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チェイサーゲームW2とわたし

今回もLGBTQ+の話題です。
苦手な方はまた何かの折によろしくお願いします。
いつもありがとうございます!



0.はじめに


チェイサーゲームW2の公式Xの投稿が最後を迎えた今日。
なかなかまとまらずに文章化できなかったW2への感謝の気持ちを綴るには、もう今日しかない!と思い、キーボードを叩き始めた。
(感謝の気持ち自体は、口を開けば語ってはいるけど)
そんなわけであまりまとまらない上に、自分語りが大半なので本当に申し訳ないばかりなのだが、今日納めることに意義があると信じ、書き切ってしまおう。
今作もまた沢山の感想を抱いているし、いろんなことを語りたいし、ゆっかちゃんこと菅井友香さんのレターアプリでは感想を送っていたのでそれをまとめた文章にしようかなとも考えたけど、このnoteでは、一番心に残った台詞から考えたことをまとめることにしたいと思う。

では、参りまーす(軽)

1.生まれてきて良かった


「レズビアンに生まれてきて良かったと思える世の中に、変えていきましょう。」

私の中では最終話での冬雨のこの台詞が、チェイサーゲームW2の中で最も衝撃的な一言だった。
私自身が今まで生きてきて、そんなこと微塵も思ったことはなかったし、思う余地もなかったからだ。

きっと自分の心のどこかで、多数のみんなと同じ幸せを求めることを諦めてきていたのだろう。

思い返せば昔から、好きだと思う人にとっての一番(一番っていうと、冬雨ママがよぎるな笑)良い人になることが、最上級の目標だった。
能天気な私は、なぜか所謂ノンケの方を好きになることが多く(…と打ちながら、まぁ当時はノンケか否かなんて早々わかりもしない時代か…などと思ったり)しかも自分の手の内を黙っていられないタイプなので、案外あっさり告白することなんかもあった。
でも、そこに至るまでに自分の中では「相手にとって、人として『良い人』になること」に注力していたような気もする。

そんなことを考えているうちに、突然思い出した。

中学時代、好きになった先生がいた。美術の先生だった。
クラスはおろか学年も違うその先生に何故惹かれたのかはよくわからない。
ただ、教室の窓から、教室に歩いて向かう姿を見てどきどきしていたものだった。

私はその先生が顧問をしていた部活の友達を介して、その先生との距離を近づけていった。
そしてある時、先生から「せっかくだから交換日記でもする?」と言われた。
私の学校は、一日の生活を日記みたいに記録して毎日担任に提出するという生活指導があったのだが、彼女に言わせると「クラスの子の日記も読んでいるから、交換日記だったらその流れと同じように、毎日いろいろやりとりもできるかなと思って。」とのことだった。

当時の私は心底喜び、けど相手に無理をさせないように気を配りながら、言葉のやり取りを楽しんだ。
交換日記は半年間続き、進級のタイミングで終わりとなった。
そしてその進級のタイミングで、彼女の苗字が変わった。
入籍したのだ。
相手はその3月まで同じ学校におり、年度末で異動した、同僚の先生だった。

挙式は6月に行われた。当時は緩い時代だったので(今もありなのかもしれないけど)彼女のクラスの子たちが披露宴に特別出演し歌を披露することになった。
そしてそんなある日、先生に呼び止められて、こう言われた。

「もしよければ、どむちゃんも式に出席してくれない?」

歌を歌うわけでもないのに、唐突になぜか式への参列を誘われた。
そして、当時の彼女の学級にいた仲の良い後輩(多分クラス代表だった気がする)とその他 2、3人と共に、私は結婚式に参列した。
初めて見る先生のお父さん、ウェディングドレスで歩く好きな人。
先で出迎える、よく知っている男の人。粛々と進む式。誓いのキスも見た。

挙式が終わり、写真を撮り、その後特段出番のない私は一人家に帰った。
帰り道、思った。
「どうやら私は、彼女の特別な生徒にはなれたみたいだ。」
だけど、まぁ、それだけだったなと。でも先生、嬉しそうだったな。まぁそりゃそうか。

随分忘れていたけど、その時のことを突然今思い出した。
それ以外にも、「男性だったら付き合ってたかも」と言われて満足したこともあった。
考えようによっちゃ、今も同じで、昔から何も変わらないのかもしれない。
その人にとっての大切な人でありたい、特別でありたいという思い。

そして、それに付随して抱いている思いの中に、
大切な人の大切な存在になれたら、特に思い残すことはないのでさっさと事切れてしまいたいなぁ、なんてのもある。正直。
いや、訂正。あった、としておこう。
突然物騒な話になってしまって申し訳ないと思いつつ、こんな能天気に「好きな人に好きって言っちゃう!」みたいな私でも、こういう思いを抱いちゃうところがあるっていうことに言及したくて。

レズビアンとして生まれてきてよかったなんて、根本的にはちっとも思えていなかったんだろうなと思う。
隠さなければいけない気持ちになることもあるし、差別や偏見はやっぱり辛いし、認めてもらいたいなぁという気持ちは捨てきれないし、大好きな人と恋愛としての関係を紡いでいくことの難しさはあるし。
だからさっさと事切れたい、ここまでくればもう満足、オーケーオーケー、と思うこともしばしばあったんだろうな、と。

「レズビアンに生まれてきて良かったと思える世の中に、変えていきましょう。」

だから、この一言にびっくりした自分がいた。
そうか、レズビアンに生まれてきて良かったって思える世の中って、これから先存在し得るのか、と。
そして、そういう世の中をこれからの人のために作っていきたい。めっちゃ作っていきたい。
そんなことを思いながら、胸がいっぱいになった。
階段の一段目になろうという気概を持ったこの作品の最終話、大事なシーンで語られたこの言葉には、作り手側の強い気持ちが込められていると感じた。

チェイサーゲームWシリーズのおかげで自分の世界がグッと広がった今の私は、自分の人生に投げやりな気持ちを持たなくなったような気がする。
新たな道を歩むというよりは、今ある幸せを十分に感受していて、そこから得られる力が大きいという感覚だけど。
それでも幸せである。
その幸せは、もしかしたらやっぱり「諦め」の上にあるものなのかもしれないけれど、幸せの方を素直に強く感じられている今があるのは、チェイサーゲームWシリーズのおかげだなぁ。
※ここで少し話は逸れてしまうかもしれないけれど、自分の世界がグッと広がったことの一因に、異性の方にカミングアウトした経験を、チェイサーゲームWシリーズを通してもつことができたことも大きかったんじゃないかと密かに思っている。
一緒にスペースであれやこれやを話したり、以前のnoteでの記事を(言葉の有無は問わずに)受け止めてくれた方が、同性だけでなく異性の方もいたことは、私にとって大きな変化だったと感じているのです。思わず突然敬体になっちゃった。※

そして、チェイサーゲームWシリーズを通して、悩みや生きづらさを抱えながらも未来に向かって力強く歩いていこうとしている、多くの年下の方々の存在に気づいた。
そんな人たちの未来の一助となりたいと、心底思っている。
決して自分を追い詰めるような生き方はしてほしくないな、と思うばかり。

3.終わりに


何度目かわからないけれど、私は本当にチェイサーゲームWという作品に出会えたことを人生の宝物だと思っているほど感謝してる。
W 2で様々な意見が飛び交い、正直批判的なものの見方や捉え方がめっぽう苦手な自分は、戸惑いを覚えたこともあった。
けれど、それだけ多くの人が「自分の物語」と「チェイサーゲームW」を重ねたり、掛け合わせたりして観ているということだったのだろうと思っている。
そして、そんな複雑な視聴者やファンを抱えながらも、最後の最後までチームチェイサーの皆さんは真摯な姿勢を貫いていると私は感じ、ものづくりをする方々の胆力にただただ頭が下がるばかりであった。
期待、願い、希望……多種多様なファンのそれらの感情を、丁寧に大切に掬い取ろうとしてくださっていたこと、どんな感謝の言葉を並べても足りないほどである。

そして、何より主演のお二人。
愛らしく、美しく、真摯に、全力で樹と冬雨の人生を歩んでくれたゆっかちゃん、そしてゆりかさんにもまた、心底感謝している。本当に本当に、ありがとう。大好きです。

2024年。
チェイサーゲームWシリーズのおかげで、人生にとって大きな財産を得ることができました。
本当に本当に、ありがとうございました。

初めの写真は、出勤中見上げた朝焼けの空。
新しい明日が、全ての人にとって美しい空の下で始まるものでありますように。


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