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「偶然短歌」で心がざわつく【読書記録】

「偶然短歌」(著:いなにわ/せきしろ)を読み終えた。

この本における「偶然短歌」とは、ウィキペディアの文章内から、たまたま五七五七七になっている部分をプログラムで機械的に見つけ出した「短歌」だ。

その人の読む法華経(ほけきょう)を聞きながら眠りについて、そしてそのまま

p50 ウィキペディア「櫻間伴馬」

ある道を右に曲がれば東大で、まっすぐ行けば公園なのね

p138 ウィキペディア「マッスル北村」

照らされて雨露(うろ)が輝く半分のクモの巣だけが残されていた

p194 ウィキペディア「くもとちゅうりっぷ」

プログラムが無作為に選びだした三十一音は、基本的には「なんだそりゃ?」とツッコミたくなる歌が多いが、「くっ…このセンスは人間には不可能…」とちょっぴり嫉妬してしまう歌もあって面白かった。

その中でも、ページをめくる手が思わず止まってしまったのが、こちらの偶然短歌だ。

小説を書き始めるが、そのことで、大事なものを失っていく

p170 ウィキペディア「ケータイ小説家の愛」

私は、昔から小説(もどき)を細々と書き続けている。
そのおかげで、小説を書いていなければ出会えなかった人々とのご縁ができたし、書けば書くほど自分の世界も広がっていく。
小説を書くことは、失うものよりも得るものの方が多い、と思い続けてきた。

しかし、この歌を見た時、その気持ちが揺らいだ。

もしかすると、小説を書いている自分は、気付かないところで何かを失っているのかもしれない。

ちなみに、小説を書くことで確実に失ったものは、「目の潤い」だ。
私はドライアイがひどい。

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