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【10ページくらいの名作】社会からいなくなってしまいたいとき、安部公房「赤い繭」

初めての記事は自分の好きな小説の紹介です

安部公房の「赤い繭」は、高校の教科書でお読みになった方も多いのではないでしょうか

そして読んだ感想は
「なんだかよくわからなかった」と、
漠然と思う方が多いかもしれません

私は安部公房を色々読みましたがその中でも
「赤い繭」は高校生の頃かなり読み込み、
大学に入った今でも研究しています
ぜひ私の感想を読んで
みなさまの「赤い繭」のイメージが広がると
うれしいです°▽°




-真面目な概要-


安部公房「赤い繭」は1950年雑誌「人間」で発表された短編で、今は短編集『壁』にて収録されています

戦後まもなくに発表されたということで
敗戦による主体性・アイデンティティの喪失や獲得だとか「赤」というのは共産主義の象徴だとか
いろいろ議論されています



-ほんとに10ページくらいしかない(多分)-


私が最初に「赤い繭」を読んだのは
高校の国語総合か現代文Bの教科書でした
内容はいわゆる、
シュールレアリスム的という印象で
高校生の私には社会風刺的な意味は読み取れませんでした

その後短編集『壁』を買ってまた再会しましたが
本当に短い短編です
本当に10ページくらいです
ちゃんと数えていませんg°△°(((

一瞬で読めてしまうのでまだ読んだことがない方はぜひ


-変わらないものと変わるもの-


主人公「おれ」には「家」がありません
ホームレスなのでしょうか
仕事はしているのでしょうか
普段の生活が気になります

自分の家がないことに納得がいかない「おれ」
つまり何か事情があるわけではないのでしょう

事情がないのに「家」がないこと、つまりそれは
この男自体が居場所がない人間の比喩的存在なのかもしれません

そして人々はいつも「変わらない」
帰っていきます
しかし「おれ」はいつも「変わり続ける」家と家の間のをずっと歩いているのです

そしてとうとう、男自身も変わってしまいます
体が毛糸のようにほつれて巻きつき、
になってしまうのです


-この社会で自分は何者なのか-


「家」のない男は自分が繭になるとこで
やっと自分の「家」を見つけます
けど今度はその「家」に帰る「おれ」がいません

この繭は自分自身で、自分の居場所なんだけれど
自分はいなくなってしまった、
自分とそれ以外の境界がわからなくなります

しかし繭になった「おれ」はまた別の人物に拾われて、彼の「家」の子供のおもちゃ箱という新たな居場所と役割を得ます

「おれ」は「家」に入ることで、社会の枠組みに
組み込まれたのでしょうか

社会権力や国家の話はまた後ほど


-シュールレアリスムとは-

先ほども、ちょこっと書きましたが
この話は男が繭に変形するという変身譚、
いわばシュールレアリスム的な話です

シュールレアリスムの辞書的な意味は調べて頂きたいのですが簡単に言えば
ちょっとあり得ないような出来事、現象
という感じです

絵画で考えるとわかりやすいかもしれません
ダリの溶けた時計《記憶の固執》や
マグリットの人がいっぱい浮いてるやつ《ゴルコンダ》がその代表です

ザルバドール・ダリ《記憶の固執》1930年
ルナ・マグリット《ゴルコンダ》1953年


夢のような世界観になぜか惹かれてしまいます
私は小説でもこのようにリアルを超えた
「超現実的」な世界が大好きです

「赤い繭」はまさに「超現実的」世界でしょう
それが淡々と、現実のように描かれているのが
面白いのです


私も現実に疲れたら
夢のように足から崩れ溶けて
別のモノになってしまいたいです



ここまで読んで頂きありがとうございました
また遊びに来てくださるとうれしいです°▽°

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