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星太さん著「苔」への感想

苔/星太

星太さん、一番のご参加ありがとうございます。落ち着きとリズムの同居した素敵な文章ですね。画面上で美しく文章が見えるよう配置されていることがさっぱりとしたリズム感を与えるのに効果を発揮しています。

題名にあるように「苔」について、そして「人のいない世界」、最後の終わり方からして「植物の見る夢」についても仄めかされているように思いました。人の欲望を排除した作品です。人のいない世界では物事がシンプルな形で立ち現れてきて、それを周りの存在がひたすらに見ている、その延々と繰り返される時間の一部がこの文章には記録されています。
私には「卵を育て、」という部分が特に印象的でした。土が育てるものとして植物はよく思いつくものですが、土の中には昆虫の卵もあり、植物の視点からは養分と土台として見えている土が卵の視点に立つと揺り籠のように見えてきます。土には卵が眠っている。そんなとっくに知っているはずのことを何か心を暖める一瞬として思い出させてくれる、そんな良き友人のような親しみをその一節から感じました。

全体を見ていく中で気づいたことを書かせてもらいます。苔が見ていくものを上から順にあげてみると、風の働き、土の働き、火の働き、雨の働きとなります。これらの流れを見て、私の頭に浮かんだのは五輪の塔でした。
平安時代の日本において考案されたと考えられている五輪の塔は五つの部分から成り立っており、下から「地・水・火・風・空(くう)」を抽象的に表したものです。これらは五大と呼ばれ、古代インド哲学が宇宙を構成する五つの要素としてあげていたものであり、五輪の塔はそれら五大を抽象的に表した彫刻です。そして星太さんの「苔」においてはこのうちの四つ(地[土]・水[雨]・火・風)が苔の前に続々と登場し、そして最後に苔は目を閉じます。
ちょっと知識に自信がなかったので改めて調べたところ、元は地水火風の四大だったところへ、それを生み出し抱え込む概念として「空」を後からつけ加えたと書かれてありました。地水火風は人間が目によって観察し概念化したものであり、空に関しては頭の中で概念として生み出されたものですから、概念を必要とせずにただ見ている苔の前には空はありません。苔の視点に立つこの作品は、人間的なものを削ぎ落とした爽やかさを保っています。それでいながら、私はこの作品から何かしらのメッセージを感じるのです。
「最後に苔は目を閉じた」とありますが実際には苔には目がありません。しかし目を閉じたと書かれていることから、おそらく「目を閉じる」という選択を苔が取らされたと考えてみました。では、なぜそうなったのか。苔が目を閉じる前には、火が全てを焼き、雨が全てを流しています。その全てに苔が含まれるなら、苔は火に焼かれて灰になり、雨によってどこかへ流されて行ったのだと思います。そして苔はあらゆる燃えたものと混じり合い、苔としての役割を終えた。それは最後の一節に句点を置かないという形で表現され、文章を終わらせる主体(苔)がいなくなったことで文が続くことはなく、終わることもない状態になった。そう思うと、この苔が見た自然のある時間、その切り取りを行なっているこの文章の書き主は一体誰か、それはある遠い日に苔であった何者かであり、例えば苔の流されていった先の地に育った植物を動物が食べ、その動物を食べた人間がいたとしたら。苔だったものが成分として人間の身体になり、その時代のある瞬間を思い出して書いている…。なんとも荒唐無稽な連想かもしれませんが、何も食べないと痩せていく我々の身体は間違いなく外部の物質によって構成されていて、こんな発想も全くないこととも言えない気がするのです。我々が自然の中で感じる懐かしさなどは、我々の中の苔が自然を懐かしがっているざわめきなのかもしれないと思えてなりません。

素晴らしい100文字でした。ありがとうございました。

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