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「やりたいこと」の3つの要素の話

ここ1年ずっと「やりたいこと」があるないとかの話をしているのだけど、この頃は、そもそも「やりたいこと」ってなんだろう?と考えている。


先日、友人に「サクちゃんはやりたいことないって言うけど、やりたいことやってるよね?」と言われた。

わたしが「シングルマザーだけどお金も時間もつくる」ためにはじめたクッキー屋の仕事のことを、「お金も時間もつくる」という「やりたいこと」をしているじゃないか、と。

でも、わたしは「クッキー屋は自分のやりたいことではない」と言う。その理由は「自分の不足を埋めるための手段であって、自分がしたくてしているわけではない」と思っているからだった。


「やりたいこと」とひとことで言ってもその中にはいろんな種類があって、人によってちがうものを指している。


わたしが「やりたいことがない」というとき、ないと思っている「やりたいこと」とは、「とにかくそれをしていたい」「時間を忘れてしてしまう」「これならいくらでもできる」というような内側からどうしようもなく溢れてくる「欲」の部分のことだった。

わたしにはその湧き出る「欲」の「やりたいこと」はないけど、「時間とお金を作りたい」と「こうありたい」という「状態」ははっきり見えていた。

だから、「時間とお金がある」状態になるためになにをしたらいいか、「状態」から逆算して「すること(行動)」を決めた。その「行動」が「クッキー屋さんを経営する」だった。

「やりたいこと」は「欲」と「行動」と「状態」の3つに分けられるのではないか。


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お菓子屋さんで働いていたときに一緒に働いていた職人さんたちは、みんな「とにかくおいしいお菓子を作りたい」という「欲」があって、そこから「修行して技術を身につけて自分のお店を出す」という「行動」を決めていた。

「こうありたい」から入るわたしから見ると、彼らは「欲」と「行動」は繋がっているけど、その先の「状態」が見えていないようにみえて心配していた。


自営でお菓子屋さんをはじめるとどんな生活が待っているのか、わかっているのかな?はじめるときに借金をして、毎日長い時間をつかって体力勝負のような(大半があまり儲からない)仕事を何年も続けることを、本当に望んでいるんだろうか?と。

10年経った今、彼らは「毎日お菓子を作れてしあわせだ」と言う。お金がないとか時間がないとか問題はいつもあるけど、お菓子を作り続けるために工夫をしながらやっている。

「お菓子を作りたい」と、それをすることで自分がよろこぶと知っていると、やることを少しずつ変化させながら続けることができる。「欲」は続ける動機になる。


わたしはどうかというと、「時間とお金をつくる」という「状態」をつくることができて問題ないはずが、「欲」がないまま「クッキー屋の経営」を続けるにはかなりの努力が必要だった。

さっき「欲」は続ける動機になると書いたが、わたしの場合、動機がないわけではなかったが、それが「誰か(お菓子作りを仕事にしたい人)の居場所を作りたい」とか「お客さんがよろこぶものをつくりたい」というもので、そこには「誰かがよろこぶこと」だけがあって、「自分がよろこぶこと」がなかった。


「自分がよろこぶこと」がないと、どんなに「状態」を満たせても続けることがむずかしいのではないか。現在進行形だけど最近そう思っている。


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また、「やりたいこと」を「起業する」と設定するように「行動」の部分を「やりたいこと」としている人もいる。

その先の「こうありたい」という状態は「誰かに認められたい」とか「お金持ちになりたい」とか「モテたい」などいろいろあると思うけど、その場合も「欲」の部分、続ける動機になる部分をみつけて、なにをするか決めるといいのだろうなと思う。

ちなみにその軸で見ると、わたしは「起業したい」という行動の希望はなかったけど、「欲」の部分で「ぜんぶ自分で決めたい」とか「好きな時間に働きたい」があったので、どちらかというと仕方なく起業した。

どうしようもなく自分がそうある「欲」はひとつだけではなく、いくつもあるはずだから、複数の軸で「行動」と「状態」を考えていくといいのかもしれない。


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「やりたいこと」がある人は、それを「欲」「行動」「状態」の3つに分けてみて、スタートがどこにあるか、足りない部分はどこか、何があって何がないのか考えてみると、見えてくるものがあると思う。

「やりたいことがない」という人も、やみくもに「なにもない」と決めずに、3つに分けてひとつずつ自分を観察してみるといい。


何をすると自分がよろこぶか「欲」を知ることも、自分がどうありたいか「状態」について考えるのも、「自分のしあわせはなにか」を考えるということだ。

それを考えるとき、自分以外の誰かを軸にして「誰かにこう思われたい」とか「誰かにこうしてほしい」としないで、「自分」を軸に考えるというのがいちばんのポイントだと思う。



「自分のしあわせは何か」は100人いたら100通りあって参考にはならないけど、わたしは、自分が「こうしたい」と思うことと行動が同じ状態をしあわせだと思うし、逆にいうと、思っていないことをするのはしあわせではないと思う。

だから、やりたいことがなくても、そこで立ち止まらずにそれぞれの「こうしたい」は見つけたほうがいいし、一緒に見つけていこうぜと言いたい。



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桜林 直子(サクちゃん)
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