結婚も育児も「我慢を知る場所」だった。
私は31歳で結婚した。
今、結婚4年目である。
子供が生まれるまでは、夫とも初々しいカップルのような状態で過ごすことが出来たが、やはり子育てとなると意見の食い違いは生じるし、毎日一緒にいる人だからこそ、気遣いが減ってきて"素"が見えはじめる。
誰かと一緒に住むって、本当に大変なことだ。
それを分かっているから、私は絶対、両親とも義両親とも住みたくないなと思う。
友達関係も、親子関係も、距離はほどよくとったほうが、間違いなくうまくいく。
自身の配偶者(夫や妻)とは、同居している家庭が圧倒的多数だと思うが、意見や価値観の食い違いがあったとしても、別居や離婚・再婚は選択自由な世の中である。
法律上、「再婚するには離婚後100日必要」というルールも、2022年10月14日に撤廃の閣議決定がなされている。
つまり配偶者は、変な話"替え"が効く。
しかし、絶対に替えの効かない存在がある。
"自分の子供"である。
乳児院や、児童養護施設に預けるなどといったイレギュラーがない限り、子供は、親に愛情を受けすくすく育つ。
子供は、配偶者(夫や妻)のように"離婚"すれば戸籍上離れられるとか、そういった単純な対象ではない。
どんな時も手がかかり、わがまま言い放題、自由にし放題というのが子供なので、大概の親は「子育て」に頭を抱える。
そこで私が習得したもの。
それが"我慢"である。
確かに、配偶者(夫や妻)という存在は、離婚さえすれば、"新しいひと"をお出迎えすることが出来る。
しかし、結局また何年かすれば、関係はマンネリ化する。
「あーもう!なんなの!(怒)」という状況に再度なりうるのは、充分考えられる。
だとすれば、結婚や子育ては、完全に"我慢"を覚えるための場所。
自分の感情は優先せず、相手に合わせ、「相手に足並みを揃えて共に歩く」ということを覚える場なのだ。
それができない性分の人は、多分結婚はできない。
結婚には向きと不向きがある。
結婚しない人生のほうが、その人にとっては正解というケースもある。
※私の兄や叔母が良き例。結婚せず自由に暮らし、人生を謳歌し、キラキラ輝いている。
ただ、子供を産んでしまったら最後。
配偶者とどうなろうとも、子供にとっての母親というのは絶対に変えられない。
子育てするにあって、育てる側は、色々我慢をするしかないのだ。
まとめると、結婚して子供を持つということは、我慢を学ぶ環境。
そしてよく聞くフレーズであるが「育児は育自だ」ということである。
結婚や子育ては、思い通りにならないこと、自分の時間を根こそぎ奪われるということの連続。
そこで、自分の器の大きさが試される。
我慢だっていきなり出来ない。
何度も何度も訓練が必要で、少しずつ、心の器が広がっていくといった感覚だ。
このことをくれぐれも忘れることのないよう、過ごしていきたい。
逃げるは勝ちだが、逃げられない戦い(結婚や育児)だって世の中にはあるということである。