残っているせいで、一応まだバッドエンドのシナリオに乗っているからです。
* 資源エネルギー問題の出口が見えない状況で我々が何をできるかと言えば、とりあえずは無駄をなくすこと(くらい)だと思っています。政治とか経済とか犯罪とか誰かの私利私欲のせいで、ハチドリが何回も絶滅するような、どうしようもなく愚かで虚しい巨額のロスがあるじゃないですか。あれは減らせるんじゃないかなぁと。環境活動に従事するすべての人を萎えさせますし。
*「次世代に残したいものを残す」と↑↑↑の方で表現しましたが、残すべきでないものに貴重なリソースを使うのが一番もったいないので、「残すべきでないものを残さない」というのが最初にできることかなと思っています。「何を残すべきか」は各自の正義の話になり、調停が必要なので、賢い為政者が必要です。うーん。
* 「悪ではない無駄」も身の回りに沢山あります。私は、「経営感覚の薄い農業者が、農業経営で不必要に苦戦し続ける」ことは当人にとっても社会にとっても生産性が悪く無駄だと思っているので、なんとかしたいなと思って今の仕事をしています。
* LCA(Life Cycle Assessment)という考え方を知っていればSDGs絶対無理としか思えないので、SDGsな方々はどこに希望を持っているのだろう?というのは純粋な不思議です。LCA考えれば、焼け石に水どころか、環境活動自体すら負荷を排出しているケースもあるわけです。紙製ストローのほうがエネルギー投入とか資源使用量では不利かもしれないわけです。当方はそういうのを一周した上で戦意喪失しており、知識の上に成り立たないSDGsはやっぱり嫌いです。
* 答えがない難問に頭を悩ませてウツ病になったので、これ以上あまり考察を深められる感覚はありません。昔考えていたことをまとめてみただけでした。単なる私怨です。
* 20代の頃に考えたことを30代半ばになってから吐き出すと、読んでくださった方のニュアンスとの間に数年分のギャップがありますね。今の私は流石にここまで幼稚ではないし、結構遠い違うところに行ってしまって、そこに人生/人格という家を建てて根を下ろしてしまった感じです。不満が爆発して書いたわけではなくて、むしろ満たされている状態に至った今だからこそ後ろを振り返りたくなったのだと思います。
追記⑤(2019.09.09)
まだ大事なことを書き忘れていたた!!!偏見を恐れずに言うと、環境系の学生は(農学系もかな)概ね控えめな草食系でセルフイメージやプライドが高くないので、現実的な就職先が少ないという時点で、バレンタインにせっかくの手作りチョコを渡せずそっと持ち帰るJKみたいになりがちで、「ううん…いいの…私なんて…」てなります。自然とか生態系とかに親近感を感じて進路を選ぶ、ジブリ作品を好きそうな穏やか系の大学生が、急に武装して就活戦線に出て、椅子取りゲームやサバゲーで勝ち抜くこと自体、無理が重なっているなと思いませんか。
で、マーケットの広い専門外で一般就職しようってなると、はっきりした武器がないという点でさらに弱気になり、遊んでただけのパリピ学生と変わらないかもしれないとすら思って足が震えるわけですね。強く自己主張できないから、結果も芳しくないと。それもまたどこにでもある話ですが、ひとつの隘路であることは確かだと思います。
つまり、就職先がないという事実自体も十二分に自己責任化するので、就職先がないことに対して不平不満すら言わず、そっと胸に秘めて立ち去るんだと思います。だから、就職先がないことに対するクレームが世の中で表出しないわけで、それが元記事を書こうと思った私の動機です。
私はそんな環境系の同志にシンパシーを感じてしまうので、冷ややかに自業自得乙って言うの人たちには、ナンセンスというかバルス!と言いたくなってしまいます。(偏見ばかりですみません)
---追記ここまで---
---自己紹介(フッター)---
FARMSIDE works代表、阿部梨園マネージャーの佐川(@neo16tea)と申します。阿部梨園という栃木県宇都宮市にある個人経営の農園で、経営改善しまくった経験から、農業の現場はまだまだ改善の余地、伸びしろ、ポテンシャルあるよ!というメッセージを業界に向けて発信しています。『東大卒、畑に出ない農家の右腕』みたいな呼ばれ方もします。
阿部梨園で実施した小さな業務改善のノウハウを無料で公開する『阿部梨園の知恵袋|農家の小さい改善ノウハウ300』というサイトを運営しており、農業界でも生産技術以外のレベルアップ、そのためのオープンな情報共有が必要だと説いて回っています。同サイトはクラウドファンディングで支援者を募り、450万円(330人!)ものご支援をいただいて世に送り出されました。
阿部梨園の知恵袋|農家の小さい改善ノウハウ300
https://tips.abe-nashien.com
2019年1月にFARMSIDE worksという個人事業を立ち上げて、農家の経営改善に関する講演活動(年間50-100件程度)、コンサルティング、企業のアドバイザリー(6社)などを行っています。
FARMSIDE works - 佐川友彦|農業界の課題解決
https://farmside.work/
色んなメディアさんに取り上げていただいたので、よろしければ詳しくは以下の記事をご覧ください。最近は、ホリエモンこと堀江貴文さんに取り上げていただいて盛り上がりました!
【阿部英生×佐川友彦×堀江貴文】阿部梨園編〜ホリエモンチャンネル〜 - YouTube
https://www.youtube.com/playlist?list=PLPG9JWQYcjUu2P_-rBv8vAX6i3fcky-O9
(2018.09)【公開】東大卒「畑に入らない農家」のカイゼン500 - NewsPicks
https://newspicks.com/news/3300812
※有料会員限定記事ですが、一番詳しいです。けっこう話題になりました。
(2019.03)東大卒、デュポン、メルカリ経由で梨農園に飛び込んだ 「畑に入らない農家の右腕」の正体 (1/4) - ITmedia エンタープライズ
https://www.itmedia.co.jp/enterprise/articles/1903/14/news006.html
(2019.03)直売率99%、栃木の「阿部梨園」が経営改善のノウハウを無償で公開し続ける理由 (1/5) - ITmedia エンタープライズ
https://www.itmedia.co.jp/enterprise/articles/1903/18/news004.html