映画感想文「型破りな教室」人の可能性は無限大と信じられる、メキシコ版「宙わたる教室」
誰もが、この言葉を待ってる。
「君には可能性がある、君ならできる」
いつも自問自答する。私にできるだろうか。
その問いかけは、子供の頃よりもむしろ多い。そう、多くの知識を身につけて「できない」体験を積み重ねた大人ほど、自分の可能性に懐疑的だ。
だって失望したくないのだ。誰に裏切られようが他人に対する失望の痛みは大したことない。いつか忘れる。それより深刻なのは自分に対する失望である。そんな苦い体験はしたくない。
だから、この作品で取り上げられているドラマ、メキシコ国境の街マタモロスの小学校で起きた奇跡に胸震えた。貧困に喘ぐ麻薬取引の巣窟、勉強どころではないこの地の小学校は、生徒の学力が国内最下位。
そこに赴任してきた教師フアレス・コレア。
学習要項に沿った退屈な授業に自らも疲弊した彼は、この学校で実験的な試みを開始する。周囲の理解も得られず苦労する。それでも彼に付いてくる生徒の目の輝きが、彼を支え学ばせた。
数年後、生徒たちは驚異的な成績を収める。
その様子は人々を驚かせ、アメリカの雑誌「Wired」に大きく取り上げられる。そして映画化へと至る。
なにしろ、これが実話ということに勇気付けられる。真実の持つ重みがこのドラマを力強いものに仕上げている。
メキシコ版「宙わたる教室」である。秋ドラマでこのNHKドラマに胸打たれた身としては沁みる。
人の可能性を信じたい。なにより自分の可能性を信じたい。新たな年に向けて、そんな勇気湧く作品である。