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【映画感想】ルックバックを観た【ネタバレあり】
映画を観て泣く瞬間が全てに勝ると思ってる鯖の味噌煮です。
小学生4年生の藤野と不登校の京本が漫画家を目指すお話ーー
ついにアマプラに来ました! 映画館で2回観てこれで3回目です! そして毎回泣かされてますねーこの映画には。
文句なしの星5🌟🌟🌟🌟🌟ですかねー。
映画という重み
原作の漫画の時点でも十分に傑作だと思っていて、それをどう傑作映画にするかって難しいところだと思うんですよ。自論なんですが、メディア化って原作より後に起こるものなんですからむしろ原作を超えて然るべきだと思うんですよ。結構な無茶振りですが。
今回の映画は真っ当に原作を超えてきたなーといった気はします。というか、漫画の面白さはそのまま表現し、漫画では描けないものをそのままプラスで乗せてきた感じですね。
まず一番に感じたのはキャラクターの親しみやすさ。これがすごく感じられました。藤野と京本の動きや演技からすごく子供特有の生意気さとか幼さが感じられて、この2人が自分にとってとても愛おしい存在になっていました。だから2人の別れが更に辛かったし、京本の死に対しても深く悲しみを覚えてしまいました。
あとはやはり音ですよねー。壮大なようでいて彼女らの心境をものすごく自然に表現してくれていてスッと耳に入って来たり、生々しくてその場にいるかのような没入感を演出してくれたりするBGM。最後に京本との思い出を回想するシーンは音楽で泣かされたといっても過言ではないかもしれません。
漫画という静止的で二次元的な世界から映画という運動的で三次元的な媒体へと、正しく次元を引き上げてくれた気がしますねー。
誰が為のファンタジー
この映画のストーリーラインって急にパラレルワールドに接続されるんですよね。前回紹介した『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』を思い出します。藤野と京本が描いた4コマ漫画だけが世界を行ったり来たり。当時原作を読んでいてものすごくびっくりしました。
それは藤野と京本が出会わなかった世界線で、京本は死ななかったり、改めてコンビを組めそうだったりと実はそっちの方が露骨にハッピーなんですよ。それで最後は元の世界にもう一回接続して戻ってきて物語は終わるんです。
同原作者の『さよなら絵梨』で言う「ひとつまみのファンタジー」は、元の世界の虚しさを倍加させただけなのでしょうかーーそれは、もちろん違っていてそここそがこの作品のキモなのだと思います。
向こうの世界の4コマ漫画がこちらに来たことによって藤野は京本の部屋のドアを開けることができたんです。そこで2人の思い出が悪いことばかりではなく、楽しいことでも満ちていたことを思い出して、藤野はまた漫画を描くことを選んだのです。
あの「ひとつまみのファンタジー」は、1人の漫画家の背中を押してくれたのです。それが彼女にとって祝福だったのか呪いだったのかは分かりませんが、とにかく彼女は描き続ける道を選んだのです。その小さな道の曲がり角がこの映画の終着点だったのだと思います。
最後に
僕も小説家を志していたりなかったりするのですが、そのせいかこの映画はひどく心の中に刺さってしまいました。足を止めないことがクリエイターであることの条件なのかもしれません。
この調子で『さよなら絵梨』も映画化してほしいですねー!