寄付がそれをさせてくれた
わたしはNPOで働いている。高校生をサポートするNPOで、寄付を集めたりPRする仕事をしている。(NPOにはいろいろあるけど、企業のような事業型や行政委託型ではなく、寄付型NPOにあたる。)
わたしは以前、「高校生にとっての価値はこれです!」「彼はこの段階のステップを踏んでこうなりました!」「お金にするといくらです、費用対効果これ!(SROI)」と言えたほうが、寄付につながりやすいんだろうな、とも思っていた。寄付する人が何に寄付したのか見えやすい。でもわたしたちが日々垣間見るのは、「価値」という言葉にはおさめられない、とてもささやかな変化だ。とても些細で、僅かなものだ。本人の置かれた状況によっては行きつ戻りつもする。いつ芽がでるかはわからないけど、土を耕し種を蒔き水をやる。
2013年当初は「なんて微かな変化なんだろう(これまじで寄付を集められるんかな)」と思っていたけど、プログラム直後じゃなく、去年会った生徒に今年また出会うとか、3年後にまた会うとか、卒業生の話を聞くとか…そんなことを繰り返しているうちに、自分たちのプログラムってこんなに根を貼るようにひとりの人のひとつの経験として残っているものなんだと感じるようになった。日々悩むし大変なこともあるけど、その実感が伴ってからは寄付をお願いするのに不安がなくなっていった。
いくら土を耕して種を蒔いたって芽は出ないときはあるし、芽が出るときもある。そのとき、うちに寄付した人は「芽が出ない箇所があったからこの土の耕しは無駄だ」と言うだろうか。言わないんじゃないかな、と思った。「プログラムでおやつを買うけど、このお菓子代って寄付してる人にとっては嫌じゃないのかな」とインターン生に不安げに言われることもあった。「大丈夫。お菓子が高校生と話すことのきっかけになるって伝えればいいし、きっとわかってくれるよ」と返事した。わたしは現場のスタッフを信じているのと同じくらい、寄付する人を信じているのかもしれなかった。
そのうち、寄付してくださる方が増えていった。寄付の理由を尋ねると千差万別だったけれど、「がんばれ〜!って気持ちです」「さっちんが価値があると信じるなら、わたしはさっちんにチャリンするよ」というスタッフへの信頼や応援の寄付が多かった。そしてここ数年は、それに加えて「D×Pはこの世の中で、”否定しない”とか”様々なバックグラウンドから学ぶ”とかそういう姿勢を貫いている。そのありかたに救われるから」と、D×Pの価値観や存在に対する寄付も一気に増えた。「D×Pは自分にとってはめっちゃ理想郷!うまくいかないこともあると思うけど、理想の場を目指されてると思うから」と笑って言う方もいた。
(↑現場で大切にしているのはこの3つの姿勢です。)
不思議な循環だな、と思った。
価値観を大切にして、高校生のことひとりひとりのことを考え、いい場をつくろうとする。そのあり方そのものに寄付をいただくことってあるんだなと。
そういう寄付があるからこそ、やっぱり「価値観を大切にし続けていいんだ」とか「高校生のことひとりひとりのことを考え続けていいんだ」と思えるようになる。D×PがD×Pであれるのは、そこに寄付する人がいるからだ。寄付がそれをさせてくれた。
そして寄付した方の声のとおり、そのD×Pのあり方自体や高校生とのエピソードに、寄付された方が救われることもあるみたいだ。D×Pは寄付で支えられてるのに、寄付している人もまたD×Pに支えられてるならこんなに嬉しいことってない。
わたしはこれまでいい現場をつくることが必ずしも寄付に直結するわけではないことが悲しいと思っていた。いい現場をつくることが寄付に直結している未来をつくりたいと思っていた。そして今、それが実現していっているような気がする。