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秋田の美術をアーカイヴしていく、、、
ぼんやりと疑問に思うことがありまして、
端的に言うと、
50年後100年後に秋田に住んでいる人や秋田に来た人が、
90年代以降の秋田の美術をどこに行ったら観られますか?
ということなんです。
現代美術の醍醐味は、当たり前のことですが、同時代に作品が生み出されるさまを、作家の有りようを、まのあたりにできることですし、また今の時代は、鑑賞者個々人の多様なスタイルでもって、解釈も関わりもできるようになってきていると思うんです。本当に醍醐味です。
そしてその作品というのは、たとえそれが極めてドメスティックなものであったとしても、私たちの、この世界の営みの痕跡そのものじゃないですか。ですから作品を継続的に保存していく、アーカイヴしていくことは、個人的楽しみの尺度とはまた別のところで、重要なことだと思うのです。
当たり前ですが時間は過ぎていきますから、今「現代」のものにもいつか、例えば私たちが今、屏風絵や掛け軸を鑑賞する時に承知しているような時代感覚、価値観が与えられていく…そうなっていくであろう、秋田の現代の作品も、今、何もしなければ、こうしている間にも時間は過ぎて、大袈裟な言い方ですが劣化は進み、散逸は進み、時代は進み、当事者は何処かへ、そして研究者は途方に暮れる…。
そこにアートラヴァーは存在してくれているでしょうか。
作品のメディウムもますます多様化するし、保存の形態も多様化しますでしょうし。歴史を見極めて作品をチョイスしていくということは大変専門的な術で、個人の努力に頼る前提のものではないでしょうし。何よりも個人レベルでは、自分が楽しめなきゃ意味がないですしね。
こういうようなわけで、
秋田の美術をアーカイヴしていくという、大事な課題が秋田にはあるなぁ、と思っている次第です。
そんなことあなたが心配しなくたって専門家が考えてますよ、と仰るかもしれません。確かにそうかもしれません。ですけれどね、やっぱり、物事を現実に動かしてくれている人たちが、気持ちよく力を発揮できる、その原動力となるのは、市井の私たちの意識、認識。これが大きいような気がするのです。
なので、市井の、シロウトの私がこうやって呟くことには意義がある。そう思ってます。