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メンヘラ 通院を始めてからの暮らし。
メンヘラ歴が長い。この長いメンヘラ歴の中でも、今年は、深夜に巷を徘徊したこと以外には、ありふれたOL暮らしができている。
通院を始めてからそれができるようになった。
毎朝、午前中に起床をすませ、22分間の地下鉄に耐えて出社をし、昼休みと呼ばれる60分間には、昼食をとる習慣のない私はプロテインチョコレートを口に入れながら、株の売買や、勉強をする。
調子が悪いときは仕事中に切迫し、デスク上も荷物もコートも全てそのまま、真冬に体だけ帰宅したこともある。トイレで号泣をしたこともある。けれど大抵は定時と呼ばれる時間まで、やるべき作業を進め、ひと月の計画を、一週間の、一日のその計画を修正しながら進める。
注意散漫でミスをすることも多い。大金を扱う私の仕事は、ひとつのミスで数億が飛ぶかもしれない。それを憂い、最大心拍数で日々に臨む私は、この仕事に適正がないのではないかとも思う。医師は休職を勧めている。安定用の薬は常用する。それでも仕事がままなっている証拠として、毎月ひとり分の生活ができるほどの給料はきちんと銀行口座に振り込まれている。
規則的に振り込まれる”給与”という文字をみて、私が今、完全に自活していることを確認する。
精神障碍者という認定をされようと、こんなふうな傍目にありふれたOL生活をもう2年も続けることができている。どこかの別のOL生活との違いは、友人知人、家族との交流がないくらいだろう。
通院するまでの間、長い間パニックを起こしていた。自分はできる。人よりもできる。自分はできない。何もできない。自分は人より優れている。自分にはほんのわずかな価値もない。自意識に追い詰められた。
生まれて初めて、生きててよかったと思った場所はパリだったから、死ぬならパリがいいと思った。死ぬつもりでパリへ行っても、凱旋門で行われていたニューイヤーの花火中継を見るともなく見ながら、一晩中泣いていただけだった。
号泣はどうやら定期的にやってくるようだし、希死念慮はニュートラルだ。けれど通院してからは、ほんのわずかな未来を考えられるようになった。
来年もおそらく生きていると、なんとなくそう思えるのだ。だから、冬が終わると全て捨ててしまっていたコートやセーターを、今年はしまっている。私は今偶然生きている、という点のようだった人生を線でとらえ始めている。
通院をはじめて3年が過ぎ、私にも来年がくるのだと認識がかわったことに気がついた。
ずっと欲しかったレモンの木を買った。木が育ち花が香ることを楽しみにしている。