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29冊の仕事から見えたもの①駆け出しライターへの温情
2024年8月末に、このnoteを書いた。
ライターとして独立してから出版に携わった書籍が、29冊。
仕事をした当時を思い出しながら振り返ってみた。
最近のものから、過去へさかのぼる順番で。
なぜか、「1冊めの仕事から現在に向かって」ではなかった。
あとになって考えれば、過去へさかのぼって正解だったんだけど。
最初の1冊までさかのぼって、わかったこと
途中までは、
「29冊も積み重ねてきたんだな。オレもコツコツやってきたもんだ」
なんて、得意げに思っていた。
しかし、最初の仕事「耐えて勝つシンキング・ベースボール」(古葉竹識さん著)まで振り返ると、当時のことを思い出した。
構成(ブックライト)の仕事を初めて任せていただいたとき、「僕にできるのかな?」という不安があったのだ。
あの頃、まだまだ駆け出しだったよな……なんてしみじみと感じていては、甘かった。
よく考えてみろ。
ブックライトの仕事に不安をもつような、駆け出しのライターに1冊の本を任せてくれたーーそれが、どういうことか?
当時は、依頼する側(編集者さん側)の考えなど、わからなかった。
「よっしゃ、任せてもらえた!」
「書いてきた記事が認められた!」と思っていた。
けど……。
今なら、「かなりのリスクだったんだな」とわかる。
そこで「佐伯に頼もう」と思い切ってくれた編集者さんのおかげ。
言いかえると「ベースボール・マガジン社」の温情があったから、できたってことだ。
そうやって任せてもらって、さらに古葉監督のご協力、編集者さんのお膳立てやサポートのおかげで、なんとか仕事ができて、合格点をいただいた。
その先に、その後の28冊がある。
たったそれだけのことにすぎない。
「コツコツやってきた」なんて、言ってる場合じゃなかった。
感謝しても、しきれないくらいだ。
出版社の温情があり、さらに編集者さんのサポートがあるから、著者の方に協力していただける。
その後の28冊でも、それは同じことだ。
どこの誰かわからない、フリーランスのライターが「取材させてください」とお願いして、「はい、いいですよ」と言ってもらうーーそれは、かなりハードルが高い。
どんなにキャリアを重ねようが、本づくりの実績を残そうが、自分のチカラだけでできる仕事はない。
もう「温情」はないと思う。そんなに甘くはないはずだから。
でも、「編集者さんのサポート」、「著者の方の協力」は、けっして忘れてはいけない。
自分の仕事を振り返って、あらためてそう思った。