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28 人間としてのたしなみ 修身教授録抄 姿勢を正して声を出して読んでみた

この「葉隠」という書物は、佐賀の鍋島藩の武士道を説いたものです。
「武士道とは死ぬことと見付けたり」という言葉が最初出てくることで有名です。すなわち武士道の極意は、常に死の覚悟をしていることが第一だというのです。文章は佐賀地方特有の方言が混じっていますから、ちょっと読みにくいところもありますが、しかし分かってくると、そこがかえって妙味ともなるのです。実際噛みしめてみるとなかなか尽きない味のある本です。なお、この「葉隠」は、武のことはまず三割くらいで、後の七割は、人間としての嗜みを、あらゆる方面から教えたものです。

修身教授録

この話は、雑話の中で出てくるのですが、修身教授録の中でもとりわけ、切り取り、出てくることが多い部分にも感じます。

いつ命がなくなっても、後悔のないように過ごすということの大事さを教えてくれているのでしょうね。

死を覚悟するというのを常に意識するのはとても難しいことです。

でも、明日のことは誰にもわかりませんから多少なりとも一日のどこかの片隅に置くべきかもしれません。

自分の好きなことをするというのもいいですが、自分のことだけでは後悔のない人生とは言えないかもしれませんね。

本日の森信三一日一言は

8月14日
男の子は素質的には母親が多く、娘は父親にが多い。
そして後天的には、息子は父親に、そして娘は母親に学ぶ。
ここに生命における「性」の相互交錯と交互滲透、ならびに先天と後天の絶妙な天理がうかがえる。

森信三一日一語

父から何を学ぶのでしょうかね。

8月15日
一粒のけし粒だにもこもらへる命貴ふと思ふこのごろ

森信三一日一語

8月16日
人間の生命が、たがいに相呼応し共感し得るということは、何たる至幸というべきであろうか。世にこれに勝るいかなる物があるであろうか。

森信三一日一語

積極的に友との交流を。同じ学びを共有しているのがよりいいかもしれませんね。

8月17日
人間はいくつになっても、名と利の誘惑が恐ろしい。
有名になったり、お金が出来ると、よほどの人でも、ともすれば心にゆるみが生じる

森信三一日一語

どっちも無いの問題ないと思いますが、おそろしいですね。心のゆるみ。
そうなっちゃうのかな~。

8月18日
その人が何を言っているかより、何を為しているかが問題。
そして両者の差がヒドければヒドいほど、その人は問題の人といってよかろう。もしその上に有名だったら。一種の悪党性がつけ加わるとさえ言えよう。

森信三一日一語

抜けた日を読んでいるうちに打ち込んでみたくなりました。
言葉より、行動と実践がすべてだということでしょうね。

今日もここまでにします。
伝記を読む時間が無くなりました。
ありがとうございます。

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旭橋を愛する旭川市民です。名入れ印刷ばっかりする贈答品屋の(株)クボタ贈商とWEB販売の(株)ニムリスにて人生修行中です。旭川地域ポータルサイト「いいあさひかわ」もどうにかしたいっす。武士道の言葉「義、勇、仁、礼、誠、名誉、忠義」 が好きです。