映画感想文「恋するピアニスト フジコ・ヘミング」凛とした見た目に情緒的なメロディ、そのギャップに心揺さぶられた
恥ずかしながら、初めてだった。
彼女の演奏を聴いたのは。
昨年92歳で亡くなったピアニスト、フジコ・ヘミング。重厚感あり温かくもある、彼女のドキュメンタリー映画である。
2020年からコロナ禍を挟んで数年。その期間の演奏会の様子とインタビューで構成されている。
まずはこの映像を残してくれた人々に心からお礼を言いたい。偉大な芸術家である彼女を知る上で非常に貴重な映像である。更に戦前戦後を生き抜いてきたひとりの人間の軌跡でもある。
下北沢の古民家、パリのアパートメント、アメリカ西海岸の樹木に囲まれた閑静な戸建て等。世界中にある彼女の住まいでの撮影も多く、暮らしの様子が垣間見え、家主の価値観や生き方を物語る。
また、特筆すべきは語りの明瞭さである。不自由なく耳も聞こえるし話し方に澱みもない。質問にも的確に少ない言葉でテキパキと答える。語りだけ聞いていると、全く老人に聞こえないのだ。
晩年の数年間は歩行器がないと歩けない状態であった。それでも、こんなに明晰な受け答えをできる90歳を私は知らない。
芸大を出たピアノ教師の母が留学中に出会った画家で建築家のスエーデン人と結婚。1931年、母の留学先のドイツで彼女は生まれた。
生後すぐに来日。5歳から母にピアノを習い、10歳で才能を認められた。しかし16歳の時、風邪を拗らせ片耳の聴力を失う。それもあり失意の中、それでもピアノを続ける。若い頃はなかなか認められず貧困に喘いだ。そんな苦難を経て、60代半ばで脚光を浴びる。
音楽に疎い私にも彼女の演奏の素晴らしさはわかった。とても情緒的で心のひだに入り込むような繊細な演奏である。生演奏でなくても十分に心揺さぶられた。
どうして、この人にこのような演奏ができるんだろう。
まっすぐな眼差しでこちらを見据え、凛としている彼女。そんな見た目の硬さからは想像できない、センチメンタルで華やかな演奏である。強靭な心身の中に秘めた繊細さが見える。そこに彼女の歩んできた道のりの過酷さを思う。
必見のドキュメンタリー映画である。