#55 うつ病だった時の話
1年前の8〜9月にかけて、軽度のうつ病になっていました。
僕のnoteを見てくれる人からしたら、想像がつかないかもしれません。今は活き活きとしているし、問題なく過ごせていますから。
今回は、うつ病の原因と復帰のきっかけを、当時を振り返りながらまとめてみます。
どんな様子だったか
今、うつで苦しんでいる人からしたら、軽度であったと思います。食欲がない、やる気が出ない、寝付けない、目覚めが悪い、頭がボーッとする。症状としてはこんなところでした。
もう少し様子を伝えると、次のような感じです。
土日は布団の上から動けず、子どもの「起きて!遊んで!」に応えられませんでした。声も異様にに大きく感じ、布団の中に隠れたときも。娘の寂しそうな様子が余計に辛くなりました。
何のやる気も起きませんでした。外に行こうとも思えない。ゲームしようとも思えない。抜け殻状態でした。布団の上で体育座り。
仕事は続けていました。ですが、文字が読めません。字を目で追うことはできるのですが、頭に入ってこないのです。今の稼働率を100%としたら、当時の稼働率は20%くらいでしょうか。時間ばかりが過ぎていきました。
お腹はすきました。でも、食べたいとは思えませんでした。
夜は時々目が覚めました。1日2回くらいかな。寝れていた方であったとは思いますが、疲れはとれませんでした。
症状がで始めたのは8月の頭。それまではバリバリ働けていたのに、突然糸がプツンと切れたように力が入らなくなってしまったのです。
自己分析 うつ病になったのは何故か
思い返せば、いくつか原因があります。一つ一つは小さなことですが、重なったことで耐えきれなくなってしまったのだと分析しています。
①転勤で畑違いの分野に
転勤でこれまでとは畑違いの分野の仕事になりました。土木分野という括りでは同じですが、全く未経験の仕事内容でした。また、僕がこれまで経験して身につけたものは、ほとんど活かせませんでした。
②29歳で筆頭課員に
課長以外、課員が4人いて、その筆頭になりました。普通は40代の職員がいるのですが、中堅層が薄く、自分が筆頭になりました。元々責任感が強い性格で、背伸びしてしまったのでしょう。その気疲れがあったのだと思います。
③子どもの風邪で、仕事の計画が毎週破綻
子どもが初めて保育園に入った年でした。これまで毎日元気に過ごしていましたが、保育園に行くと色んな風邪を毎週のようにもらってきます。当時、妻と共働き。子どもが風邪をひくと、どちらかが休まなければなりません。
風邪は突然やってくるので、止むなく休みをとり、仕事の計画が毎週のように破綻していました。それがストレスで、嫌で嫌で仕方ありませんでした。
それだけ、当時の仕事の進め方や、人の頼り方がうまくなかったとも言えます。
④仕事のミスを取り返そうと空回り
仕事で必要な手続きが一つ漏れてしまいました。仕事を遅らせないために、夜遅くまで作業し何とか間に合いました。しかし、日中は常時心臓バクバクで夕方にはヘトヘト、夜はほとんど眠れませんでした。このくらい平気な人もいるのでしょうが、僕には耐えられませんでした。
振り返ってみると、原因の多くは環境の変化によるものでした。適応障害だったのかもしれませんね。医師にはうつ病と言われましたが。
何とか治したい
今のまま、抜け殻になっていて、この先どうなるのか。ずっと仕事を休むことになるのか。復帰できるのか。一生続くのか。なんとも言えない不安にかられていました。やる気は起きないけど、治したいなとは思いました。
精神科にかかってみたが
家の中で抜け殻になっていても変わらないので、ひとまず精神科を受診してみました。どんな症状があるかよく眠れているか、家族との関係はよいか、環境に変化がなかったか、など色々聞かれました。
結果、「うつの症状が出ているので、休むことをおすすめします。診断書も書いておきますよ。薬はいりますか?」と言われました。
なんか薬には頼りたくなかったのと、始めて担当した先生がものすごい深刻そうな雰囲気で、余計に悪化したようにも思えました。もちろん、快活に話されても引いてしまったでしょうが…。
2週間に1回くらい、合計3回ほどは受診しました。先生と話すだけでした。大きな変化はありませんでしたが、言葉で吐き出すことが気持ちを楽にしてくれたのかもしれません。
産業医診断を初めて受けてみる
会社の産業医の検診が毎月あります。残業が多い人は必須で、それ以外の人は任意です。僕は過去一度も受けたことはありませんでした(受診に値する残業ラインではありましたが、サボっていました)。
WEBの面談でした。画面越しには如何にも元気ハツラツなおばちゃん先生が。「仕事や育児で疲れ気味なんです」と伝えると、「いいのよ!70点で。できることをやればそれでいいの!」と元気な答えが。当時の僕にとっては30点がやっと。70点は高いよ。ただ、話す中で悩み苦しむ自分が少しアホらしく感じたもの事実でした。
職場に相談、休むか休まないか
精神科を受診後、職場の課長に相談しました。その後、所長とも面談しました。結果的に、その時にもらった言葉が復帰につながったのかもしれません。
課長や所長からは「しっかりやってくれていたから、安心していたし、気づけなかった。申し訳ない」と言葉をかけられました。
その後、所長からは、
「休みたいときは休んでいい。不安で仕方ないなら働いてもいい。1日休んでも、遅く来ても早く返っても、自分で選んで良いよ。」
と伝えられました。小さな一言でしたが、「だめなら休めばいい。辛くなったら途中でも帰ればいい。」そう思えたことが、気持ちを楽にしてくれました。
周りの人が僕を元気づけようと、普段通りに接してくれる
管理職間では、僕の状態が共有されたようです。誰も特別心配した声かけはしませんでした。普段通りの接し方で、ただ、これまでより少しだけ親身に話しかけてくれました。それが嬉しかった。気を遣って言葉を選んで、普段通りを装いつつ元気づけようとしてくれるのを感じました。
快方へ
結局、仕事を1日中仕事を休む日はありませんでした。1時間遅れてでもとりあえず行ってみる。辛くなったら15時頃に早上がりする。そんな状態を1ヶ月くらい続けるうち、少しずつ症状が改善されていきました。いつの間にか、普段通りに戻っていました。
色んな人の優しさに助けられ、復帰できたのだと思います。妻をはじめ、みんなに本当に感謝です。
復帰できた要素はなにか
閉じこもらなかったことと、周りの人が普段通りに接しつつ元気付けてくれたことが、復帰できた要因だと思います。
職場に相談したあと、もし休む選択をしていたら、返って戻りにくかったかもしれません。声をかけてもらうことも無かったでしょうし。
人によっては休んでしっかり回復することが望ましい人もいるでしょう。自分には、仕事のレベルを下げて細々と続けたのが良かったのかもしれません。
また症状が出ないように
休み方を変えることと、人を頼ること、筋トレなどの軽い運動をすること。今、僕が仕事の改善で取り組んでいることが、うつ病の原因を取り除くことにも繋がっています。
それと、太陽光を浴びることと人と会話することは大切にしています。
独身時代、休日に1日中で部屋に籠もってゲームをしている日がありました。すると、土日でほとんど誰とも話さず、日の光も浴びません。それだけで少し元気がなくなってしまったと感じたことがありました。
精神状態をよく保つには、太陽光を浴びることと、人と会話をすることが大事なのでしょう。ドーパミンやセロトニンがちゃんと分泌されれば、心身の疲れを回復してくれますから。
仕事を完全に休まなかったことで、セロトニンが出て、夜にはメラトニンが出て、少しずつ快方に向かったのかもしれません。
終わりに
今、うつ病で苦しんでいる人へ。僕の体験した症状よりも重い人がほとんどでしょう。だから、「これをやれば良い」とか、「きっと治るよ」とか、無責任なことは言えません。
ただ、僕の経験が少しでも参考になれば、幸いです。そういう人もいたんだと、思ってくれればと思います。
まだ経験したことのない人へ。経験しないに越したことはありません。自分を大切に。一度きりの人生、元気で過ごせるに越したことはないですから。
最後までお読みいただき、どうもありがとうございました。