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ひとりひとり歩幅は違っても、自分らしく歩ければそれでいい。

一歩前進できたと思えるのは、どんなときかなと思い返してみる。「一歩」の歩幅をどのくらいに想定するかは自分への期待度と比例する。

「自分を認める」ということは、自分の歩幅にがっかりしたり、背伸びして大股で歩こうとしないことだ。
安心できるスピード、自分らしいリズム、自分を保てる歩き方がきっと誰にだってある。

大事なのは、自分の踏み出せる一歩を過不足なく想定できること。誰かにとっては当たり前のことなんだろうけど、そう気づけたのは、つい最近だ。

そう気づけたツイートがこちら。

自分の一歩を誰かと比較する必要もない。
自分の一歩は誰かの理想を反映しなくていい。

世界は、なんて自由なんだろう。

そう、世界はいつだって自由だったんだ。

だけど、こちらが自由だと不満な人たちもいるんだということにも気付いた。
勝手にライバル意識を持って嫌味なオーラを発していたり、比較して煽って傍観してる誰かとか、突然マウント取られたり。

何なら、わざわざ親切にも誰かの陰口を報告してくれる嫌味で鈍感すぎるお節介さんもいる。

それでも、自分の一歩は譲らなくていいし、比較しなくていい。

淡々と歩むことを、ただそれだけを考えてみると、そのために邪魔になるものは「いらないもの」なだけだったんだ。

ただ、そう思えない時もある。そんなときは、休むときなんだと思う。

無理に焦って歩を進めない。立ち止まることだって、今の自分の歩幅の形なんだ。

自分らしく歩き出すために、必要な時間なんだ。苦しい、、、よね。

でも、空の雲が流れていくのをただ眺めるような、1日ボーッとすることをしなければ進めない時があった人はきっと強い。

だから負けるな。自分に、そんなことを言って過ごした10月だった。

田舎の町に、引きこもりの人も含めたフリースペース、フリースクール、そして職業訓練施設を作ることを夢見てます。応援していただけたら嬉しいです。