映画感想文「658km、陽子の旅」心を持ってかれる、菊地凛子の演技に震えた
母でもなく、妻でもない。
若くもなく、美しくもない。
特技があるわけでもなく、人を惹きつける愛嬌があるわけでもない。
誰からも注目を浴びることはない。だからと言ってとりたてて不幸でもない。
そんなどこにでもいる、40代独身女性。
カーテンを締め切ったアパートの部屋で、毎日ひとりご飯を食べ、ひとり仕事をする。
こんな普通の人をノーメークで演じる菊地凛子が、あまりに憑依しすぎてて、そしてその気持ちが分かりみがすぎて、幾度も泣いた。
青森県弘前市に生まれ、18歳で家を飛び出し上京。叶わぬ夢を追いかけることをいつしか諦め、ひとり心を閉ざし生きてきた陽子(菊地凛子)。
そんな彼女が突然の病で亡くなった父親(オダギリジョーが若かりし父を好演)の葬儀に出るため、それまで一度も足を向けることのなかった故郷までヒッチハイクで向かう。
人との関わりを避けて過ごしてきたコミュ障な陽子にとって、それは苦痛さえ伴う、とてつもないチャレンジだった。
親切な人や冷たい人、幸せそうな家族やカップル、実は様々な事情を抱えた人たち(沢山の個性的な登場人物がいずれも好演で見応えあり。特に風吹ジュンが素晴らしかった)。
多くの人に出会う中で、怯え目を伏せ自分を卑下し、ろくに受け答えもできなかった陽子が、徐々に変化を見せていく。その辿々しさが、途方もなく美しい。
最後には、父を失った喪失感と自分の人生に対する後悔を、静かな慟哭とともに語り始める。その菊地凛子がすごい。心を全て持っていかれる。このシーンだけでも多くの人に観てほしい。
人は、変われる。
ほんの少しだけ。誰かが寄り添うことで変わる。
ささやかな、その真実の偉大さに、胸打たれる。
先日行われた第25回上海国際映画祭で最優秀作品賞、最優秀女優賞、最優秀脚本賞の三冠受賞も納得の出来ばえ。