近代から現代の教育の意識が変化してきているワケ(後編)
20世紀はじめにフランス人アーティストが描いた未来のイラストがおもしろい。100年後のイメージとしてタバコの箱に差し込まれたカードは87枚。お掃除ロボットや空飛ぶ郵便配達員など、未来のテクノロジーによる豊かな生活がコミカルに描かれている。
そこで未来の学校は、生徒が本を多量に耳から注入している(笑)。詰め込み型教育が発展してしまうという皮肉なんだろうか?
前回は近代〜戦時中に起こった教育について考えてみた。
ここではこのイラストからすると未来、100年経った今について考える。
出典:A 19th-Century Vision of the Year 2000
❶世界大戦後:注入型と開発型教授法
戦後の反省、国連の世界人権宣言による初等教育義務化より、さまざまな教育の分析、学校のあり方、教授方法が議論されるようになった。ごく簡単に教師側の学習者に対する働きかけ(教授法)を「注入」と「開発」にわけて考えてみる。
世界中の国々が自国の利益のために戦った世界大戦では、敵国に対する戦意高揚のための国民の統一(民族意識)が必要な教育だった。そのため、すべての国民が同質(単一のアイデンティティ)である注入型教育が望まれた。
経済学者アマルティア・センは著書「アイデンティティと暴力」のなかで民主主義とは単に投票のみではなく、公共の場における熟議と論理的思考ができるかどうか(「民主主義の世界的なルーツ」より)という。
要するに議論ができる国民からでしか民主主義は生まれないので、同質であれば独裁を生みやすくなる。
知識伝達を目的として、学習者が受け身になってしまう「注入型」は旧教育で、学習者の自発的思考を促す「開発型」は新教育とも言われる。その教育思想を調べていると必ず出てくる20世記のアメリカを代表する哲学者ジョン・デューイ※は「新教育(進歩主義教育)」運動を指導し、世界の教育改革に影響を与えた。
彼の主著「民主主義と教育(1916)」で教育の目的は各個人をして自己の教育を継続させることであって、外部から目的を強制されるものであれば、それは教師も生徒も(強制された目的の)奴隷になってしまうという。学校は小さな社会で、人との交流から利害の刺激、共同の経験(相互承認)を得て学習し成長する。そしてこの世界観はデモクラシー(民主主義)であると言及している。
※:1859〜1952 ジョン・デューイ
アメリカの哲学者,教育学者,社会心理学者,社会・教育改良家。哲学ではプラグマティズムを大成して,プラグマティズム運動(20世紀前半のアメリカの哲学および思想一般を風靡した哲学運動)の中心的指導者となり,その影響を世界に広めた。教育においてはプラグマティズムに基づいた新しい教育哲学を確立し,アメリカにおける新教育運動,いわゆる〈進歩主義教育〉運動を指導しつつ,広く世界の教育改革に寄与した。心理学では機能主義心理学の創設者のひとりで,社会心理学,教育心理学の発展にも多大の貢献をしている。
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版
❷現代:従来の学校教育と異なるオルタナティブ教育
ユニセフが数年ごとに先進国の子供を対象としてまとめる「子供の幸福度リポート(CHILD WELL-BEING IN RICH COUNTRIES: A COMPARATIVE OVERVIEW)」(最新版2013年)の調査で「世界一」とされたオランダの教育事情を見てみる。
参考:「公教育をイチから考えよう」リヒテルズ 直子,苫野 一徳 (著)
過去、オランダは保守的なキリスト教系政治家と合理的な自由主義系政治家らが「『公立』の学校だけが国から教育費を受給する資格」の議論において長年対立してきた。その要因は「(教会の)私教育に教育費を受給する権利」があるというキリスト教派の主張。この議論の結果、今から約100年前(1917年)に「教育の自由」の原則ができる。
「教育の自由」とは、3つの自由「学校創設の自由」、「学校方針の自由」、「学校組織の自由」を保障した王国憲法第23条の総称である。公立私立を問わず、一定の公的基準を満たしたすべての学校の運営費が全額公費から支出される。これによって全ての学校(5~18歳)の授業料は無償となった。(今では7割が私立という)また教師の教育訓練費用として、教員一人当たり年間およそ1000ユーロ(約13万円)の研修費が出される。
保守派の主張で対立した議論は、逆に新教育のムーブメントを広く受け入れる土壌が作られた。従来型の学校教育活動とは異なる学習プログラムを実施するオルタナティブ(代替、選択)教育がオランダに集まり「100校あれば100通りの教育がある国」と言われるほど選択肢が広くなった。
ここで、あたりまえに受け入れてきた「『公教育』とは誰に取って良いものか?」という疑問が湧く。国、親、子ども?教育機関?多様性や独創性を尊重するなら政府主導で画一的に設計する必要はないのではないかと感じる。オランダでは、学校の運営は自律分散であり、教育監査(教育水準と法遵守など)が政府の主な役目である。
日本ではあまり話題にされない(公教育ではないから学費の高い私立を選ぶ人は少ない)が、世界で特色ある教育とされている7大オルタナティブ教育を以下にまとめる。
この7つの教育法はいずれも注入型・画一的教育のアンチテーゼとして生まれた。特に有名なのがシュタイナーとモンテッソーリ。シュタイナーは世界60か国、モンテッソーリは欧米を中心に世界140か国以上で実践されていることから2大教育法として世界的に知られている。
シュタイナーは芸術や精神面に重きをおいていて、モンテッソーリは科学や生物学的な観察をベースに子どものやる気や集中力を促す現実派。
企業家や事業家において、自主的に諸課題に取り組むモンテッソーリ教育がよかったのかわからないけれど「モンテッソーリ・マフィア※」と言われる出身者層にGAFA 創業者が3人もいることが成功例なのかもしれない。
※:モンテッソーリ・マフィア(モンテッソーリ教育出身者)
ラリー・ページ、セルゲイ・ブリン(Google)、ジェフ・ベゾス(Amazon)、マーク・ザッカーバーグ(Facebook)、ビル・ゲイツ(Microsoft)マリッサ・メイヤー(Yahoo!)、P.F.ドラッカー(経営学者)、バラク・オバマ(元米国大統領)、クリントン夫妻(元米国大統領と国務長官)など
*ベゾスは今年モンテッソーリ教育法を取り入れたプレスクール(保育施設)を設立。低所得者向けに無償解放。 (英語)Jeff Bezos to open first nonprofit preschool in Washington as part of $2 billion Day One Fund
❸教育史のまとめ
「教育のはじまり〜現代の教育の意識変化」までをざっくりまとめてわかったことは、何度も繰り返す行き過ぎた社会現象のなかで、教育は人間が動物ではなく思考者として持つべき徳(他者との共存に必要になるモラル)の学習が必要だと、警鐘を鳴らす思想家がたびたび登場してきたように感じた。
そのアラートを出した人のなかで影響力が絶大なルソーから始まった教育論(または社会契約論)は様々な思想につながり、新教育は共同で事を成すためのコミュニケーションを主体的に学ぶことを理念を掲げているものが多い。それは民主主義が生まれるための、または継続させるための孵化装置のようなものだと考える。
これがうまくいくのは「環境(社会、町、運営体制など)」と「教師または学びを支える人たち」のレディネス(心身の準備状態)があるかどうかだ。
そんなことを考えて教育を調べ初めて数ヶ月、いろんな人の意見をもらいたくて「まちづくりと教育」の勉強会を行ってみた。その参加者のなかで、教育の道に進みたいという女子高生がこんな感想をくれた。
子供の教育に対して関心があったけれどこの話を聞いて、大人が変わることも必要なのだと新しい視点をもらえたのがよかった。
そう、わたしたちが
愛や志を持って誰もが学べる環境を作れるか?もっと言えば社会を作れるか?は私たちのレディネスにある。
次に続くレッジョ・エミリアからヒントを得てみたい。
▶︎レッジョ・エミリアの教育思想のおもしろさ(前編)
参考:
「教育思想史」 (有斐閣アルマ)
「民主主義と教育」 ジョン・デューイ (著)
「脱学校の社会」イヴァン・イリッチ (著)
「アイデンティティと暴力」アマルティア・セン (著)
「アクティブ・ラーニングとは何か」渡部 淳 (著)
「公教育をイチから考えよう」リヒテルズ 直子,苫野 一徳 (著)
「世界7大教育法に学ぶ才能あふれる子の育て方 最高の教科書」おおたとしまさ (著)