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安心は創造性の母かもしれない

今回は、良い発想をするためには安心さが重要ではないか、というお話です。Safeology研究所の山川です。

前回、谷内さんが「発想のベースにリラックスやほっとする感覚がある」という話をされていました。この文章に刺激をうけて自分の中で出てきたものがいくつかあるので、それを書いてみたいと思います。

一つ目は、瞑想をしていると突然良いアイデアが降ってくることがあるという点。以前、毎朝30~40分の瞑想をしていた際、最初のうちはいろいろと雑念が浮かんだり消えたりしてますが、そのうちに何も考えない時間が次第に長くなってきます。そんなときいつもではありませんが、自分が取り組んでいる課題に関して、突然、アイデアがひらめいたりすることがあります。アイデアの詳細はすっかり忘れてしまいましたが、そんなことがあるんだという衝撃(感動?)は今でも覚えています。

二つ目は、そういえばヨーガ・スートラというヨーガの経典に、そんなことが書いてあったなという点。ヨーガ・スートラの3-5節は「サンヤマに熟達すれば、知識の光が輝く(『現代人のためのヨーガ・スートラ』より)」とありますが、わかりやすく要約すると「瞑想に熟達すると常識やこうあるべきという過去に私たちが習得したものと離れ、対象そのものと向かい合える」という感じでしょうか。

私はもちろん瞑想にそんなく熟達しているわけでもありませんが、創造的な発想をするためには、過去の常識やこうあるべきといった考え方から離れ、自分の中から出てくるものと自由に対話する必要があります。そのための方法の一つとして瞑想があるということだと理解しています。

社会生活を送る上で、私たちは多くの常識やこうあるべきに縛られています。それを一旦ほどいて自由な発想をするためには、瞑想だけでなく、自分が何をいっても信頼してくれている親しい友人や家族と対話をするということも有効だと思います。

たとえば、私が過去に参加し、現在開催する側になっている、Tグループ(人間関係トレーニング)という非構成のワークショップがあります。これは6日間のうちに10人程度のグループが70分のセッションを十数回開き、自由に対話を行います。このTグループでは、最初のうちは参加者それぞれの「常識やこうすべき」という考えのもとで対話が交わされていますが、回が進むと常識やこうすべきがしだいに剥がれ落ち、その人の今起こっている正にそのことに関して対話がなされるようになります。この変化のきっかけはグループがメンバーにとって安心な環境になったかどうか、のように感じています。もちろん、そうならない場合もあり、絶対にそうなるとは限りません。

Tグループのように複数人がかかわる場合は「安心」が考え方に影響を及ぼすというのは比較的わかりやすいですが、瞑想はどうして「安心」と関係があるのでしょうか?

近年マインドフルネスという瞑想から派生した技法が、医療分野やビジネス分野で使われています。マインドフルネスは非常に簡単にいうと「今、ここに評価なしに注意を向ける」ということですが、今、ここに注意を向けることにより過去や未来への不安が減り、安心につながるということがいえると思います。また、自分の身体に今、ここの注意を向けることも体験的に安心につながると考えています。

創造性と瞑想や、創造性と安心との関係は、学術的にそんなに研究がされているわけではありませんが、Safeology研究所ではテーマの一つにあげておりますので、今後も探究していきたいと思います。

文/山川 修(Safeology研究所 代表)

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