理想的な母親と許せない想いを隠しもつわたし(自分をアップデートする毒だしたいむ vol.2)
昨日は衝撃的な試みをした。
公開の場で自分の狂気を吐露してるんだから・・・これは衝撃的な試みだ。
(わたし的に衝撃的な長い音声はこちら↓)
この毒だしから、豊富なnoteのネタがでてきてしまっているので
冷める前に書いておきたい。
今日は、理想的な母親と、反発心を隠しもってきたわたし。について。
わたしの母は元保育士。優しくて思いやりがあって子どものわたしたち3兄弟に尽くしてくれた。(子が巣立ってからは保育士とヘルパーをパートでしつつ、あいまに旅を楽しんでいる)
いまも毎月何度か、実家に帰る度にご飯をつくって娘たちをかわいがってくれるので恩しかない。
恩しかない・・・はずなのに、どこかでそんな母を悪く思っている自分に、去年気付かされた。母のことを話すときに、母のことを悪く言っているらしい。
その理由が、昨日の毒だしの中で噴出してしまった。
けっこう根にもっていた、あの言葉たちが・・・。
「こんなはずじゃなかった」
「だまられたのかな〜っておもう。若かったから」
昔。22歳と若い母が12歳年上の父と結婚した1年後にわたしが生まれた。
弟が2人生まれて、母は小さいときからの夢だった保育士を早くやめなければいけなかった。次男なのに実家に同居の生活もはじまった。
きっと母は辛かったとおもう。わたしたちの前でよくあの言葉を言っていた。
それを聴くと、わたしは申し訳ない気持ちと、怒りを感じていた。
わたしは今も、父の愚痴を聴く役を担っている。
それは、母の人生を考えると、最適に思えた。
わたしが聴いて受け止めてあげられるのならそれが一番いい。
父は本当に頑固な人なので、二人に話し合わせていいことはないし・・・と昔からあきらめていた。
ここまでで書いていないことは、わたしの感情だ。
昨日の毒だしまで、この感情はださないでいたし、出さないようにしていたことにさえ気づいていなかった。
(少しずつコンサルをしてもらっているばたちには話させてもらっていたけど)
わたしは、えらく傷ついていた。
小さいときから「わたしは生まれてこなければよかったのではないか」と考えた。
自分に時間をかけてもらう分、母が自分を犠牲にしているのではないか。
生まれてきた家や祖父母・父に不満を抱く母をみて、自分を否定されているような気がした。
母はわたしを傷つけるようなことを意図していっていないことはわかっている。
母の問題であり、わたしの問題とは別物だともわかっている。
対して、わたしは母を反面教師に、自分の人生設計と、結婚相手と結婚相手の家族をしっかり見ることに、ある種成功してきた。
一番がいちばん自分のこどもにやりたくないことが、「いまの自分の人生に不満を持っている」と子どもにいうこと。
こう書いていて、それもあって、いまのような自分の気持ちを中心に好きな生き方をさせてもらう生き方を追求してきたんだと気づいた。似の前にならないように踏ん張ってきたんだ。
じゃあ、よかったよかった・・・!では済まない。毒はたまっていた。
だって、わたしは実際には傷ついていたのだから。
許せない気持ちをもっているんだから。
これを、ないものにして、学びとして、きれいなままでとっておく・・・
そうしようと人生を生きてきたのに、
わたしが自分を外に前にだすほどに、消化できないひっかかりに気づかざるを得なくなっていた。
その結末が昨日の音声だった。
出してみると、それだけで昇華?消化?された感覚がある。不思議。
わたしが、それをだすことで、自分を受け入れる大きな一歩を踏んだんだとおもう。
これも、わたし。汚い思いもわたし。傷ついたのもわたし。
出してみると、たいしたことはない。
でも、ださないことに必死だったから、必死に守ってきたんだとおもう。
あほみたいだね、さっちゃん。
うん。なんか進化がありそうだ♪
同じシリーズはまだ続くと思うよ。
今日も読んで下さりありがとうございました!
今日のカバーアート:羽毛 気づけないあたたかさ
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