荷詩樹家のこと(5)
荷詩樹家のことを応援してくれる人が日に日に増え、そろそろ「荷詩樹家とは何をしているところなのか」をお伝えしていきたいな、と思い新シリーズをスタートしました。本日早くも最終回。
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縁としての荷詩樹家
最終回にして、荷詩樹家にもっとも影響をもたらしているものといえば、
やっぱりどう転んでも「縁」だと思います。
私の好きなフレーズに、「自分が出来事を選ぶんじゃない、出来事が自分を選んでくるんだ」というものがあります。
気づいたらそういう流れになっていた。その方向に導かれた、なんて体験を、みなさんもしたことがあると思います。
荷詩樹家も周りのお膳立てや縁が重なりに重なって、紡ぎに紡がれて現在に至っているのです。今日はそんなお話を。
激烈な縁、in インド
荷詩樹家の構想が始まったのは、2019年の春頃です。
イノシカ珈琲の店主である、めぐもんと神奈川・東京から少しずつ池田町に通い、片付けをはじめました。この頃はアーティストが自由に創作をできるコミュニティハウスをやろうかな、なんてぼんやり考えていて、具体的に何をやるかは決まっていませんでした。
そして時は2019年の12月頭。私の母がある情報を仕入れてきました。
母『池田町にある、パーマカルチャーの聖地「シャンティクティ」の皆さんが、インドでエコヴィレッジを作るプロジェクトをするらしい。』
私『ほう。』(パーマカルチャーというワードを聞いたことはあるけど、あんまり踏み込んでなかった)
母『私が行きたかったんだけど、すでにその期間(2020年2月)仕事を入れてしまった。さえ代わりに行かない?インド。1ヶ月なんだけど。』
私『ほう…?(インド1ヶ月…?)』
パーマカルチャーの聖地である、シャンティクティのことも
インドのことも、さっぱり分からない私が家を引き払ってインドに出発したのが、2020年1月31日のことでした。
臼井家との出会い、祖父との縁
インドに着くと、シャンティクティと今回のプロジェクトを運営する臼井ご夫妻(朋子さん、健二さん)が主導して、アースバックハウス(土に還る自然素材のみで建てる家)の建設が始まりました。
毎日朝ごはんを食べて、掃除をして、ホテルから片道40分の道のりを歩き、エコヴィレッジを作るプロジェクト地に向かいます。基礎となる石を積んだり、土嚢袋を作ったり、その袋を積んだりしながら、各地から来た10-15名程度で家づくりをしていました。
ある日のお茶の時間、臼井健二さん(私はけんじぃと呼んでるけど、知るひとぞ知る日本におけるパーマカルチャーの始祖と言っていいお方。)となんでもない話をしていると、
話題は荷詩樹家(と言ってもこの時は名前がまだない、単なる私の祖父母の家)のことに。
私「池田の一丁目にある「錦花園」て書いてある看板の家です〜、苗字はにしくぼです〜、祖父は高校で教師をしていました〜。」と話すと、
健二さん「え、西窪先生?」と驚いた様子で一言。
なんと健二さんが私の祖父の教え子さんだった。しかも山岳部の顧問と部員で、何度も一緒に北アルプスの山々を登っていた濃い目の関係であったことが判明。
シャンティクティのことも、パーマカルチャーのこともさっぱりだった私が、二つ返事で1ヶ月もインドに来たのは、おじいちゃんが健二さんと会わせたかったのか〜。と、初めて発覚した縁にとっても感動したのを覚えております。(祖父はだいぶクセのある人だったと記憶しているので、生徒さんたちはきっとご苦労されたことであろう。)
発端の相関図、一旦整理。
こちらが関係図。
①健二さんは私の祖父の教え子。
②祖父の息子である父と、その嫁の母は、健二さんと朋子さんが営むシャンティクティにたまーに通っていたお客さん。
③インド大好きな母がプロジェクトの情報を仕入れてくる(2019,12)
④私がインドに行く(2020,2)
⑤健二さんと出会い、祖父の教え子であることが判明
⑥応援するから池田でぜひ活動してね、と健二さんから声をかけていただく
⑦帰国後、荷詩樹家が始まる(2020,3-)
という流れになっているのです。
2019年から構想し始めた荷詩樹家ではありますが、この縁自体は50年以上も前から始まっていたわけです。こりゃーやるしかない、というかやらせていただくしかない、そんな気持ちで荷詩樹家の用務員をしております。
ちなみにこの独特のネーミングは、健二さんがシャンティクティの用務員を自称されていることに共感し、勝手にオマージュしています。
縁は続く
今回の相関図には入らなかったのですが、荷詩樹家に初期から来ているメンバーは、一緒にインドで家を作ったメンバーが中心です。
インドでの日々は、それはそれは濃い日々で、
泣き笑いあり、驚きも事件もあり、もちろんお腹も壊して、忘れ難い思い出です。
自分たちの手だけで何かを作る楽しさ、人数が集まることでのパワーの出方、いかにうまく休息を取り、やり続けられる状態を作るか、集団の中でどう自分の快を保つか、など、たくさんのことを学んできました。今この瞬間に没頭する楽しさも知りました。
そんなメンバーで、「自分の人生でまだやっていないこと」を現実にしていく場所として、安心して羽を休める場所として、荷詩樹家は始まりました。
インドから帰国して2年が経ち、たくさんの人が遊びにきてくださるようになり、みんなのプロジェクトも順番に現実化してきました。新たな依頼や相談も増えてきています。
それもこれも、祖父母や両親、シャンティクティ、インドのみんなの紡いできた縁であり、さまざまな要因が言葉では到底表せないレベルに絡み合っているのです。私はこの大きな流れの中で、自分の役割をさせていただく、それに尽きると思っています。
これからも荷詩樹家を見守り、応援していただけたら嬉しいです。
完
みなさまへお願い
全5話に渡る「荷詩樹家のこと」シリーズはいかがでしたでしょうか!
全部読んでくださったあなたはもう家族レベルに荷詩樹家を応援してくれていると思います。ありがとうございます。ぜひ現地にも遊びに来てくださいね。
わたしも30代になり、20代だった頃の繊細で脆い心は少し鈍感に、少しがさつになってきました。生きやすくもなってきました。
あの頃の明日死にたい気持ちも、何者にもなれなくて焦る気持ち分かるし、おっちゃんおばちゃんたちが人生笑い飛ばして楽しく強く生きている気持ちも分かってきています。
いま、その間のちょうどいいところにいるのが自分なのだと思っています。わたしが30代後半になったら、40代になったら、この役目はできないと思っています。
まだ自分がやりたいことすらもわからない、自分がなんなのかわからなくて焦る気持ち、才能・夢はあるけど良い支援者に出会えていない、資金が足りない、うまくコミュニケーションができない、まだ世の中に見つかっていない、そんな人たちに、荷詩樹家を通してご支援をいただけたら嬉しいです。
現在荷詩樹家として、ご支援いただきたい内容を次の記事に具体的にまとめます。お、これなら支援できるぞ!と思うものがありましたら、ぜひサポートをいただけたら嬉しいです。
まずは全5話のストーリーを最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました!
荷詩樹家 用務員 にしくぼ 彩恵
●荷詩樹家への旅の計画はこちらから↓
●シャンティクティ
宿泊やパーマカルチャーについて学びたい方はぜひ
荷詩樹家から車で5分、同じ池田町にあります。
●荷詩樹家
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●にしくぼあの頃
22歳で独立してから10年分のFacebook投稿をまとめたマガジン