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妖怪とお化けと精霊と私~ご機嫌な人生~

いつもお世話になっております。
するめでございます。

するめは、小さい頃からお化け怖かったです。母は、寝ないするめをお化けが来ると脅かして寝かせたり、兄にお化けが出るという冗談を本気で信じていたからだと今更ながら思い出します。

霊感などというものはなく鈍感な人生を歩んできたのですが、不思議だなという体験はしたことはありました。

するめは、妖怪もお化けも精霊も居てくれたらいいなと思い信じています。あと、地獄も信じています。





するめの好きな妖怪たち~みんな大好き鳥山石燕先生から引用~

元興寺(がごぜ、がんごうじ)

今も奈良市内にあるお寺、元興寺にいた童子で鬼の姿をしているとされている。
雷神から授かった元興寺は、鬼を退治して元興神(がごぜ)となり全国に広がる。
元興寺の豆まきは「鬼は内」という。元興寺が鬼の姿をしているからだと。

実際にあるお寺が妖怪なんて、素敵!行ったことがあるのですが、お寺には色んな所に小鬼のモニュメントがありめっちゃ可愛い!夏祭りをやっている日に行った時は、子供達が小鬼を探すイベントをしていて。嬉しそうに「鬼がいたー!」とはしゃいでいました。

鎌鼬(かまいたち)

つむじ風に紛れて、やってきて刃物のような傷を負わせるが血が出ていない。
傷だけを負わせるイタチに似た奇怪な妖怪

地獄先生ぬ~べ~で知りました。鎌鼬は三匹で転ばせるやつ、鎌で切るやつ、薬を塗るやつといるとあって、当時のするめは「何がしたいんや」と思ったのを今でも覚えています。つむじ風に乗ってやってくるのが何とも言えない良さがある。乗り物乗ってくる系。


猫また(ねこまた)


人に飼われている猫で年を取ってくるとしっぽが2本になり、2本足で立つ。
ほっかむりを被って猫踊りをしたり、油を舐めてみたり、ふすまを開けてみたりします。

猫また可愛い。うちの猫も猫又になって欲しいので特製手ぬぐいを作って待っています。


鉄鼠(てっそ)

平安時代の頼豪という僧が、天皇を恨み呪い、この姿に成り果てたそう。

この絵だと、ネズミ達に仏法を説いているように見えて。何だかいいなと思ってしまいます。鉄鼠を元にした小説「鉄鼠の檻」も好きなのですが、小泉八雲の「猫を描いた少年」はここから着想を得たのかなと考えると、ネズミが坊主になるだけでイマジネーションを生む。素敵やん。


蜃気楼(しんきろう)

蜃気楼を出す蜃(しん)は大蛤という。
中国の古書を通じて、日本に伝来する。

イマジネーションの最たるもので、日本では海にぼんやりで出るので蜃(しん)は大蛤というのが何とも言えない雑さがいい。そして、人間は妖怪である蜃(しん)を食べる。いいですね。


硯の魂(すずりのたましい)

赤間ヶ関産の硯の上で繰り広げられる源平合戦。

壇ノ浦で取れた石で作った硯を使っていて、平家物語読んで微睡んでいたら、硯の上で源平合戦が繰り広げられるって本当にいい発想。なんか、硯の上で「平家物語?違う違う!」って聞こえてきそう。


じごくのそうべいという絵本が好き

子供のころによく読んでいて、地獄って怖いけど面白そうだなと思っていました。それからというもの、地獄が描かれているものが好きです。

はい!そうです。サブカルクソ女子です。


するめは、科学をあまり信じていません。

信じている。という表現で合っているのか?と思うかもしれませんが、するめの中では科学も一種の新興宗教と同じと思っているからです。何故なら科学もまた、時代とともに変わりゆくもので不確かなものだからです。科学が明らかにするのではなく、時代に沿った通説をもっともらしく言葉を並べているだけに過ぎないと思ってしまうからです。


妖怪がいると思うと楽しいです。
するめが大好きな妖怪の一つである、家鳴り。

鳥山石燕先生の家鳴り

家が軋んだり、揺れたりした時に「湿度の変化で軋んでいる」と考えるよりこんな小鬼が家を引っ搔いたり、揺らしたりしているのかなと思ったほうが、ご機嫌に生きられるとするめは思っているのです。

何もかも、人間が考えた理屈で物事を明かすよりも、何だかよく分からないもののせいにした方が穏やかに生きていける人が多いんではないかな。

目に見えるものだけが真実ではない

ほんだらまた!




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