レッジョ・エミリアの教育思想のおもしろさ(後編)
前回は成り立ちで、今回は具体的なレッジョ・エミリアの教育思想の実践について考えてみる。
レッジョ・エミリア が世界で話題になったのは展覧会「子どもたちの100の言葉」展(1988)から。米ニューズウィーク紙にて「世界で最も革新的な学校」として紹介され、教育思想が注目されることになった。
世界中から視察や相談が増え、受け入れのためレッジョ・チルドレンという有限会社を作り(1994)国内外の交流や教育研修、コンサルティングのサービスを請け負うようになる。
日本では2001年、東京のワタリウム美術館が「子どもたちの100の言葉」展を開催。展覧会カタログが翻訳されたり、視察者のレポートなどで、その実践はレッジョ・アプローチとして知られるようになった。
レッジョ・アプローチ
レッジョ・エミリア の教育思想を世界レベルまで高めたローリス・マラグッツィが、こんなことを言っている。
「戦車と馬6頭とトラック3台で子どもたちのための学校を作ることは特別な出来事です。学校がまだ存続し機能し続けることはそれに比べればささいなことです。」
戦車をスクラップして現金化し、学校をつくる創造力(現状打破)を賞賛し、形骸化した現状維持はなんの意味もないという考え方の持ち主だ。
レッジョ・エミリアは子どもが(まだ幼児期に)世界を捉えるための創造的探求をサポートしている。よって関わる人全員を、子どもを通して社会の未来を学ぶ"地域文化、コミュニテイ形成”プロジェクトに巻き込んでいく。
レッジョ・エミリアの幼児教育で大切にしていることまとめると大きく3つある。
①Information&Communication 情報共有と対話
②Special Support 教師の能力
③Citizenship 社会の一員であるということ
▶︎Information&Communication 情報共有と対話
わたしが教育の歴史について調べてみようと思ったキッカケが、レッジョ・エミリアは「分断」と「孤立」を敵として闘っているという文章※を読んだことから。それは、地域、親、子ども、学校教師の関わりなどさまざまなコミュニケーションの問題を指摘している。情報共有と対話があれば当事者だけでなく、子どもたちの世界も豊かになると示してくれている。
その手段として2つ「ドキュメンテーション」「プロジェッタツィオーネ」がある。
ドキュメンテーション
新しい教育を調べると、さまざまな創始者による教育実践方法の著作が出てくる。レッジョ・エミリアではマラグッツィが指導者ながら、まとまった著作を残していない。
理由は学校を教育研究の現場として位置付け、常に集団学習(探求)をするマラグッツィの変態的(!?)な執念が文化となっている。 そのためレッジョ・エミリアの教育思想は集団研究の総体。
創始者や指導者が体系だてたバイブルを指導書にするのではなく、観察・解釈・記録(ドキュメンテーション)によって関係者(教師、保護者、地域住民、国内外の人)を巻き込み、対話をする。この記録を通したコミュニケーションで、子どもと大人、ひとりひとりの学びが促され、環境/社会がアップグレードする。
ドキュメンテーションはレッジョ・エミリアの心臓と言われるのはこのような理由がある。
プロジェッタツィオーネ
イタリア語でprogettoというのはプロジェクト、企画、計画の意味。progettazione(プロジェッタツィオーネはプロジェクト)をゼロから考えて、最終的にかたちにするところまで持っていくという、全体行為を見据えた(現在ではデザイン思考と言われがち)な動的な言葉。
レッジョ・エミリアは体系だった時間割も学習カリキュラムもないけれど、子どもの「生と自己を問う探求」に徹底して向き合うことを大切にしている。
言い換えると、世界をどう捉えるか、物事の意味を自ら掴んでいく学びを促進している。その「物事の意味、疑問」に対して答えを与えるのではなく、子ども達で共同探求するプロセスをプロジェッタツィオーネと言っている。
▶︎Special Support 教師の能力
旧来の教育と違って、学習者が自発的に学べるように刺激したり、問いを投げかけて探求を促す開発型の新教育は教師者の能力※によるところが大きいと思う。
最近、はっとしたことがある。西洋教育史について仕事仲間に話していたら「この会話は注入型ですね(笑)」と言われた。一方的に話していたつもりはないけれど、思い入れが強いと良かれと思って知っていることをずっと話してしまう。このエピソードでよくわかったけれど、学びを促すというのは「相手を理解して待つ」姿勢とも言える。学びを促すためには対話の訓練や理解を深めるには何をすべきか常に思考し、探求しているような人が向いている。
レッジョ・エミリアでは、子ども達を深く探求に誘う専門性の高い教師「ペタゴジスタ」「アトリエスタ」をおいている。
ペタゴジスタ・アトリエスタ
レッジョ・エミリア は自己と他者の対話において、100の表現を可能にする「アトリエの思想」という価値が教育に取り入れられている。
子どもたちはもともと自分の感じ方、考え方を持っており、無数の表現方法があるということを尊重した結果という。そのため、子どもたちの持っているものを引出す「アトリエ」という場所が教育現場の中心になっている。
ペダゴジスタ(pedagogista)
ぺダゴジスタは大学で教育学を専攻した経歴を持ち、さまざまな理論を実践に落とし込んだり、実践から理論を洗練させるような専門性を発揮する。子どもの発達を観察し、親や関係者にレポートする伝達者でありコーディネーターとしても、その教育知識を共有し、周囲の学びにも大いに関わる。いわば研究室長のような存在。
アトリエリスタ(atelierista)
アトリエには大学でアートを専攻した美術専門の教師、アトリエリスタの存在がある。アトリエスタは子どもたちに、様々な素材の存在に対して気づきを与え、方法や技術を通じて表現することの喜びを支える。子どもの探求対象は「もの」「こと」「ひと」と幅広く、多様な感性を刺激し、審美的側面から成長を助ける役割を担う。
▶︎Citizenship 社会の一員であるということ
現代では核家族化が進み、もう過去のものとなってしまったかもしれないけれど子育ての共同化は、大人の自己教育の過程でもあった。子どもの養育を地域社会が共通の課題
として考えることで親たちの問題意識は社会に向かって大きく広がる。
レッジョ・エミリアでは保護者会が頻繁に行われる。教育研究所なので、保護者も一緒になって学び、研究するようなスタイルのようだ。
保護者会ではペタゴジスタが、研究発表さながらドキュメンテーションの総括をする。映像でプレゼンテーションをして、ディスカッションするようなミーティングが2時間。終わったあとはワインで乾杯するような懇親会が深夜まで続くらしい。
子どもは社会の一員として共同で育んでいく。そして、文化づくりの一役をになっていると捉えている。街で年に2回大きなイベント「レミダデー」「レッジョナラ」は子ども目線だけれど、市民参加、観光客も呼んで、楽しまれるお祭りになっている。
レミダデー
レミダ:クリエイティブ・リサイクルセンター
教育を支える重要な施設の一つに1996年に設立された「レミダ」と呼ばれる市の文化施設クリエイティブ・リサイクルセンターがある。
名前の由来はギリシャ神語の「見捨てられた廃材も活一かし方次第で黄金に変わる」という意味。
成り立ちは、アトリエスタたちが市内600社をまわり産業廃棄物をリサーチ、200社と契約して廃材を倉庫に週2回(電気・ガス会社)トラックで運んでもらうことが始まり。教育や福祉関係であれば無償で素材を持ち帰ることができる仕組みとなっている。
この施設が主体となるレミダデーは2000年から毎年5月の中旬、運営目的の
①サスティナビリティー(持続可能な社会づくり)
②クリエイティビティーを育てる
③リサーチ(産業廃棄物の実態と素材探求)
を世間によく知ってもらうためのイベントとして開催している。
街に存在する産業の廃材に新たな興味と注目を集めてもらい、また、人々の環境保護の感性を促進させるために、街の教育機関とレミダのスタッフとで企画された。
アート、ワークショップ、子ども達の作品展示、リサイクルマーケットが300店舗以上出店し、小さな街に15,000人も集まるお祭りとなっている。
レッジョナラ
レミダデーに続いて、2006年より毎年5月の週末に行われる、市民による文化祭ともいえるレッジョナラ。ナラはnarrative「物語る」の意味で、街中で多様な物語りイベントが開催される。調べてみると、ただの演劇イベントではなく、レッジョナラ は非常に独特。
マラグッツィの発案で児童文学作家ジャンニ・ロダリ、人形遣いマリアーノ・ドルチと共に言葉や表現、ファンタジー作り、舞台芸術表現を学ぶ教育機関「ジャンニ・ロダニ」を作ったことに始まる。その後、創設者がなくなったあと「表現力豊かな言葉」「お話づくり」のコンセプトをそのままに多様な講座が市民に開かれるシアターとして発展。その発表の機会として生まれたイベントがレッジョナラ 。
子どもと大人のために多彩なイベントや表現機会が用意され、誰でも自由に参加できる。 教師や各種専門学校の学生、聖職者など様々な市民が子どものために民話や自作のお話を語ったり、街のあちらこちらにある広場を舞台として劇団が演劇を上演する。
レミダデーとレッジョナラ は今では世界からイベントに集まる貴重な観光資源にまで発展してきた。市民が共同して子どもや街の活性化に尽力するエミリア市では教育やイベントに税金の多くが注ぎ込まれ、市内の美術館や博物館が公共施設として無料開放され会場としても使われる。
まとめ
西洋の教育史からレッジョ・エミリアの教育思想を考えてみると、歴史的背景にボトムアップの市民のエネルギーが添加されて独特のコミュニティができている。
ナチ・ファシズムに反対した内発的な運動で市民の共同組合でできた幼児教育はキリスト教系の教育機関と対立したけれど2年に渡る公開討論で和解する。時間はかかるけれど対話を欠かさず、制度で効率化したり、分断をつくろうとしない姿勢を保ってきた。
これは未来の社会のために、互いに成長していこうという学びのシェアだと思う。
シェアをするためには学びが必要だ。
書く技術、話す技術、表現する技術。
この土台に自分が世界をどう捉えるか?っていう思考を持ち、伝えること。
あぁ、そうか。
「世界をどう捉えるかという思考をもち、伝えること」がレッジョ・エミリア の幼児教育なんだと妙に納得してしまった。
>>> 「レッジョ・エミリアの教育思想のおもしろさ」ZINEはこちら
参考:
イタリア学習社会の歴史像 佐藤一子(著)
レッジョ・エミリアと対話しながら―知の紡ぎ手たちの町と学校
リナルディ・カルラ(著)里見 実(訳)
発達156: なぜいまレッジョ・エミリアなのか。 ミネルヴァ書房
子どもたちの100の言葉- レッジョ・エミリアの幼児教育実践記録
驚くべき学びの世界- レッジョ・エミリアの幼児教育
田辺敬子の仕事 教育の主役は子どもたち ─イタリアの教育研究から見えたもの