思い出話して良いですか①
「海に行きたいな」と、思い始めたら、いてもたってもいられなくなり、ポチっと飛行機のチケットを取りました。まだ先の話ですが、無事に行ければいいな?と思ってます。
海!海!海
とても印象的だった海の記憶を辿ってみましたら、
13年前に娘(当時高2)と行ったパラオを思い出しました。なつかしいmixiというサイトにわずかに写真が残っていました。もちろんスマホなんてものはまだ持っていなかったはず。で、その時の写真はどこに保存したのかももうわかりません。SNSの良いところは当時の写真や記事が残っていることですよね。→パラオ記事を探すにあたり、パスワード忘れててログインには苦労しました。
13年前といえば、まだトラックで配送の仕事をしていて毎日が忙しく、少しでも休みが取れるとストレス解消とばかりに旅に出ていました。今考えると、仕事のストレスからの現実逃避はあまり良くないですよね。旅から帰っても疲れが取れず、ますます体調が悪くなるという悪循環でした。
とにかく13年前なので、もう、だいぶ変わっていると思われるのですが、当時のパラオはのんびりとして、とにかく自然豊かなところでした。2泊4日の弾丸旅でした。
一番の繁華街(コロール)にもこれといった店もないし観光っぽいシャレたとこもない。パラオは戦時中、日本の統治下にあったので日本の名残がかなりあって言葉や、国旗も日本の影響がかなりあり、パラオの方は、みんな親切でした。
(野良犬が多くて、時々追いかけられて、恐怖でしたが。)
上はパラオの国旗です、なんとなく日本国旗に似てるでしょ、でも海の色に黄色は月なんだって!
親近感がわく国旗です。
一番記憶に残っているのは、
「クラゲが何百万といる湖で一緒に泳いだこと。」毒がないので触ったりもできます。ぷわん、ぷわんとクラゲに囲まれる世界は、少々気持ち悪くもあり、、可愛くもあり、、、
感触は、女性の胸のような、こんにゃくゼリーのよーな不思議な感じ。
いまもあるのかな?この湖。
海にしか行くとこないから丸2日ず~っと海のツアーに出ましたが何より透明度抜群で、サメや、亀、ナポレオンフィッシュなども見られ、まるで熱帯魚のいる水槽の中にいるようでした。色とりどりの魚、サンゴたち。でも温暖化や環境破壊で、だいぶ珊瑚たちも死んでしまってるらしいです。
ミルキーウエイという海ではミネラルたっぷりな泥が底にあって、海の色もクリームソーダ色美肌になるという泥をこれでもかと塗り付け、思いっきり海に飛び込んだら、コンタクトに海水入ったらしく目がしみまくりでした。写真が残っていたのですが、とても人様にお見せできるものではありませんでした。
パラオは、これといって郷土料理というものがないらしいですが、マングローブ蟹とか、シャコ貝(刺身)を食べました。日本との関わりが深いせいか、米が主流。タイ料理とか、中華料理とかも多かったです。
ビールはパラオで作っている地ビールが、フルーティで琥珀色のアンバーという種類が特に気に入ってしまいました。、夜な夜な、ホテルの隣の店に買いに行くことに!
ちなみに1ドルくらいでした。(2011年当時ね)
発泡酒みたいなのは0.87$だったから60円くらい?かな?(かなりの円高!)
パラオは独立国ですが、以前は米国でしたので、使われている通貨は米ドルです。日本からはグアム経由で行きました。
グアムでの乗り継ぎの間には、やはりこんなビールを飲んでいた様子です。
13年経っても、旅のスタイルは変わらずです。
いまは、ゲストハウス(シーナと一平)は、1年のうち一番の繁忙期なので、旅には出られませんが、次回も昔の旅の話をさせてもらいます。
今後の皆さんの旅の何の参考にもならないことをお許しください。