映画感想文「どうすればよかったか?」統合失調症の姉をめぐる家族の物語、どの選択も否定できない
どの選択も否定できなかった。
札幌に住む、ある家族の物語。
大正から昭和にかけて生まれた父母は両親共に医学部卒業の研究者のエリート。子供はふたり。幼い頃から優秀な姉、歳の離れた弟。長じてドキュメンタリー監督になったその弟が、本作の監督藤野知明氏である。
幸せな家庭に突然訪れた出来事。医学部在学中に統合失調症を発症した姉。ある日突然、気が狂ったかのように意味不明の言葉を叫び、会話が全く成立しなくなった。慌てた母は精神科に連れて行ったが翌朝、なんでもなかったと父が連れ帰る。
以来何十年も、自宅に引きこもりの闘病生活が続く。まるで姉の病を隠すかのような父母の態度を嘆く監督。何度か両親を説得するが聞き入れてもらえない。
絶望した彼はただただ、帰省するたびに家族の記録を撮り続けた。本作はそれをドキュメンタリー映画に仕立てたものである。
勝手に家を飛び出す。でも話が通じず困り果てた出先で保護される。そんな状態の彼女を一体どうすれば良かったのか。
言葉が通じず叫ぶ彼女を声を荒げることなく宥める。何度も話を聞き言い聞かせる。
老いてもなお、両親は毎朝台所に立ち娘の食事の支度をする。食卓には立派な料理が並ぶ。
確かに過保護で自分勝手ではある。でもそこには両親なりの一生懸命が垣間見える。それだけに正解が難しく、痛さが胸に刺さる。
また90代の父親が最後まで矍鑠としていたのが印象的だった。恐らく、崩れ落ちそうに絶望したり投げ出したくなることが何度もあったろう。それでもいつも穏やかだった。姉にも優しかった。老いて身体を悪くした妻にも優しかった。確かに支配するような優しさなんだが、大正生まれの彼にはこれが家族を守ることだったのだろう。
そう思えるだけに、切なかった。
もし彼が他人に頼ったり助けを求めることができていれば、少しだけ事態は変わったのかもしれない。他者が入り込む隙があれば助けになったと思う。
それこそ、家父長制の弊害である。しかし過去の歴史の中でそう育ってきた人たちの行動を一概に否定できない。
ホームビデオのように淡々と撮影された映像には大袈裟な演出はない。監督はじめ登場人物の語りも上手いわけではない。過剰な演出のないその朴訥さがそれだけにリアルで、染み入る。
なお本作、上映館少ないがどこも満席だ。映画館には老若男女の幅広い人たちが詰めかけていた。プライベートな家族の負の記録になぜ?と当初不思議に思った。しかし、統合失調症ではなくとも、どこの家庭にもこんな風なそれぞれの家族の隠し事があり、悩んでいる人は多いのだとしみじみ感じた。