イタリアの小都市「レッジョ・エミリア」の幼児教育の成り立ちがおもしろくなって調べたお話
コロナの緊急事態宣言が発令された4月、そしてステイホーム。
お店オープン直後に来店いただいたお客様から「家の片付けをしていたら出てきたレッジョ・エミリアの本、ご興味あれば差し上げます」と連絡いただいた。
レッジョ・エミリアとはイタリアのほぼ中央部に存在する小都市の名前。その都市が先進的な幼児教育を行なっていて世界的に注目されている。
そのレッジョ・エミリアが持っている「REMIDA(クリエイティブ・リユース施設)」に関心を持っていることをその人は覚えてくれていた。
しかし、頂いた本は(わたしのアタマでは)超難解。
日本語訳が難しいのと、こどもたちの素敵な作品写真が豊富なんだけれどなんの意図で作られたのか、よくわからないのだ。5,000円近くする高価な本で、なによりも一度お会いした方が興味を持つだろうと私に声をかけてくださったことが嬉しかった。ちゃんと感想をお返ししたいと思って、他に優しい本を取り寄せ調べはじめた。
(頂戴したのは左上)
闘わなければならないのは〝分断と孤立”
様々な資料を読み解いてみると軍国主義から抵抗し、そこから二度と同じ過ちを犯さないように考えた市民活動からレッジョ・エミリア教育が生まれていることが他に類がなくユニークだと言っている。
子供がいない私としては、幼児教育を実感することが難しいけれど、戦争の苦しみから学び「分断と孤立」に抵抗する姿勢を掲げ、対話を徹底し、町の中心に幼児教育を据えたこと。それをデモクラシー(民主主義)の拠点、より良き世界を共有する地域コミュニティとした、この小さな街の取り組みに魅力を感じた。
社会課題のほとんどは「分断と孤立」が火種かもしれない。そう考えると戦争や貧困、日常の小さな争いまでスルスルとほどけるような気がした。
このような目的を持ったムーヴメントはどうして生まれたんだろう?
背景が知りたくなり、歴史から調べはじめた。
教育のはじまり〜現代の教育の意識変化〜レッジョ・エミリアからの気づき
イタリア小都市の幼児教育の成り立ちに興味をもったことからはじまった探求はちょっとした読書の冒険となり「教育のはじまり〜現代の教育の意識変化〜レッジョ・エミリアからの気づき」を大まかに捉えられるようになった。
そもそも集団生活のコミュニケーション、互いの知識を共有することから、人類は豊かになったのにどうして教育って一方的なイメージなんだろう?
もっと言えば地域社会に(世界規模でもいいと思う)還元できる教育(学びの促進)になっているのだろうか?
教育は人格形成におおいに影響するから、選んだ環境、学んだことをどう捉えるかで価値観が変わってくる。そう、教育は子供だけの問題ではなくて、わたし、大人ももう一度ふりかえって偏向がある教育(学習経験)ではなかったか考えるきっかけになった。
そんなことをちょっとづつ考えながら過ごした3ヶ月。調べたインプットをもとに小さな勉強会を2度開いて、親しい参加者の皆さんから貴重なフィードバックをたくさんもらった。
その際話したこと、頂いたフィードバックをまとめ直してみた。
スライドを口頭で補足するプレゼンより文章にまとめるって大変(笑)
内容を3つに分け、徐々に上げていこうと思う。
まずひとつめはこちら▶︎ 教育はなぜうまれたの?
よろしければお付き合いください。
そして何か気がついたことなどあれば教えてくださいね。