鳥と魚の四本足?(漢字解読-1)
漢字で象形と言われる字は "もの" の形をそのまま写した字と解説されています。「馬」や「熊」は四本足で問題ないのですが二本足の「鳥」や「燕」、そして足のない「魚」も四本足です。どうしてこのようなことになっているのでしょうか? この疑問を解くために漢字の解読に挑戦しました。
漢字解読の字種は漢字最古の書『説文解字』(比較的に画数の少ない字)を対象とし、字体は『康煕字典』の統一された康煕字典体を対象とします。両者の意味が異なる時、『説文解字』の意味は初期のものとし、『康煕字典』の意味はそれに時間的に繋がるものと解釈します。
具体的に解読できた字画「|」の例を示します。多数の「|」を字画に持つ文字の意味を分析しそれを構成する共通な意味考察し「|:=棒」を抽出した経過です。
辞書の解説では「刂」や「手」は各々「刀」や「手」の異体字とされ、「串」は文字種別が不明もしくは象形、以上一覧で示しますが全く棒の意味が見つかりません。
【刂】⇔‹象形›刀が旁になる時の形:=刀
【扌】⇔‹象形›手が偏になる時の形:=手偏
【串】⇔‹象形›二つのものを貫く形:=貫く
【引】⇔‹会意›「弓+|」=弓+引く:=弓を引く⇒引く
【弔】⇔‹会意›「?+弓」=ひと+弓=人が弓を持つ姿:=弔う⇒いたむ
図に示す「刂」「扌」「串」「引」「弔」の各文字の持つ意味を分析すると「縦棒」の義が浮かんできます。
「刂」⇔|×2=大小の棒=大小の刀=刀で切る:=切る
「扌」⇔二+|=二本+棒=二本の棒=両腕:=腕
└ 「手」⇔‹指事›「ノ+扌」=特別な所+腕=腕の先端:=掌⇒手
「串」⇔口×2+|=上下の口を貫く棒=獣を串刺しにする:=貫く
「引」⇔弓+|=弓と棒=弓と矢⇒弓を引く:=引く
「弔」⇔弓+|=弓と刺った矢=矢で射られる=射られた者:=弔う
以上「|」の中には「棒」の意味を持つものが存在することが分かります。
∴「|」⇔‹象形›棒:=棒⇒棍棒⇒刀⇒矢
一方「ト」の分析ですが、「ト」を持つ文字「扑」「外」「朴」「仆」達を統合解釈してみると次のようになります。
「朴」⇔木+ト=木+占棒=占盤に占棒を立てたような花の木⇒ホオノキ
「外」⇔夕+ト=横になる+占棒:=倒れた占棒⇒外向き⇒外
「扑」⇔扌+ト=手+占棒=手にした占棒:=占棒が倒れる⇒倒れる
「仆」⇔イ+ト=男仕事+占棒=男占師が棒を倒す:=(意識的に)倒す
∴「ト」⇔‹指事›「|+丶」=棒+その先端=占い棒の先:=棒で占う⇒占う
〔朴の花 :植物図鑑 植木ペディア より〕
以上の字から『占い』の状況を復元します。
占盤に占棒を立てたような花を持つ木「朴:=ホオノキ」から造った占棒を用意し、周囲に事象を書いた占盤の中央に占棒を立て、占棒の先「ト:=占棒の先」を持ち、占棒を占盤の中心から外側に「外:=中心から外へ」向かて「扑:=棒が倒れる」、また「仆:=(意識的に)倒す」となります。
原始社会で長い時間をかけて棒占いが生まれ、それを記述する必要から既にある文字「|:=棒」に指標字「丶」を付加して「棒の先端」を表記する簡潔な文字「ト:=占う」を創造していますが、これは生活に密着した字の誕生だったのです。
占いが社会に浸透して後に既存の文字と「扌:=両腕⇒手」を使い「扑⇔扌+卜:=手にした占棒⇒棒が倒れる⇒倒れる」、「イ⇔人の変形:=働く男」を使い「仆:=占棒を倒す⇒倒す」、「夕⇔ク+丶:=横になる動物⇒夕方」を使い「外⇔横になる占棒:=そと」の概念とそれに伴う字が創造されたと考えられます。
以上「卜」は「朴の棒占い」を現わし、その字形「ト⇔|+丶」の縦棒が棒そのものであり、「丶」が占い棒の先端を示す指事文字と結論できます。
説文解字は文字「ト」を「|:=棒」とは全く無関係に『「ト」⇔‹象形›亀甲占のひび割れの象形:=亀甲占⇔占う』と解説しています。もし占ってひび割れた甲羅の横にお告げを記録するなら納得できますが、甲骨文字の字の記された写真からの判断ですが焼けた部分の確認が示されたものがなく、お告げの書かれた甲羅はただの長期保存用の記録版にすぎなかったと考えられます。
各文字に関し最初は数100年単位のスケールで徐々に生活を刷り込みながら発達した筈です。約2万年前と言われる中国の火の使用から漢字の創造までにも多くの時間や時代が必要であったと考えられます。『説文解字』に記述された9353字は殷(前後約600年)の一時代に一朝一夕に完成できた文字達とは考えられません。
『説文解字』はなぜ『「|」⇔‹象形›棒の形:=棒』となっていないのでしょうか? なぜ「ト」が亀甲占と曲解されているか不思議でしたが、漢字の解読から女尊男卑の社会が浮き上がってきました。秦(BC221~BC202)の始皇帝の記録の中に女族を亡ぼした記事があります。有史前に漢民族は母系社会であり、そこで誕生した漢字遺産は母系社会から父系社会へと引き継がれ、ちょうど日本が中国から漢字表記を取り入れたと同じような経緯と考えられます。
漢字は本来全て意味を持つ部首で造られている「表意文字」と考えられます。しかし母系社会から受け継いだ漢字に対し、その成り立ちを焚書坑儒(BC213)で抹殺してしまい、更に約300年後に出版された『説文解字』(AD100)で改めてを父系社会用に解釈し直しています。複合字を構成する各部首の意味が判明しているものは会意文字としています。しかし複合語の中に形を留めるだけで最早や単独に独立して使われなくなった部首(発音と意味から構成)は、その意味や中には発音までもが忘れ去られてしまいます。このように語であった時の意味が不明となり字形のみが複合語の表記の中に残った部首を音符と名付けています。音符の字形とは意味が忘れ去られ語として表記していた時代の名残りで、これらの音符と意味の明らかな部首である意符と構成されるのが形成文字です。意味の不明な音符を持つ形声文字は漢字全体の8割を占めており、その結果現在では「漢字は表語文字である」とされます。
ちなみにエジプトの象形文字解読から世界の語源研究が進みましたが、西欧ではフランス言語協会が1866年に語源起源論は科学的に証明が不可能ですべての議論は不毛であると受け取り拒否を宣言し、20世紀に入るまで研究が途絶えています。ここで印度アーリア語を含む多くの語源探求が断絶しました[註1]。現代は語源解析を放棄したソシュールの「語は恣意的である」とする基盤を基に翻訳のための構文解析が進んでいます。
[註1] http://user.keio.ac.jp/~rhotta/hellog/2009-12-14-1.html
***本「NOTE」の投稿は漢字の解読を社会に開示すると共に、筆者の最新版として保存しようと考えており、新たな解字や解釈の変更により修正や追加を随時継続して行いますのでご了承ください。[2023.01.06.]***