おならが世界を幸せにした話【ポレポレな日常/第3回】
「ただ生きているだけで、みんな誰かを幸せにしている」
よく見かける言葉だけれど、本当にそうなのだろうか。疑い深い私は、いつも半信半疑でこの言葉を聞く。
そりゃ信じたいけどさ。自分に置き換えると素直にそうも思えないのだ。けれども先日、この言葉は本当なのかもと感じられる出来事があった。
ねぇ、ママ、プープーして!
スーパーのレジに並んでいた時のこと。どのレジも長蛇の列で、どこに並べば早く会計できるかみんなが探りあっているような状況だった。
列に並んだ後は、ひたすらスマホを見ている人、なかなか進まずイライラしている人、日々の忙しさゆえか無になって立っている人、みんなちょっとだけ疲れているように見える。
そんな時、店内に可愛らしい女の子の声が響いた。
「ねぇ、ママ、プープーして」
最初は気にならなかったけれど、その声は続いた。
「ねぇ、いつもみたいにプープーして!大きいのプーって」
女の子は屈託のない笑顔で、母親のお尻を嬉しそうにパチパチと叩きながらこのセリフを言っていた。母親は困惑した表情で、小さな声でこう言った。
「ここじゃできないのよ」
女の子は満面の笑みで、母親のお尻を叩く。
「ね、ね、大きいの!おっきなプープーだして〜」
「だから、ここではできないの」
おそらく、この母親はおならを自在に扱うことができるに違いない。そして子どもの前で披露しては、一緒に大笑いしているのだろう。
歌うようにおならを奏でる母親と、その横でゲラゲラと笑い転げる女の子を思い浮かべたら、なんとも愉快で幸せな気分になってきた。
「ぷっぷっぷー。ぷっぷっぷー」
女の子の口から出るのは、いつも母親のお尻が刻んでいるであろう何気ない日常の幸せのリズムである。
レジに並んでいる人たちはみな、母親の方を見ないようにしつつその会話を楽しんでいる様子だ。
「ぷっぷっぷっぷ(一呼吸)ぶぅぅぅぅ」
一段と大きな声が響いた。肩を震わせている人もいるし、一緒に踊っている子どもまでいる。スーパーの小さな世界で、さっきまでの殺伐とした空気が消えていた。
一方、母親は下を向き、ただひたすらに時間が過ぎるのを待っている。レジに並ぶだけだったハズの時間が、過酷な修行のようになっている。
母親の気持ちになるといたたまれないけれど、私はほんわかとした幸せな気持ちになっていた。
会計と修行を終えた母親は、女の子と手をつないでニコニコとやや足早にスーパーから出て行った。
きっと母親は、帰宅後に「外ではお願いしちゃだめ」と言いながら、娘のために軽やかにおならコンサートを繰り広げるのだろう。
そして、あの場に居合わせた何人かは、あの愉快で温かい気持ちをシェアしようと家族や友人にこの話をするだろう。現に私もこのnoteを書いている。
すごい。楽しい幸せの連鎖まで起きている。
私たちはきっと、ただ生きているだけで、みんな誰かを幸せにしているのだ。