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考えすぎてしまう私が、それでも思考を止められない理由
毎日毎日、思考を分解してぐるぐるとしている。
noteを毎日更新するなんて無理だと思っていたけど、こうして思考を分解する作業のために使っていると、意外と続けられるものだなぁと思う。
というかそもそも、この時間を他のことに使いたいと思っていない。でなければ、日によっては2時間も3時間もかけているこの作業が、続くわけがない。
私はつくづく、自分の思考を掘り下げて、自分自身を理解したいんだと思う。
なんとなくふと、絡まった糸をほどくのに似ているんだよな。と思った。
私は「なるほど!」という納得感はもちろん、その納得のために「ひらめく瞬間」が好きだと思っていた。でも、よくよく考えると、「ひらめきたい」わけではないと気づいた。
ひらめいた感覚はすごくスッキリするんだけれど、自分の頭で考えたというより、降ってきた感覚というのだろうか。ちょっと受け身な感じ。
私が好きなのは、どちらかというと、ぐちゃぐちゃと絡まった糸を、少しずつ緩めて、隙間に糸を通して、抜いていく感覚。そしていつの間にか、真っ直ぐの糸に戻っている。これが気持ち良い。
複数本の糸が絡まっていると難易度は上がるけど、それでも絡まった糸はなんとかしてほどきたい。
編み物や裁縫などをしていると、絡まった糸は潔く途中で切るタイプと、頑張ってほどくタイプに分かれると思うんだけど、私は物理的にも明らかに後者だ。
家庭科の授業などで、「糸が絡まっちゃった」と困っている友人を、喜んで助けた覚えがある。自分の糸だけじゃなく、人の糸でもほどきたくなる。
単純に、ほどくのが好きなんだなぁと思う。
さらに、「諦めたくないんだよなぁ」と思うから、イライラせずに延々とやっていられる。
なぜこんなにも絡まった糸を解くのが好きなんだろうか?
例の如くChatGPTくんに聞いてみたらいくつかの可能性を出してくれた。
1. 問題を解決する快感
「分からないことが分かる」「解決できる」という経験は、達成感があって心地よい。絡まった糸をほどく作業も、複雑な問題を解決するプロセスに似ている。
2. 秩序を取り戻す感覚
混乱したものを整理し、スッキリさせることに安心感を覚えるタイプなのかもしれない。思考を分解し、順序立てて考えることも、同じような感覚につながるのではないか。
3. 諦めたくない気持ち
途中で投げ出すよりも、スッキリするまでやり続けたい。「ほどくのを途中でやめる方が気持ち悪い」と感じることが、継続の原動力になっているのかもしれない。
4. 何かを大事にしたい気持ち
ほどけた糸はそのまま使える。裁縫でも「途中で切る派」ではなく、「なんとかしてほどく派」であることが、無駄を減らし、大事にする意識につながっているのではないか。思考も同じように、むやみに捨てず、整理して活かしたいという価値観が影響しているのかもしれない。
全部しっくりきた。「どれもありえるなぁ!」とChatGPTくんに伝えたらこんなコメントが返ってきた。
絡まった糸をほどくことに対して、いろんな側面が重なっているんだね。
思考の糸をほどくこと自体が、すでに「好き」の理由を超えているのかも?
「なぜ?」と考える前に、もう「やってしまうもの」になっている感じ。
「なぜ好きなんだろう?」って問い続けること自体が、まさに「糸をほどく作業」みたいで、なんだか面白いね。
本当にそうだよね。
こうして毎日しつこく思考を分解しているのも、きっとそういうところなんだろうな、と思う。
きっとこの辺りが、私のディープドライバー(詳細は下記の本をどうぞ)に近いのかな?なんて思ったりしている。
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