難民の自立を支えられる見守れる日本・日本人でありたいと思ったこと
日本のニュースでは、ウクライナからの難民到着や受け入れについて報道されていたここ数日。
日本にウクライナから来た方々は、本当に悩んだ上での決断だったはずだ。
その勇気や決断は計り知れないし、当事者でなければ理解できない事であり、その気持ちはどれだけ推し測ろうとしても、恐らく誰にも理解出来ないことだと思う。
既に日本で生活している親戚や家族を頼ってきた方々、留学や旅行で来日した経験がある方々は、不安や懸念があったとしても、日本で誰か頼れる人がいるだろう。
しかし、中には知り合いも誰も居ない状況で、日本へ来ることを選んだ方々もいらっしゃった。
日本は、ヨーロッパから見ると東の果てにある国。
英語すらまだまだ通じない国。
他の国に比べたら、移民もまだまだ受け入れていない国。
ある意味、世界の中では非常に特殊な国にも関わらずだ。
もし日本という国が今のウクライナのような状況に置かれた時、住んだことも行ったこともない、知り合いも誰もいない国へ行くことが自分に出来るだろうか。
そして、これはウクライナだけではない。
UNHCRの統計によると、世界には約8240万人もの難民がいて、その70%弱はシリア、ベネズエラ、アフガニスタン、南スーダン、ミャンマーだそうだ。
数字で見る難民情勢(2020年) – UNHCR Japan
ミャンマーは日本との距離も近く、特定技能などのビザ発給の対象国でもあり、以前にはミャンマー代表として来日したサッカー選手が、日本政府に難民申請をしたことも記憶にある。
恥ずかしながら、私自身難民というものについて色々考えさせられたことは、今までの人生ではないことだった。
彼らが日本という国で、自立して生活できるようになるためには、まだまだ乗り越えなければならないことも多いだろうし、嫌なこともあるかもしれないけれど、日本という国で日本の社会で、日本のルールや法律を守りながら頑張って生きていけるようになってほしい。
そして日本も、ちゃんと日本で地に足をつけて生きていこうとしている人達には、温かく接する世の中であってほしい。難民に限らずだが。
(ただし、対外国人に対してよくありがちな、何もサポートしてもらえない・かわいそう→何でもしてあげるという流れではなく、知らない人にはちゃんと教えて、あとは自立できるよう見守っていくという意味の温かさ)
難民達は、不安も抱えつつも、人として安全や安心を求めて、夢や希望、そして覚悟を以って、日本という国を選んでくれた。
そういう気持ちに応えられる日本であり、日本人でありたいと思う。