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【自由研究】 ロダンの「考える人」って何について考えているの?


※この記事は2分で読めます。


こんにちは( ´ ▽ ` )ノシ


今日はお仕事がお休みでして、記事を書きながら優雅なティータイムを過ごしております♪(´ε` )

1日自分の好きな事に時間を使えるのは
とっても嬉しいですね( ´ ▽ ` )

今日は心理学に縛られず、自由研究で緩めの更新をしていきたいと思います。


☆☆

さてさて今回の記事については
タイトルにある通りでございますd( ̄  ̄)

皆さんも、オーギュスト・ロダンの「考える人」
という作品を一度は見た事があるのではないでしょうか?

でもこの作品が
「一体、何を考えているのか?」
という事について知っている人は少ないと思います。
もちろん私も知りません。

体勢的にかなり思い詰めているように見えるし
深刻な感じが出ていますよね(`・ω・´)

「将来について?」
「生きる事について?」
「愛について?」

調べてみたところ、実は
何かを考えている訳では
ないそうなのですΣ( ̄。 ̄ノ)ノえ〜!

驚きとともに
なんか地味にショックを受けた私( ̄▽ ̄;)アハハ

今回はぎゅっと短めに「考える人」について考えていきたいと思います( ̄▽ ̄)キマッタ


☆☆☆

【オーギュスト・ロダン】

フランスの彫刻家で19世紀を代表する彫刻家とされた。「近代彫刻の父」と称される。代表作には「地獄の門」がある。一般的に知られている「考える人」は鋳造家(金属を熱で溶かし鋳型に流し込んで器物を作る人)リュディエがつけたものである。

ロダンさんの作品は元々「地獄の門」という作品名だったみたい( ´ ▽ ` )
「地獄の門」と「考える人」ってかなり違う解釈のような気がするけれど、どうなんだろう?
それにしても彫刻家って、素材を掘り込んで立体にしたり加工したり模様を入れたりすごい職業だよね(°▽°)

【作品に込められた本当の意味とは?】

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考えている姿にしか見えないこの作品ですが込められた本当の意味は「地獄の入り口に落ちていく罪人たちを見下ろしている姿」なのだそうです。
地獄を見下ろしている姿だったものを鋳造家のリュディエが「考える人」とした訳ですね。

不思議なのは、さっきまで「考える人」にしか見えなかったのに「地獄の入り口に落ちていく罪人を見下ろしている」と言われればそう見えてくるという事d( ̄  ̄)
でも、作品名に「考える人」とつけられていたら
誰でもそう見ちゃうよね( ̄▽ ̄;)
先入観てすごいものなんだなぁ、、。

【何か考えていると解釈するならば】

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「考える人」が何かを考えているとするならば地獄の入り口に落ちていく罪人達を見る苦悩についてだと言えそうです。イメージとは少し違いますが、悶え悩んでいた可能性はありそうですね。

私が思い描いていたような「愛について」とか「生きることについて」とかとは違うけれども精神的な苦しみがあったという事は言えそうだよね_φ( ̄ー ̄ )ウム
少しこじつけって感じにはなりそうだけれども(。-∀-)

【まとめ : 一歩踏み込んでみると新しいことに出会える】

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物事に対して「=」で結びついていると思われる事であっても、一歩踏み込んでみると「本当にそうなのかな?」と思うきっかけになったり調べてみたら実際はそうでなかったということもある。
普段、自分が当たり前だと思っている事に対して少しだけ疑問を持ってみる事で視野が広がることもあるのだと感じたね(`・ω・´)


今日は結構短めですがこの辺で( ´ ▽ ` )ノシ


つづく


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