編集者の仕事「文脈を作る」について考える
先日、Voicyのトップパーソナリティであるoishi haruさんの『学びの引き出しはるラジオ』に出演させていただきました(身に余る光栄)。
(怖くて、いまだ放送回を聴けていない……)
テーマは、はるさんと一緒に制作したKindle本、通称『サバ本』の裏話。ところが、話しているうちに「編集者の仕事とは?」という話題へと話が転がっていきました。
その中で、はるさんが「編集者は文脈を作る人」とおっしゃったんですよね。だからこそ、はるさんが先日オープンした、ちつケアオイル・ソープ「soin(ソワン)」のECサイト構築を、ライティングも含めて私に依頼してくださった、と。
そのときは、いただいた言葉を「そうなんだー。ありがたいなー」と深く考えず、カジュアルに受け取っていました。
が! どうやら
「編集者は文脈を作る人」
という言葉が、消化しきれない状態で頭のどこかに引っ掛かっていたみたいです。
「文脈」って一体なんだ?
「文脈」とはどういう意味なのか。辞書を引いて出てくる意味としては、理解しているつもりでした。
ただ、「私(編集者)」と「文脈を作る人」が、実感を伴った「=(イコール)」でつながっていなかったんですよね。
私が毎日うなりながら、頭をかきむしりながら(大げさ)、パソコンに向かってやっていることは、「文脈を作る」作業なのか?
「文脈」は「コンテクスト」と言われたりもするけれど、実際私がやっていることは、地道で、泥くさくて、「コンテクストを作る」なんていうカッコいいものじゃない。
そう思っていました。
文脈という水脈
はるさんと対談する少し前に、「編集とはどういう仕事なのか」をスライドにまとめて発表する機会がありました。
私が編集でやっていることを、一言で表現すると……
↑こんなスライドを作っていました。
あわせて、自身のnoteやブログで、よく「文章の流れ」を「川の流れ」にたとえて説明していたことをふと思い出し……ビビッとひらめいた!
これは、私にとっていわゆる「アハ体験」で、世界が違って見える大きな気づきでした。自分以外の人からすると「今さら何言ってるの?」という感じだと思いますが笑
思考の点と点をつなぐ
文章を編集者モードでじっくり読んでいくと、書き手の思考の点と点が離れていて、つながっていない箇所に気づくことがよくあります。
「書き手の思考の点と点が離れている」とは、つまり「論理が飛躍している」ということ。
点と点が離れていることに気づいたとき、編集者である私は、書き手が文章を書くときに通った「思考プロセス」を丁寧にたどるようにしています。
そして、思考の点と点の間に落ちている「あるはずの点」を探すために、思考の海に深く潜ります。半ば無意識で。
小学生のとき、プールの授業の最後に「碁石拾い」(プールに黒と白の石<本物の碁石かは定かでない>を投げ入れて、潜って拾った数をチームで競うゲーム)をよくやりましたが、そんな感じ。
潜る、探す、拾う。それをひたすら繰り返す。
点と点の間に、少しでもいいから線を引けるヒントがないかを探る。どうしても線を引けなかったら、書き手から情報、言葉という「点」をもらって線を引く。
これが「文脈を作る」ってことか!
超やってるじゃん! 毎日毎日こればっかりやってるじゃん!
自分がやっている地道な作業は、まさに「文脈を作る」行為だったと、本当の意味で理解したのです。「体感」として腹落ちした瞬間でした。
編集作業はなぜしんどいのか
文脈を作る作業、実はなかなかの重労働です。
先ほどお伝えしましたが、文脈を作る作業とは「水の中に潜る、探す、拾う、それをひたすら繰り返す」です。
めちゃくちゃ体力を使います。
もちろん、ここでいう「体力」とは、体の体力ではなく思考の体力です。脳みそのブドウ糖消費量がハンパない(だから甘いものが欠かせない←言い訳)。
しかも、水には抵抗があるので、勢いをつけて潜らないと、すぐに浮いてきてしまいます。潜るための集中力、気合いも必要。潜っている間、息を止めて耐える力も必要。
思考プロセスに伴走する
そんなことをツラツラ考えているときに、Podcast『超相対性理論』のこの回↑を再聴しました。
「自分の頭で考えるとはどういうことか」について語られる中で、難解な哲学書を読む行為が「思考プロセスに伴走する」と表現されていました。
「思考プロセスに伴走する」とは、問いそのものを設計することであり、思考体力をすごく使うし、ネガティブ・ケイパビリティ、胆力が必要である、と。
まさに! これこそ「文脈を作る」作業そのものじゃないか!
編集の仕事はしんどい。めちゃくちゃ思考体力を使う。
とはいえ、編集者は「仕事として思考の海を深く潜る訓練ができる」貴重な職種ともいえます。
そんな編集という仕事が、実はとても好きな私。
ハードだけれど、文章の最初から最後まで線を引き切ったときの達成感、描いた線がどこかの誰かの琴線に触れたときのうれしさは、私にとって「ごほうび」なんですよね。
あらゆる業界に「編集」はインストールできる
私は「編集」という仕事は、出版業界やWeb業界だけでなく、あらゆる業界にインストールできるし、したほうがいいと思っています。
「思考の海を潜る」プロセス、つまり「文脈を作る」プロセスは、どの業界の仕事にも必要。
でも、普段から思考の海に潜り慣れていないと、苦しくなってすぐに水面に上がってきてしまいます。そのため、思考の点と点の間に落ちている「あるはずの点」が見つからないことだってある。
私は、「編集」という仕事を広く一般化させたいという思いを持っています。そのためには「編集」という仕事を分解し、わかりやすく言語化する必要がある。
「編集」を言語化するために、私自身がもっと深い思考の海に潜らないといけない。そんな気がしている今日この頃です。
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