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蕩尽(とうじん)をやってくぞ【読書感想文もどき】

席を置いている読書サークルで、バタイユの著作「呪われた部分」が流行っている。

内容紹介
「“全般経済学”とは、生産よりも富の“消費”(つまり“蕩尽”)のほうを、重要な対象とする経済学のことである。」経済合理性の範疇に収まらない蕩尽・祝祭・宗教・エロス・芸術は、人間の喜びの本質が有用性の原理に拠って立つ生産・蓄積過程にあるのではなく、消費・蕩尽にあることを示す。本書は人間が不可避的に内包せざるを得なかった「過剰」を考察の対象にして人間存在の根源に迫り、生を真に充実させるために、蕩尽・神聖・恍惚に代表されるこの「呪われた部分」の再考を鋭く強く促す。(以下略)

アマゾンのページより引用

アマゾンの紹介文を読む限り、簡単に言うとこんな感じだろうか。

人間は経済的な損得から外れた行為をして喜ぶ性質を持つらしい。その行為とは、余った自分のリソース(お金や時間、労力)を贅沢に使ってなすもの全般なのだとか。
そんな行為がなんで人間に備わっているのか、調べてみた!

本書を読まずにこのnoteを書いてるので、間違ってたらすまん。
この説明文とサークルで既に書かれたnoteも併せて見ながら、蕩尽について考えてみた。


さぼっちの「蕩尽」とはなにか?

上で簡単にまとめていたように、「蕩尽」とは個人が余っているリソースを贅沢に消費することで気持ちよくなっちゃうことらしい。自分の生活を振り返ってみると、「これに該当するだろうな」と思い当たるものがあった。

端的に換言すれば、それは「エロ」である。
布団に入って眠りに落ちる間。
トイレで踏ん張っている時。
風呂で湯船に浸かっている間。
そんな時間に滑り込んでくるのが、自分の性癖に基づいたエロい妄想や動画・漫画コンテンツ、過去のリフレインだと思う。

これは手持ち無沙汰な状況で余っている元気を使い、欲しい情報を得ようとする行為と言えるだろう。
自分の性癖に準じたエッチなことを考えるのは楽しくて気持ちいいので、時間を持て余しているくらいならエロいことでも考えて過ごした方が気が楽でオトクである。この行為自体でお金の消費はしていないが、時間や思考は消費しているので、一応蕩尽と言えるのかもしれない。
ここで気になったのが、「お金、時間、思考以外にも、蕩尽を起こす要素ってあるくね?」「お金、時間、思考をまたぐように使い倒す事で、より深い蕩尽を行えるんじゃね?」と言うことだ。

リソース以外で蕩尽に必要な要素とは

まず一つ目。俺の場合、余っている時間として捉えているのは熱中できる事に取り掛かっていない時間、すなわちヒマな時間全般である。会社員時代に仕事をしている時でさえ、イマイチ楽しくない作業をしている間は忙しかろうとヒマだと感じていた。退屈過ぎて手元の作業に興味を失ってしまい、微妙な能率に終始する始末だった。

それなりの時間と思考を労働に割いてお金を得ている状況とはいえ、仕事を楽しんで全力投球していたとはとても言えない。自分が熱中するための条件と作業の相性が悪かったことが、仕事に打ち込めない原因の一つだったのではと思い返している。この文脈はあとで回収するので、頭の片隅にとどめていてほしい。

リソースを複合的に使って熱中した経験

それから二つ目。これまで自分が熱中してきたことは何個かあるのだが、それらの共通点として出てくるのは、「お金も時間も思考も、そこにめっちゃつぎ込んでいたなー」である。その筆頭に上がるのは、コンシューマーゲームのポケモンである。

ポケモンのピカチュウ版をキッカケにポケモンのゲームに手をつけ、ルビー、XDダークルギア、ダイアモンド、プラチナ、ブラック、ホワイト2、ムーン、ウルトラサン、剣盾にレジェンズアルセウス…。約20年に及んでシナリオを追い、他のプレーヤーと対戦するなどして遊んできた。
残念ながら対人対戦のセンスはなくシナリオを読んで楽しむプレイスタイルだったものの、今でもゲームの枠を超えてポケモンへの親しみが続いている状況である。これを踏まえると、「これまでお金も時間も思考も、ポケモンにエグいレベルで注いでんなぁ」となる。なので、俺はポケモンに蕩尽していたと言えるだろう。(エロの話は次するから待って)

蕩尽、加速させちゃおうぜ!

上二つの観点を踏まえて、さらに蕩尽してみようかなと考えるようになった。簡単に言うと、「自分でエロコンテンツ作ったら、更に面白おかしく生きていけんじゃね?」である。
先程一つ目で「蕩尽を再現するためには自分のリソース以外にも必要な要素があるのでは?」という疑問を述べ、こんなことを言った。

それなりの時間と思考を労働に割いてお金を得ている状況とはいえ、仕事を楽しんで全力投球していたとはとてもいえない。自分が熱中するための条件と作業の相性が悪かったことが、イマイチ打ち込めない原因だったのではと思い返している。

前節「リソース以外で蕩尽に必要な要素とは」より

この熱中する条件とは、自分の認知特性、三ツ星スラムで語られるところの「真善美」にあるのでは?と考えている。
この言葉に馴染みのない人向けに説明すると、「真善美」とは

「真(個人にとって自然な考え方や振る舞い、何気なくできてしまうこと)
「善(個人の考え方、振る舞いが他人が観測された際に現れる形)
「美(認知特性を持つ本人が美しいと感じる『善』の現れ方)

という3つの概念をセットにした用語のことである。
(※概念の定義は個人差がある)

この真善美の観点もまた、蕩尽を起こす上で必要なのではないか?と思うのだ。走ることが好きで外交的な人なら営業職に向いているだろうし、内省的で分析が好きな人ならアナリストを生業とするのが自然だろう、と言う話だ。
文が長くなるので割愛するが、俺の真善美は簡単に言うとこんな感じ。ストレングスファインダーの結果も整理すれば真善美っぽく扱えるらしい。

真 妄想めっちゃする
善 他人に自分の妄想を植え付ける
美 妄想を植え付けることで相手の記憶を補完したり、新しい感動を生んだりさせるのが好き。

阿吽さんのプロファイリングを元に言語化したさぼっちの真善美

ここで、先程言った「自分でエロコンテンツ作ったら、更に面白おかしく生きていけんじゃね?」を思い出してほしい。予測にすぎないけれど、真善美に沿っているように思えないだろうか?

今の俺はこれまで労働で蓄えた貯蓄と失業給付で、しばらく働かなくても過ごせるニートである。すなわちお金と時間と思考する余裕は会社員時代よりも制約を受けずにある状態にあるのだ。これらリソースをエロコンテンツの作成に突っ込み、蕩尽の境地に達するまで続けると何が起こるのか?個人的にめっちゃ気になっているので、やってみる事にする。

エロコンテンツなので、内容確認は各自でよろしく。

https://twitter.com/tanikuya4519

アカウントは既に作って自分にとっての最高のエロを投稿し始めたので、気になる人は覚悟を持って見に来てほしい。

おわりに

と言うことで、読書サークル「三ツ星スラムのゴミ捨て場」にて話題になっているバタイユの著作「呪われた部分」、そこで語られる「蕩尽」の中身をもとに、自分の中に潜む蕩尽に目を向け、沸いた疑問について考えてみた。そして能動的にそれを再現した先について実験するぜ!という表明をもって、筆を置こうと思う。
ここまで読んでくれてありがとうございました。

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