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ひとりひとり歩幅は違っても、自分らしく歩ければそれでいい。

一歩前進できたと思えるのは、どんなときかなと思い返してみる。「一歩」の歩幅をどのくらいに想定するかは自分への期待度と比例する。 「自分を認める」ということは、自分の歩幅にがっかりしたり、背伸びして大股で歩こうとしないことだ。 安心できるスピード、自分らしいリズム、自分を保てる歩き方がきっと誰にだってある。 大事なのは、自分の踏み出せる一歩を過不足なく想定できること。誰かにとっては当たり前のことなんだろうけど、そう気づけたのは、つい最近だ。 そう気づけたツイートがこちら。

    • 自分に、やればできるじゃんて、言ってあげたい。

      昨日私は、「ダメな自分のまま始めちゃいます宣言」をした。 簡単に言ってしまえば、妙な完璧主義をやめて、淡々と目の前のことに取り組もうと決めたのだ。 正直、昨日は自分に呆れていたけど、大袈裟に張り切ったわけでもない。のに、なんと朝の4時まで眠れなかった。 次の日に予定があると眠れなくなるのは、鬱が少し重たい証拠だ。 あれ、自分やばいんじゃないのか、なんて昨夜は考えないようにしながら考えていた。 けれど、今朝はいつもより早く目が覚めて、かと言ってそこまで焦るでもなくゆった

      • ダメな自分のままで始めちゃいます宣言

         コンテンツを書こうとして、いつも私の頭をよぎるのは「伝わる文章の書き方」を学びなおさなきゃ、ということ。  昨年、職場で言われ続けた「分かりにくい」「何を言いたいのかさっぱりわからない」という言葉が棘のように胸に刺さっている。  でももう、そういうのをやめようと思うのだ。  分かりやすい文章を書ければ、それに越したことはない。でも、分かりやすく書けないからって、文章を書いちゃいけないことはない。少しずつ、上手になれればそれでいいじゃないか。  私はいつもそうだ。何かを

        • 嵐の後に晴れたら、それって本当にハッピーエンドなの?

          たとえば、今日という日が、その人にとってカラッと晴れた青空のような心持であったとしても。その心の中に、大木からの心地よい風が吹いて、機嫌よく小鳥の唄声が響いていていたとしても。 それが「ハッピーエンド」なんて本当だろうか。 たとえばその人が、人生の大半を雨の中で凍えながら過ごしてきたら? 空のない部屋の中で鳥かごに入れられたみたいに「自由」を許されずに生きてきたとしたら… 「自由」の象徴みたいな青空の下、乗りこなし方もわからない「自由」を突然与えられて、戸惑ったり、恐怖

          カラフルペンとガラケー越しに見た世界

          この前、変な時間に目が覚めた。そのまま二度寝しそうになって、ふと最近の出来事を俯瞰してみようと思い立った。寝起きなので思いつくまま、ざざっと進める。 付箋に出来事を端的に書き出す。出来事の周りに、その時感じた感情を書き、丸で囲む。そして、その時の感情のイメージで色付けしていく。 時には感情について内省しコメントをつけてみたり、「今ならどうするか?」という視点で振り返ってみる。この内省や深掘りが、思いのほか未来志向になれて面白かった。すっかりはまり込んでしまい、結局ほとんど

          カラフルペンとガラケー越しに見た世界

          悲しみや寂しさの向こうにあるもの

          悲しい。寂しい。そんな感情をとうに超えたところにある風景を見るのは、何度目だろう。 今日は、ひさびさに淋しい。 そう、孤独で死んでしまいそうなほど寂しいときもあるけれど。淋しさに比べると、まだ生きてる実感がする。 *** 「いまのあなたに必要なのは、きっと心の交流なんですよね」 これは、今年2月に受けたカウンセリングで言われた言葉だ。その通りだと思った。 わたしはもう、ひとり部屋の中で、自分の感情をノートに書く作業をできる気がしない。 正確には、できないというのに

          悲しみや寂しさの向こうにあるもの

          いちばん最初の記憶

          自分の生れてから映像で思い出せる一番最初の記憶は、3歳の時だ。 3歳の春、祖母が亡くなった。それまでの記憶はどこかおぼろげだけど、その時の数分の記憶はすごく鮮やかだ。 亡くなった祖母のベッドを両親と妹と一緒に囲んで、わたしと母が泣いた。 父は泣かなかった。 そして、わたしと母に「なんでおまえらが泣くんだ」と少し弱った口調で言った。 おそらくだけど、父は数年前に祖父(父にとっての父)を亡くしていたし、祖母は持病があったり認知症になっていたりしたから、心の準備ができていた

          いちばん最初の記憶

          愛される準備

          Dr.ゆうすけ( @usksuzuki )こと、ゆうすけ先生のnote「愛されるとは、『欠損』を受け入れられること」を読んだとき、涙が出た。 今でも、わたしにとって大きな精神的支柱になっている。 愛されるとは 読んで初めて、自分の欠損を受け入れてもらうことで自己肯定感が高まると知った。けれど、欠損を受け入れてもらうためには、いくつもの準備が必要なのだということを、最近つくづく感じている。 そのことは、「愛される」という極めて抽象的な言葉が、日常の言葉や行動レベルで考えたと

          愛される準備

          vol.1 わたしがnoteを始める理由

          人生詰んじゃったのかもしれない わたしには夢がある。 ちいさな田舎のまちに「#居場所 」を立ち上げることだ。 わたしが思い描いてる「居場所」には年齢制限がない。 オトナにも、子どもにも開かれている場にしたい。 そして、みんなが「自分を丸ごと好きでいられる場所」にしたい。 気づいたら自分を丸ごと好きになれてるような、そんな人たちが集まる場所がいい。 けれど、なかなか人生というのはうまくいかない。 わたしはむしろ、昨年、人生詰んじゃったのかもしれない。 なんでこうなっちゃ

          vol.1 わたしがnoteを始める理由

          【自己紹介】石橋を叩き割るタイプです。(行くっきゃないときは叩かず飛び込みます。)

          はじめまして。さっちと申します。 まず自己紹介を書こうとして、かなり日数が経ってしまった…! これは良くない。先の目標ばかりを意識して、すぐ目の前の目的を忘れてた!! これじゃあ、いつまでたっても始められなーい!!と、荒削りのままスタートすることにしました。 (あとで「これを最初に言えばよかった汗」となるかもしれないけど、その時々で追記します。) 自己紹介をするためのノートなので、「いわゆる自己紹介」的なものを。 名前:さっち 趣味:ラテや紅茶を飲むこと    

          【自己紹介】石橋を叩き割るタイプです。(行くっきゃないときは叩かず飛び込みます。)