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2024年東京散歩 番外編 ベルギー、オランダ

僕の小学生のころを振り返ってみると、授業態度は悪かった。
ただそれは不真面目だった訳でもなく、付いていけなかった訳でもない。大体の課題が授業時間の三割以下で終わってしまうのだ。

残った時間で僕はいつも世界文学全集をぼぉっと読んでいた。そんな態度の少年にも関わらず、大好きだったのは「フランダースの犬」だった。

熱心にキッズステーションでフランダースの犬のアニメ版も観て、親に買ってもらった音楽プレーヤーにOP曲を録音してよく聞いていた。
 
こんな話をしているのは、僕が今「フランダースの犬」の主人公、ネロが息絶えたアントワープの聖母大聖堂にいるからだ。

露骨なネロとパトラッシュ

ベルギーにて

①ブリュッセル

日中にベルギーの首都ブリュッセルに赴き、観光と美食を楽しんだ。フランス人が「フレンチフライのポテトはベルギー産がいい」というように、ベルギーは豊かな食材と食文化で自分をもてなしてくれる。昔、初めてベルギーを訪れたときに食べた露店のワッフルの感動を僕は今でも忘れられない
 
今回もベルギーは期待を裏切らず、全てが美味しかった。

中でもブリュッセルの中心地グラン・プラスにある「'T KELDERKE」で食べた、牛肉のビール煮、ソーセージ、タルタルはベルギーの第二の記憶として保存された。沢山頼んだ一縷の後悔はあれど美味しさはそれでも何一つ損なわれない。

牛肉のビール煮
ソーセージ 見ている今でも食べたい
牛肉のタルタル なぜこんなに多いのか

どうにか散歩でお腹を空かし、ワッフルをお腹に追加し(昔の感動はもう無いがそれでも上手い)、チョコを物色する。チョコレートを手あたり次第試食したい気分にもなるが、それはもうフードファイトなので、試食は最小限にビビッと来たチョコを買いまくっていたら結構な量になってしまった。 そうしてブリュッセルを楽しんだ後、鉄道で四十分程度かけてアントワープに訪れ今に至る。話をそこに戻そう。

ワッフル これはリエージュ風

②アントワープ

アントワープはブリュッセルに次ぐベルギー第二の都市である。玄関口のアントワープ中央駅は世界一美しい駅ランキング一位に選ばれていたこともあり、言葉に表現するまでもなく荘厳である。
駅を出て歩いて目を引いたのは存在感のある中国人街の門。どんな所でも存在感を発揮する図太さと逞しさは少しは見習いたい

アントワープ中央駅
突如現れる中華街 ちょっと気が抜ける

そこから10分ほど歩くと、冒頭に出てきた聖母大聖堂へ着く。大聖堂の中にはルーベンスのキリスト三部作が展示されている。この一つの「キリスト降架」を見てネロは絶命し昇天したことになっている。それを見ても僕に天使は降りてこないが、大聖堂の建築、ルーベンスの芸術は素人でも美しさは分かった。

聖母大聖堂
ネロが見た後に絶命した、ルーベンスの「キリスト降架」

さらに、僕とネロの共通点を挙げるとするならば「死ぬまでに見たい絵がある」ということだった。もう少し人生の先にとっておいても良かったのだけれども、機会をとっておいても感動は歳と共に逓減してしまうので今回見ることに決めた。
 
今回の旅行の一番の目的はそれである。なんの絵か予想しながら読んでくれると嬉しい。


オランダにて 

③アムステルダム

僕は翌日、オランダへと赴くことにした。
アムステルダム中央駅に降り立ち、外に出るとこれまた巨体な建築だ。東京駅はアムステルダム中央駅を基に作られたと言われているとか、いないとか。

アムステルダム中央駅 確かに東京駅……?

そこからタクシーを使って開館と同時にアムステルダム国立美術館に入れるようにする。中高生の頃は学校の課題でしか美術館なんか行かなかったのに、すごい気の変わりようだ。あの頃は無料だったのになんでもっと行かなかったのだろうと意味も無い後悔をする。
美術館の建築の荘厳さについては語ることをやめよう。読んでくださっている人ももう良いよと思っているに違いないし、僕にももう語彙は残っていない。

アムステルダム国立美術館 言わなくてもわかる。美しい

 開館とすぐに入ったので人はまばらだ。
ただロシアのエカテリーナ宮殿で中国人に阻まれ、全く展示を楽しめなかった過去の苦い記憶を思い出し、更にダメ押しの一手を打つ。それは福袋争奪戦の主婦のように、目玉の絵画の場所へと一目散に向かうことだ。誤解なきように言っておくが走ってはない。福袋ももちろん走らない方がいい。 
結果的に作戦は成功で、見たい絵画を正面からベストポジションで見ることが出来た。レンブラントの「夜警」フェルメールの「牛乳を注ぐ女」とのツーショットも取るというちょっと恥ずかしいこともしたが、旅の恥ということでアムステルダムの運河に捨てていく。 

レンブラント「夜警」                                 
写真では伝わらないが想像以上にでかい。                         因みにフェルメールの全作品はレンブラントの「夜警」に全て収まってしまう。
フェルメール「牛乳を注ぐ女」
既視感はあれど美しさは損なわれない

アムステルダムもといヨーロッパの町は建物の間に隙間がなく、互いに暖を取るように寄り合っている。ただこれは比喩ではなく、寒い冬を越すための断熱が主な理由なようだ。

そんな建物に囲まれながら歩いていると、ごく普通の露店のすぐそばに大麻の売店があったりカルヴァン派の旧教会の手前でガラス越しのストリップ嬢と目が合ったり、チューリップと風車の穏やかな国というイメージとは程遠い中心地をただ歩く。

新宿歌舞伎町であればまだ大丈夫だけれども、外国ともなるとそうはいかない。どうにか自分の安全地帯を保とうと、日本を探そうとして僕はここに辿り着いた。

そして僕はこれを口にした。

カップサイズのヌードル 味はもちろん「Tokyo」!(照り焼きソース)

え、そんなに日本ですか?という突っ込みはしないで欲しい。
このwok to walkは僕のエストニアでの思い出なのだ。そして親会社は日本の丸亀製麺と同じトリドールだ。それはもう日本と言っていいだろう、異論は認めない。 

年齢とともに衰えていくヒラメ筋と腓腹筋はアムステルダムの石畳に苛められ、早々に音をあげている。その訴えに真摯に傾聴し、僕は運河クルーズで中心地を楽しむことにした。 

クルーズのガイドは日本語に音声対応しており、海外でそんなホスピタリティがあるのかと驚いた
……というのは束の間。出航すると音声は流れ出すものの橋の下や色んな所で電波が途絶えるのか音声が聞こえなくなる。残るのは船頭の陽気な声のみだ。まぁそれだけでもそれっぽいから良いのだが。

軽い疲労の中、眼前に広がる煉瓦の建築のパノラマはまるで日曜に電気屋でぼぉっと4Kテレビを見ているときのような心地よさを提供してくれる。
端から見える「踊る家」たちはそんな僕を見て歓迎してくれているに違いない。

踊る家                                         埋め立て地に木で杭を打っているため家が傾いて、陽気に踊っているように見える

 一時間程度だろうか、日差しをどうにか避けながらクルーズで体力を回復し、もう一度美術館へとアタックをする。

次に向かう美術館はゴッホ美術館だ。アムステルダム国立美術館とは目と鼻の先にあるため午前中に行けばいいという指摘が聞こえてきそうだが、休憩を挟まずに絵画を鑑賞出来るほど僕の知的体力は無い。ゴルフで昼食を挟むような野球で午前午後にブルヘッダーを組むような、そのくらいの日程がなんとか疲れない条件なのだ。

 ゴッホ美術館についてもこれまでの美術館鑑賞とは違い、準備をしてきたおかげで存分に楽しむことが出来た。昔にロシアに行ったときにエルミタージュ美術館に言った記憶をまた思い出す。キリル文字での説明は全く分からず(英語も分からないけども)、世界三大美術館を一時間もかからずに回り終えた若き日の罪はなかなかだ

ゴッホ「ひまわり」(アムステルダム版)

昔、 新宿のSOMPO美術館でひまわりを見たときは

「綺麗なひまわりだなぁ」

純粋かつ愚鈍な感想を抱いたが

今回はゴッホ美術館のひまわりを見て、

「ロンドンのひまわりの模写だからアムステルダム版と東京版はほぼ一緒だなぁ。帰ったら違いを見に行くか」

などと、鼻につくうんちくさえ頭に浮かんだ。

オランダから南下してフランスのアルルまで、そしてオーヴェル=シュル=オワーズで自殺したゴッホを追体験しながら観る絵画は僕の前頭葉を気持ちいい程にくすぐった。
ありのままに絵画を見るべきという指摘も聞こえてきそうだがゴッホと同時代に生きていた人間はある意味色眼鏡を持たなかったから、彼のことを評価してなかった。色眼鏡を通して見ることで更に綺麗に見える芸術を僕は積極的に肯定する
 
美術館を巡り終え、しばらくすると日が落ちてきた。と書き始めたいところだがヨーロッパの日は異様に長かった。19時ごろでも15時のような空模様で自分の活動感覚がおかしくなる。時差ボケも重なって更に追い打ちがかかる。

帰りに食べたハーリング(にしんの塩漬け)はかなり美味しかった

どうにか腕時計を頼りにして、軽い夕食を済ませた後にホテルについた。明日も朝から早いのでゆっくりしよう。

 ④デン・ハーグ、デルフト

翌日も美術館へ始業入りするため朝ご飯を10分でかきこむ。顔と同じくらいのクロワッサンを何個も食べたらタクシーの中でバターが胃壁から染み出してめまいがした

あまり伝わらないがでかい。というかズッキーニもでかかった

タクシーを降り、オランダ国鉄に乗り次いで東に向かう。
 
「こんなふうに書くべきだったんだ。私の最近の作品はかさかさしすぎている。色の層をいくつも重ね、文章それ自体を彫逐すべきだったんだ。この黄色い小さな壁のように」

40分ほど揺られるとデン・ハーグについた。アムステルダムとロッテルダムに次ぐオランダ第三の都市である。

駅から10分程度歩くと目的の美術館につく。マウリッツハイス美術館だ
アムステルダム国立美術館に先へ行ってしまったので、こちらの美術館はこじんまりとしているように見えた。ただ建築はコンパクトに美しくまとまっており、なんたってこの美術館の収蔵品は個人収集されたものだ。その事実に驚かされる。

マウリッツハイス美術館

まずは国立美術館にないレンブラントの作品を見に行った。

レンブラント「テュルプ博士の解剖学講義」
こんな真剣な医学生を僕は見たことがない

時代は違うので何とも言えないけれども、医学生時代に僕はこんなに献体の解剖をまじまじと見ていなかった。髭を蓄えた男たちと目が合い、責められている気分になる
 
ちょっと後ろめたくなり、萎えた気持ちを転換しようとお目当ての部屋へと向かう。

部屋につくと、もう人だかりができている。ガイドを聞きながら絵画を見たり、写真を撮っている。そこには「真珠の首飾りの女」があった。

フェルメール「真珠の首飾り」

ラピスラズリを使ったフェルメールブルー、闇の中に浮かび上がる光の滴の表現。そう誰もが見たことのある、フェルメールの最高傑作の一つだ。
 
僕はその絵画に一瞥をして、人だかりの正反対にある絵画へと向かった。
 
ある静かな晴れた日。晴れているといっても空に大きな雲が鎮座する。平和な日中のように見えるが少し不穏な空気を醸し出す。こんな気持ちにさせられるのは偶然ではないのだろう。光の魔術師と呼ばれたフェルメールだ。意図的な何かが内包されているに違いない。

フェルメール「デルフトの眺望」

 「デルフトの眺望」 
今回どうしても見たかった絵はこれである。

これもフェルメールの作品だ。生涯彼が離れなかったデルフトの町を描いており、彼の現存する三十数点の作品のうちわずか二点の風景画の一つだ。
 
僕は昔にこの絵を見つけたとき、とても引き込まれ、前述のような感想を抱いた。
調べていると、この絵が描かれたのはデルフトの火薬庫が大爆発した後に描かれたものであった。愛するデルフトに起きた惨事に対するフェルメールの悲しみが絵に表れていると邪推してもダメではないだろう。
この直感と知識の連結は僕の絵画鑑賞の原体験なのである。
 
フェルメール展は日本で幾度と開催されているのに、この絵は一度も日本へ上陸したことがない。この絵のために自分が向かわなければ一生会えなかったのだ
 
いつか、いつかと思っていた。
そして最近、「失われた時を求めて」を読みながら作者のプルーストについて調べているとデルフトの眺望を大絶賛していた。この触発はめぐり逢いかと思い、今回の渡蘭を決めたのだった。

人だかりは背後の女性ほどでは無かったので、様々な距離から見たり、横から油絵の質感を確認したりしてこの絵画に対しての「僕」の記憶をどうにか保存した。
 
充実した気分のまま美術館を後にし、デンハーグから電車でデルフトへと向かう。実際に「デルフトの眺望」が描かれた場所を見に行く、いわゆる聖地巡礼だ。昔、ロシアのサンクトペテルブルクでも聖地巡礼をしようとしたときの苦い思い出こんなにロシアの思い出を話しているので、いつかここに書ければなと思う)が想起されるが何とか振り払い、ベルギーポテトをつまみながら向かう。

デルフトの眺望が描かれたとされる場所。丁寧に絵まで置いてあった。

辿り着くと、そこは郊外の一角だった。風景に名残はあるも、言われなければ気づけない程度である。ただ青空に浮かぶ存在感のある雲は絵画の中の雲と似ている
 
想い人と同じ月を見ていることを歌にする人は多いけれども、フェルメールと同じ空を見ているかを思案している自分はいったい何なのだろうか。
それに対する回答は出す必要もないので隅に置いておくとして、今回の旅の主目的が達成され、心地よい満足感が自分を支配した。
 
おそらく世界各地を隈なく周ることは人生一つでは出来ないけれども、それでも思い出を自分の記憶に一つずつ塗り絵のように上書きしたり粘土細工のようにくっつけたり
そうやって自分で作ったものは、端から見たらありきたりでも自分の中では最高に大切だ。子供の作品は端から見たら出来の悪いガラクタかもしれないけど、親やその子から見たら宝物であるように。
 
村上春樹の「海辺のカフカ」にこういう一説がある

「この世界において、退屈でないものには人はすぐに飽きるし、飽きないものはだいたいにおいて退屈なものだ。そういうものなんだ。僕の人生には退屈する余裕はあっても、飽きている余裕はない」

著:村上春樹「海辺のカフカ」

言っていることは違うかもしれないけれども、僕はそれを真似て
 
「皆が一律に良いと思うものに大した価値は無いけれども、皆が興味がなくて自分だけに価値があるものほど長く大切なものはない。僕には前者を捨てる覚悟はないけれども、後者をないがしろにする勇気もない」
 
こんなしょうもないことを言って今回の旅の文章を締めようと思う。

いつもより長くなってしまったが、ここまで読んでくれた方には感謝を禁じ得ない。

因みに、自分が渡蘭にあたって作成したオランダの画家たちのまとめがあるので置いておきます。時間のある方は良かったらお読みください。

文責:Dekaino

画家たちについてのまとめ

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