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映画批評文の書き方 「肉体を信用せよ」の巻
モーツァルトの映画を見ていたら、新作オペラを鑑賞する皇帝が「何回アクビしたら上演中止」という(本当かどうか知らないが)ルールが描かれていた。
作品に対する皇帝の感想・批評も当然重視されただろうが、アクビという生理的反応も上演の基準になっている、というのは興味深い。
アクビは退屈を感じた精神が反映された素直な肉体的反応である。
ある映画を
「これは世評が高い優れた名作であるから、最後まで強い興味関心を持続して鑑賞しよう!」
という気概をもって見始めても、頭から全然つまらないことがある。
……いや、しかし皆が名作だと言ってるんだから、そんなわけがない!
と我慢しても、アクビが止まらない。
そんな経験は誰しもあるだろう。
肉体はタテマエや見栄を超越して、真っ正直な精神を反映するのである。
アクビ連発で涙目になって見た映画をなお
「皆がほめているのだから」
という理由から
「素晴らしい映画だった。感動した。
面白かった」
などとSNSに書くアクビに反逆する虚偽申請人間は、少なくない。
もっと肉体反応を尊重して
「皆は良いというが、俺はアクビが16回出ました」
と正直に書くべきだ。
そう、どこが、どう悪かったとか難しいことは書かなくてもよい。
「アクビが何回出たか?」
これを素直に記すだけで、その文章は、他人に迎合したくだらない虚偽批評を超えた立派な批評文、つまり「肉体的批評」となるのだ。
アクビだけではない。
尿意もまた批評になり得る。
素晴らしい映画を見る時は、上映時間に関係なく尿意を感じない。
しかし退屈な映画なら2時間に満たないものでも、後半に尿意を催し、小便との戦いになる。
「この映画は2時間半もあったのに、おしっこがしたくなりませんでした」
これもまた素晴らしい肉体的批評であろう。
無理して難しい言葉をひねくり返さなくとも、アクビと小便だけで批評は書けるのだ。