「ここには何もないんです」と「私には何もない」
訪れた町のその施設で、接するスタッフさんみんなから
「ここは何もないんです」と何度も自嘲気味に言われると「なんだかなあ」と思う。
謙遜の文化が行き過ぎているのか、資源を見ようとしないのか...
「何もない」が事実ならそれでいい。そのままでいい。
無理やり町おこしなんてしなくてもいいけれど、自分が働く町・住んでいる町を好きになる工夫は必要だ。
確かに、ずっとそこに住んでいるとうんざりしてくる、飽きてくる、ということはあると思うけれど。
(だから、人生に緩急はだいじ)
「都市」「地方」とひとことに言ってもいろいろあるし人口やマーケットの規模もさまざま。
大・中・小規模の都市に住んでみて、
コロナ前は海外にも年1度は行くようにしていたけれど
どの国にもどの都市にも必ず、いいところも悪いところもある。
その意味での比較は全然、悪いことじゃない。
比較して優劣を決めることが生きづらくしているだけ。
住むため、訪れるためにそこを選ぶか選ばないかの理由は、究極的には個人の好みしかない。
不動産会社で営業をしていたことがある。
そのとき、「元々全然タイプじゃない街」のいいところを探して愛するのも、仕事のうちだった。(できるだけ楽しんで仕事をすると決めていた。)
愛は感情ではなくて行動だ。「愛そう」と決めればいくらでも資源は見つかる。
そんなことを思っていて
これは人間にも当てはまるんだよなあと結局そこに行きつく。
当たり前になっているもの
当然だ・価値がないと思っているもの。
歩いてすぐのところに浜辺があったり
晴れている日には、もりもりと木が茂る山が見える。
田んぼの中にサギがいて、小鳥たちが木々でさえずっている。
整えられた庭がある家々や、遊歩道がある。
それらは十分すぎるくらいに誇っていいことだ。
当たり前だと思っているそれらの光景や、五感で感じることの全てがなくなったらどう思うか、考えてみて欲しい...
それは人間も同じこと
比較は全然、悪いことじゃない。自分を知り、他人を知ることでしか「当たり前だと思っていること」の価値には気づけない。
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