娘に合わせて早起き【エッセイ】
ついに毎朝6時に起きる決意をし、実行に移し始めました。
朝はそこまで弱い方ではないです。
でも、6時はちょっと早いかなぁ……
早起きを始めた理由は、何のことはありません、生後半年の娘が早起きで、
子守りをする必要があるからです。
健康とか、ダイエットとか、マインドフルネスなんて関係ありません。
つつましやかな生活を守るため、正真正銘、正々堂々、所帯じみた動機です。文句のつけようもない実用性が清々しい。
先日までは、早朝の娘のお世話は奥さんがすべて担当していました。
その間、ぼくは8時くらいまで、ぐうすか眠りこけていました。
ことわっておきたいのですが、一応、ぼくにだって公平性の感覚はあります。
毎朝のことなので交代制にしようかと持ちかけたこともあります。夫婦の間のこととはいえ、いやだからこそ紳士的な振る舞いが物を言うこともあるのです。
でも、ぼくと奥さんでは、正直赤ん坊に対する敏感さが無意識レベルで違っていて、やんわりと却下されてしまいました。
奥さんは娘の寝返りの音を聞いただけで目を覚ますのですが、ぼくは娘が朝早い時間にどんだけグズっていても、全然気が付かないんです……
睡眠中のこととはいえ、まったくの役立たず。申し訳ないです。
まあ片方が面倒を見ていて済むのであれば、もう片方は寝ていようが、家事をしていようが、仕事をしていようが、自由にしていたほうが効率的です。
ぼくも奥さんも自営業者なので、結構そのあたりの合理性を重視します。
無駄なことをちんたらやっていたんじゃ、ご飯が食べられなくなりますからね。いや本当に。
なので、早朝は奥さんが娘のお世話をする。
ぼくは日によって仕事が深くなったり、このエッセイを書いていたりするので、朝はまあ寝ていてもいいだろう、ということで合意していました。
(ちなみに昼間は曜日によって、どちらが面倒を見るか決めています)
ところが、今週に入ってから、奥さんの元気がありません。
曰く「毎朝の子守をルーティーンで繰り返すのがしんどくなってきた」とのこと。それにやはり段々と睡眠不足がボディブローのように効いてきているみたいです。
話を聞くと、最近は娘の生活リズムがきちんと整っているので(いいことですが)、かえって同じ事の繰り返しから逃げられないという閉塞感が積み増しされているようでした。
奥さんは元々、学校とか会社勤めとか、決まったパターンの行動を毎日こなすということが、ものすごく苦手な人です。
苦手というかもう体が受け付けないレベル。
娘を出産する時に産婦人科に入院しているだけで、もう限界だと言っていました。毎日決まった時間に起きて、決まった時間にご飯を出されるのが苦痛でならないと。
そこまでかぁ、とちょっと思いましたが、まあそんな人なのです。
自営業をやっているのも「勤め人があまりにも向いていないので、自分で商売をするしか生きていく道がなかった」くらいですから。
ということで、早朝の子守りも曜日交代制ということにしました。
前日は夜10時に就寝しました。目を覚ましたのは翌朝の6時前。
よかった。初日から寝坊したら立つ瀬がありません。
さて、娘のお世話をするぞ、とベッドから起き上がったのですが、何故か奥さんも一緒に起きてきました。
あれ? 寝ていたほうがいいんじゃないの?
そう思ったのですが、奥さんは何食わぬ顔で洗濯機を回し始めました。
それどころか、今までどおり娘の世話を始めたのです。
大丈夫なの? しんどくないの? と聞くと、本人も「なんだか大丈夫」と言います。
それならまあいいのですが、ぼくとしてはちょっと狐につままれたような感じです。
三人とも起きているので、早めに朝食を取ることにしました。
結局、いつもの朝の時間が繰り上がっただけです。でもそれで奥さんの調子はめっきり良くなったようでした。
つまり、奥さんは自分でも気が付いていなかったのですが、毎朝ひとりで娘の相手をするのに参っていたようなのです。
ぼくが起きていれば、会話もあるし、娘からちょっと目を離すこともできる。それで閉塞感はパッとなくなるのでした。
なるほどぉ。
お互い合理的だと思って取っていた行動でしたが、合理性だけじゃあ育児って上手くいかないですね。
子どもがというより、親のほうが。
自分たちの脆さとか、頭デッカチさをちゃんと察知しないといけない。
身をもって知りました。
朝6時起床の生活スタイルをキープしようとすると、色々と変えなければなぁ、ということで、このエッセイも夜ではなく、再び朝にするか、午後に書くことにするか思案しています。
6時起床、6時起床。
しばらくはこれがお題目になりそうです。