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誰も悪くない、切ないお話

誰も悪くないのに、皆が傷付いちゃうことってありますよね。どうも、地方テレビ局員のフクチャです。

今回は僕が小学5年生の頃のお話です。

僕の家族は教師の両親、3つ上の兄、そして僕たち孫の面倒を見てくれる父方の祖父母、計6人で暮らしていました。

そんなある日、別々の学校に勤めていた両親が、奇遇にも同じ日に修学旅行の引率に行かないといけない日がありました。

つまり、「両親が家を空ける」というビッグイベントが訪れたのです。

普通であれば「寂しい」が先行するでしょう。しかし、当時の僕にとっては「楽しみ」が先行しました。

理由は、「家族に僕の手料理を振る舞える」からでした。

当時の僕は家庭科の授業で料理を学び始めた真っ只中で、ご飯を作ることにどハマりしていました。昼ごはんや夜ご飯、いっつも母親の横で「なにか手伝えることはない?」と聞いていました。

「じゃあこの野菜を切ってくれる?」母親のお願い事に忠実に応えていました。しかし、火傷や怪我などの安全性を考慮し、イチから料理を作らせてくれることはまだありませんでした。

そんな中、両親が家を空けるという機会が訪れ、母親も「これは息子にイチから料理を託す良い機会」だと考え、「じゃあ、おじいちゃん、おばあちゃん、お兄ちゃんのためにご飯を作ってくれる?」と言ってくれました。

僕は「やるー!!!」と即答しました。

そんな経緯もあり、僕は両親が家を空ける一晩に、『激うまカレー』を家族に振る舞うことになりました。

優しい母は、さすがに僕が家から買い出しには行けないだろう(家から最寄りスーパーまで5キロくらい離れてました)ということで、前日までにカレーに使う野菜やお肉を買って準備してくれていました。

修学旅行当日、母は「じゃあ、夜ご飯はお願いね!」と少しばかりの不安と期待を込めた言葉を残し、京都に旅立ちました。

僕も学校に行きました。授業中、「僕が作ったカレーを大好きなおじいちゃんやおばあちゃんはどんな顔で食べてくれるかな?」とワクワクが止まりませんでした。

その日は惜しくも少年野球があったので、一度学校から帰宅しユニフォームに着替え、また学校に向かいました。

19時過ぎ、少年野球も無事に終わり、その日は雑談もせず急いで家に向かいました。授業に部活とクタクタでしたが、ワクワクの方が大きく急いで帰りました。

15分後、家に着きました。「ただいま〜!」僕は勢いよく玄関の扉を開けました。


…!


僕は嫌な予感がしました。

玄関を開けた瞬間、スパイシーな香りがしたのです。

急いでキッチンに行きました。

するとそこには嬉しそうな顔でカレーを作っているおじいちゃんがいました。

「おお、おかえり♪授業と野球で疲れて早くご飯が食べたいやろうと思って冷蔵庫ば見たら、ちょうどカレーの材料があったけん、カレーば作ってやったよ♪早く食べんね♪」

おじいちゃんの優しい言葉が刃物のように胸に突き刺さりました。

小学5年生の僕はクソガキでした。

当時の僕に理性があったら。当時の僕が「アンガーマネジメント」を知っていたら。

クソガキの僕はおじいちゃんの優しさを分かってやれませんでした。

「なんしよっと!?今日は俺が皆にカレーを作ってやるってお母さんと約束したとよ!勝手なことせんでよ!もう嫌い!俺は絶対そのカレー食べんけんね!」

僕はおじいちゃんに辛い言葉を浴びせてしまいました。

今思えば、僕の料理を振る舞いたいという熱量はどこまで家族内で共有されていたか分かりません。きっと几帳面な僕の母親のことなので「おじいちゃん、今日はフクチャがカレーを作ってらしいですよ」と伝えてくれていたとは思います。

でも、当時の僕がそこまで作りたがっているということまではお母さんとおじいちゃんの中で共有されていなかったでしょう。

おじいちゃんは「疲れた孫に早くご飯を食べさせてあげたい」その一心でカレーを作ってくれていたのです。


それから僕は引くに引けず泣き出してしまいました。本当にクソガキでした。

「俺作り直すから、じいちゃんスーパーで野菜とか買ってきてよ!」

僕はおじいちゃんに最低の提案をしました。

おじいちゃんは「ごめんね、肉とルーは余ってるけど、野菜は無くて… 行ってあげたいけど、もう8時近くてスーパーは閉まっちゃうし、5キロも歩けるかな…」と困惑しました。

「じゃあもうこのまま何も食べずに寝る!」強がる僕に対しておじいちゃんはこう言いました。

「わかったよ、それならおじいちゃんが近所の人たちからお野菜とかを集めてくるから待っててね」と。

約15分後、おじいちゃんは帰ってきました。

「ほら!カレーに必要な人参とか玉ねぎをもらってきたよ!」と、本当に夜遅くに近所の人たちから野菜を集めてきてくれました。

「…ありがと」

僕は遅めのカレー作りを始めました。

そして9時手前、僕はなんとかカレーを作り終えました。

優しい祖父母は自らが作ったカレーは食べず、僕が作ったカレーが出来上がるまで待っててくれました。

「いただきます」僕と祖父母、そして何も知らず2階で寝ていた兄の4人でカレーを食べました。

「ん〜!フクチャが作ったカレーは美味しかね!」おじいちゃんとおばあちゃんは沢山褒めてくれました。兄は何も知らないので普通に食べてました。

そんなこんなでその日は終わりました。

翌々日、京都から帰ってきた母親は、僕には何も言わず黙って、近所にお土産と野菜を持って行っていました。

きっと僕と母が会う前に、おじいちゃんが今回の件をコソっと母に伝えてくれたのでしょう。

「フクチャを怒らないでやってくれ、悪いのは何も知らずに作ったおじいちゃんなんだ」と。


そんなこんなで僕のカレー事件は幕を閉じました。

あれから、おじいちゃんが作ったカレーを誰が処理したのかは知りません。ましてや、約20年経った今でも、この件でおじいちゃんに謝れていません。

僕の小学5年生という「幼さ」が故に起こったこの件。おじいちゃんが優しすぎたが故に起こったこの件。


誰も悪くない。

誰も悪くないのに、でも皆が傷付いてしまった、なんとも切ないお話でした。

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#おじいちゃんおばあちゃんへ

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