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映画感想文「ほなまた明日」才能の煌めきと残酷さを描く群像劇。道本咲希監督の才能に打ちのめされる

打ちのめされたことがある。

この人には敵わない。自分には才能がないのだと。

言い訳ではない。思い過ごしでもない。ある程度ストイックにやり切ったからこそ、わかるのだ。

自らが心血を注いで来たことに対して、心血注いできたからこそ、それがわかってしまうという、残酷さよ。

大学生ナオ(田中真琴)は写真専攻で写真家を目指している。ただただ写真が好きで他のことなんかに興味がなくて。街に出かけて貪るようにシャッターを押す毎日だ。

恋愛も彼女の中で優先順位は高くない。同級生の山田(松田崚汰)と、なんとなく付き合っている。もちろん、気持ちがないわけではない。しかし、彼女の中では写真がいちばんなのだ。

悲しいことに山田もそれを理解している。そして彼女の才能に畏敬の念を抱いている。かつて写真家を目指していた山田だが、極めたからこそ自分の限界を理解してしまっている。

同じ写真専攻のサヨ(重松りえ)。映える写真を撮る。SNSのフォロワー数も多い、華やかな美人だ。満たされてるように見える彼女。しかし内面は真っ黒な感情でいっぱいだ。ナオの才能を認め嫉妬している。どうやっても敵わない壁。彼女にとって、それが仲良しのナオなのだ。

そして実家の写真館を継ぐかどうか悩んでいる、お調子者の多田(秋田卓郎)。とうに夢を諦めている、バランサーだ。

若者4人の群像劇。秀逸なのは才能ある人の残酷さを赤裸々に描いていることだ。ナオは自分を曲げない。人に気も遣わない。周囲を傷付ける。しかしわがままに見えるそれらは、それだけ写真に没頭しているということだ。雑念がない。写真だけがすべて。神はそういう人に微笑む。

そして、それをただ受け止めるしかない非凡ではない人たちの悲しさと諦観。

人生はかくも残酷である。そんな真実を淡々と爽やかに描き、印象に残る作品である。ちくりと痛みが甦る。それでいて爽やかな作品でもある。人間の持つ再生や共存をも同時に描いているからだ。

おそらく、自分を描いたのであろう道本咲希監督の才能に打ちのめされる。必見の快作である。

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