たこ天今物語 #7 (寒海幻蔵)
たこ天村は、夏の匂いがする。
そういえば、村はいつも夏だなー。雪に埋もれたたこ天は、やったことない。
学生時代、雪に埋もれる禅道場の道場守りを一人でやっていた。毎年暮れから正月の一週間、雪に埋もれた道場2棟を守るために、一人で山に籠っていた。
話し相手は、闇の帝王と、時折やってくる狸の爺さん。雪女の妄想亡霊もよくお迎えした。
日頃は独りを感じないが、暮れ正月になると、突然に独り世界になる。
ルーティンのように通う飯屋も喫茶店も閉まる。山ガラスのようにみな、どこかへ帰って行く。帰るところのない幻蔵は、ポツーンと独り残される。
それが、雪に埋もれた山に籠ると、独りが当たり前で、自然になる。
子どもの頃のまま、独り山賊の自分に安心していた。
独りはいいもんだ。
そうなるまでにはいろいろあったが、そんなことは忘れられる。
忘れていたイヤーな感じが、庭にひょこっとやって来た狸と顔を合わせると、蘇ってくる。
人中で、周りがみな遠く、みな自分とは違う世界に住んでいて、自分には関心が向けられないか、向けられるときは違和感の目。そんな世界に生きていると、周りがみな敵だと思わないと、やっていられない。
闇の帝王が浮かび上がってくる。
闇の帝王を忘れた頃、ニューヨークに渡った。
ニューヨーク大学の医学部卒後研修クラスで、闇の帝王は忽然と浮上した。
自分独り、自分の中の闇、周りはみな敵。
同期クラス十数人のアメリカ人は、結構年季の入った教授や医長や師長、臨床ディレクター、みな役職持ち。自分もそれなりに、日本の大学から、そしてニューヨークの著名な研究所から派遣されて来た者、という肩書きらしきものはあった。
同期は、ニューヨーク在住者だけではなく、カリフォルニア、テキサス、ワシントン、アメリカ全土から集まっていた。アメリカ人らしく、か西洋人らしく、か、初対面でも、休憩時間は笑い声が絶えない社交が繰り広げられていた。
その中で独り超然として、幻蔵は孤高を保っていた。
誰も幻蔵には声をかけてこない。クッキーも回ってはこない。
人中の孤立はもう気にしない幻蔵、その自負があった。誰も自分に関心を持たない、違和感もないならOKと思っていた。
だが、その周囲への幻蔵の認知、また自分自身への認知も、全く間違っていた。
同期は、ヒロシマ人の幻蔵から酷い攻撃が来るのを怖れていたのだ。
クラスで無視され、敵意を向けられていると思っていた幻蔵は、自分が彼らを攻撃するなどとは夢にも思っていなかった。
現実は、双方ともに敵意の恐怖に慄いていたのだ。
幻蔵が仕掛けた。怒りを爆発させたのだ。
後先ない自分の窒息からの解放に暴れ、広島弁で怒りまくった。
みな、その場の現実に目覚めた。
独りになることは、難しいことだ。
独りで居続けると、妄想が起きる。自分の弱さ故に怒り、攻撃、敵意に翻弄される。
武蔵も空海先生も、いやさ、キリストも釈尊もみんなみんな、その難しいことを誰よりも体験していた。そして、その先にあるものを見た。
たこ天村では、人中の独りに自信を持ち、一人の空間で独りを楽しむ山の空間もある。
なかなかこんな場所は世間にはない。
そんな村を、みんなで作ることができる。年々歳々そうやってきた。人が、人の集まりで作るコミュニティの力だ。
金儲けのためではない。選挙運動の茶番もやらせもなければ、票集めのでたらめもない。
ひとりひとりが自分になる、それ以外ない目的で村を作る。
もともと、自分というのは広い世間に一つしかない。
それが、いいねいいね、と周りに合わせ、電車でも、歩いていても、職場でも家でも、いつもスマホに自分を寄せている今人。自分がいるようで自分がはっきりしない、浮世の世界の自分。
独りでいても人中にいても、自分がない時間、場所に焦燥感が起きる。
宮島に村を作った時、最終日に、台風で船が出なくなる危急な事態に至った。
村民一人一人が際立ち、コミュニティも凝集性高く、驚くほど短時間のうちに島を脱出し、宮島口に引き上げた。コミュニティは強く、行動力が一気に上がった。
ハワイ島では、壁のない、柱と屋根だけの集会場に、突然の大スコールが来た。
自然の力は凄まじい。日本人もアメリカ人もヨーロッパ人もない。瞬時のうちに、一人一人が際立った。
わかるかなー、フロイト先生の死の本能ってやつだ。
それまでの生の流れが断たれんとするとき、生か死かといった感覚が走った瞬間、人はゾゾっとするほどに自分を感じ取る。
これをフロイト先生は、生物エネルギーによる生の感覚、リビドーと言った。
このゾゾッとする「生きている感覚」を忘れてはいないかい。
そうなら、フロイト先生の言う死の本能に負けているってことだ。
恋をしているかい。
自分の中だけでしているつもりで、モゾモゾしていないか?
やはり死の本能に負けているんだぜ。
生の本能が強ければ、モゾモゾよりもワクワクドキドキ、道ゆく人を見ても嬉しくなる。自分の中にある、生のエネルギーに火をつける。肉食って火をつける。きつい運動をして火をつける。誰かと勝負して、不可能と言われることにチャレンジして火をつける。
いろいろあるよなー。
自分にはこんなことはできない、と普通は思う苦手なことも、言い出しっぺになって、村でインタレストグループをやってみる。結構、自分に火をつけることになる。苦手だなと思える人に、声をかけてみる。
火がつく種は、あちらこちらにある。火は、エネルギーだ。
たこ天村2024のコミュニティ活動が始まった。
村おこしが、例年になく勢いよく始まった。
今年は、開村と同時に、村男、村女、西洋風にいうとMr.たこ天、Missたこ天が登場するかね。
ひとりひとりがみんな、村を代表するたこ天男、たこ天女だ。